山の章

第65話 献金すること、山の如し

 ――天文四年、冬。


 俺たち武田軍は、今川軍の侵攻を撃退した。

 さらに電撃的に逆侵攻を行い、相模、駿河にある今川領の一部を切り取った。


 俺は躑躅ヶ崎館に帰還し、自室で地図とにらめっこをしている。

 奥様の香がコーヒーを入れてくれた。


「ハル君、どうしたの? むっつり考え込んで」


「うん。領地経営や外交について考えていた」


「なるほど。新しい領地は、ここからここまででしょう?」


 香が指で地図をなぞった。


「そうだね。待望の海だよ!」


 相模は神奈川県、駿河は静岡県だ。

 地図でいうと、富士山の南側と静岡県の東側の一部が武田家の領地になった。


 どこかに港を築いて、武田家は海上交易に乗り出すのだ!


 だが、その前に、新領地を確定、安定させなければならない。

 その為には外交だ!


 廊下から小姓が俺を呼ぶ声が聞こえてきた。


「御屋形様! 三条麻呂彦様が、京よりお着きにございます!」


「わかった! 会所にお通ししろ!」


 三条麻呂彦は、京都の公家である三条家の使者だ。

 三条家の外交担当者で、香を武田家に連れて来てくれたキューピッドでもある。


 まあ、見た目はキモイが……。

 香曰く『あんなのでも、三条ファミリーの一員』だそうだ。


 俺は着物を整えて、会所へ向かった。


 会所では、湯漬けを食べ終えた麻呂彦が、扇子を片手にくつろいでいた。

 挨拶を終えて、早速本題に入る。


「実は麻呂彦殿にお願いしたいことがあります」


「なんでおじゃるか?」


「帝です」


「おお!」


 帝、つまり天皇陛下だ。

 この時代の天皇は、後奈良天皇だ。


「麻呂彦殿……。帝の即位の礼は、まだ、執り行われていないと知り、この晴信、心を痛めております……」


 即位の礼とは、帝の即位式のことだ。

 この戦乱もあって、朝廷は非常に困窮している。

 新帝の即位の礼をあげられずにいるのだ。


「そうでおじゃるな……。来年、天文五年には即位して十年になられるでおじゃる……」


「そこで武田家も、帝の即位の礼に寄付をさせていただきたい」


「ぬっ……」


 麻呂彦の目が、スッと細くなった。

 俺が、武田家『も』と言ったからだろう。


 俺は、麻呂彦にとぼける間を与えずたたみかける。


「北条殿、今川殿、大内殿は、即位の礼の為に寄付をしたと伺いましたぞ?」


「どこでそれを……?」


「誰でも知ってますよ。朝廷は有力大名に寄付を募っていると聞きます」


 この件は、一芸『ネット通販風林火山』で買った歴史本で知りました!

 来年、天文五年二月に後奈良天皇の即位の礼が行われるのだ。


 資金を出した中で大口は、お隣の北条氏、戦争相手の今川氏、九州・中国地方で一大勢力を誇る大内氏だ。


 ここに武田家が割って入る。天文四年冬――このタイミングならギリギリ間に合うはずだ。


「武田家も朝廷に寄付をさせていただきます」


 俺は小姓を呼んで、朝廷に寄付する桐箱を次々と運ばせた。

 麻呂彦の前に桐箱の山が出来る。


「どうぞ、箱をお開けください」


「……おお!」


 桐箱を開けると麻呂彦は、目を見開き声をあげた。

 桐箱には、銀五百グラムのインゴットが入っているのだ。


 ネット通販風林火山で買った五百グラム九万円の品だ。


「近畿では、金より銀の方が強いと聞きましたので、銀の地金を用意いたしました。銀千両を朝廷に寄付いたします」


 銀千両は、およそ銀四十キロだ。

 円に換算すれば三億円を超えるだろう。


 だが、俺がネット通販風林火山で買った価格は七百二十万円なので、俺はかなり得をしている。

 まあ、麻呂彦には、俺の一芸は内緒だ。


 麻呂彦は、桐箱の山を見て、腰を抜かした。


「おお! なんと! 晴信殿は、勤王の志が篤いのでおじゃるな!」


「はい。これを三条家を通じて、帝に献上いたします」


「ぬぬ……当家を通じて……」


「もちろん、三条家にもお礼をさせていただきますよ」


「ほうほう……。良いでしょう。それでは、晴信殿の本来の用件を聞かせて欲しいでおじゃる……」


 麻呂彦が扇子で口元を隠して、ジトッと俺を見た。

 さすが三条家が使者にだすだけあって、察しが良い。

 俺は人払いをして、麻呂彦と二人になる。


「それで……晴信殿は、帝や三条家に何を望むのでおじゃるか?」


「今川家です」


「今川……。なるほど……、幕府……、足利でおじゃるか……」


 麻呂彦は、手に持った扇子をパチンと鳴らした。


 さすが政治工作に長けた公家だ。

 俺の言わんとすることを一瞬で理解した。


 今川家は、足利家の流れをひく名門武家なのだ。

 もし、足利家の血が途絶えた場合は、今川家から将軍を立てる――それほどの家柄だ。


 俺は、足利家の重要な親戚筋である今川家の領地を攻め取った。

 足利幕府に力がないとはいえ、この件に介入されると面倒だ。


 そこで朝廷――帝や公家から、政治工作を行うことにしたのだ。

 その口実が、『即位の礼』だ。


 あからさまに、『今川家の件で、足利幕府がグチャグチャ言わないように工作してください』と頼めば、三条家も嫌がるだろうし、銭を受け取らない。

 しかし、帝の『即位の礼』に献金すると口実があれば、受け取りやすいだろう。


 だが、問題がある。

 帝本人だ。


「私が心配しておりますのは、帝です。帝は清廉潔白なお方であると……」


「そうでおじゃるな……」


 俺の献金は、ワイロなのだ。

 献金する代わりに、お願い事を聞いて欲しい。

 この時代では、よくあることだ。


 ただ、歴史本によると、後奈良天皇は潔癖な性格で、『官位は銭で買えぬ!』と、官位の見返り献金を突っ返したエピソードがあるのだ。


 麻呂彦は、扇子を額にあててしばらく考えた。


「そうでおじゃるな……。今川家の件、帝に直接お願いするとお怒りになるやもしれません」


「やはり! では、本件は難しいと?」


 俺が差し出した銀を引っ込めそうな顔をすると、麻呂彦は慌てて手を振った。


「まあ、待つでおじゃる。三条家と懇意の公家に声をかければ……、成るかと……」


「なるほど!」


 朝廷は帝がトップだが、周囲を固める公家も多い。

 三条家以外の公家を取り込んで、足利幕府が口出ししないように政治工作するということか。


「少々費えはかかりますが、よろしいでおじゃるか?」


「もちろんです!」


「では、麻呂は一晩休ませていただいたら、早速、京に戻るでおじゃる」


「よろしくお願いいたします!」


 交渉は成功だ!

 まずは一手指した!


 麻呂彦がいなくなり、俺一人になったところで、次の間につながるふすまに声をかけた。


「南! もういいぞ! 聞いていただろう?」


 ふすまが開いて、次の間から俺の妹『武田南』が入ってきた。


 今回の策は、南の献策だ。

 南の一芸は、賈詡だ。



【賈詡:智謀に非常に長け、献策を行う。人を魅了し、世渡りに秀でる】



 南は俺の前にチョコンと座るとニコリと笑った。


「上手く行きましたね! 兄上! 北条はいかがですか?」


「使者が来ると北条家から先触れが来た。二、三日で来るだろう」


「では、打ち合わせ通りに」


「ああ、南の献策通りに進めよう」


■―― 参考 ――■

戦国時代の貨幣の単位換算 レファレンス協同データベース 国立国会図書館

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000170301

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