第57話 追いかける事、銭形の如し

 ――今川軍今川義元。


 今川義元は撤退を決断したが、武田軍は素早く今川軍を包囲し逃げ場を塞いだ。


 しかし、太源雪斎は大薙刀を振り回し血路を開く。

 武田軍に包囲された中、一か所だけ開いた駿河へと続く細い道を、今川義元の近習と太源雪斎は馬で走り抜けた。


 武田軍の囲いを抜けると、太源雪斎は今川義元に告げた。


「逃げよ! 拙僧が殿となって、ここで武田軍を食い止めようぞ」


「和尚!?」


「早よう! 逃げよ! 生きていればこそ……、命あればこそなり! 臥薪嘗胆せよ!」


 武田軍の包囲は抜けたが、追手はすぐそこまで来ている。

 誰かがここで時間を稼がねばならない事を、義元は理解した。

 そして、師匠との今生の別れが訪れた事を悟った。


「くっ……さらば!」


 今川義元は近習を六騎引き連れ、駿河へ向け去った。

 太源雪斎は、しばし瞑目し、弟子との別れを惜しんだ。


「さらば……我が弟子……。さらば……我が息子よ……」


 太源雪斎と今川義元に血のつながりはないが、雪斎にとっては我が子同然の存在であった。

 我が身果てようとも、義元が生き長らえるなら後悔は無い。

 馬上の太源雪斎は、大薙刀を一振りし、武田軍に両手を広げて見せた。


「太源雪斎とは我なり! ここを通りたくば、我を倒してみよ!」



 *



「板垣さん! 不味いですよね!」


「はい。しかし、まだ間に合うかと!」


 俺と板垣さんは、武田軍、今川軍が乱戦を繰り広げる中に馬を乗りいれた。

 外で見ていたのだが、今川義元が包囲を破って脱出したのだ!


「ハル君!」


 右から香と千鶴隊の面々が合流した。

 恵姉上、妹の南が無事なのを見て、ほっと息を吐く。


「義元が包囲を破って逃げた!」


 手短に香に告げると、後ろから飯富虎昌の声が聞こえた。

 飯富虎昌と配下四人が、マウテンバイクに跨り合流した。


「そりゃ、ホントですか!? 追いましょう!」


「ああ、ここで逃がす訳にはいかない!」


 乱戦を抜けると、大柄な男が駿河へと抜ける道に立ち塞がっていた。

 僧形に胴だけ甲冑を纏い、馬上で大薙刀を振り回している。


「恐らく太源雪斎!」


「あれが……。私に任せて! ハル君は、義元を追って!」


 香が馬の横腹を蹴って、太源雪斎に突っ込む。


「こんの! クソ坊主!」


「ぬうっ!」


 真っ向から振り下ろされた香の薙刀を、太源雪斎は大薙刀で受け止めた。

 香はそのまま馬を寄せて、近距離で器用に薙刀を回転させ、二撃、三撃を叩き込む。


「女子の身で! やる!」


「あんたが諸悪の根源ね! 太源雪斎とかいうお坊さんでしょ!」


「しかり! 我は太源雪斎也! 女子よ! 名を申せ!」


「武田香! 武田晴信の正室よ! 戦国の巴御前よ!」


「片腹痛し! 巴御前は美しき女子なり!」


「言ったわね!」


 香と太源雪斎が打ち合う。

 その横合いから恵姉上が薙刀を差し入れた。


「ぬっ! 新手!」


「武田晴信の姉! 武田恵じゃ! その首貰い受ける!」


「やってみせい!」


 恵姉上が香に加勢した事で、太源雪斎は押されだした。

 妹の南が俺にきっぱりと言う。


「ここは千鶴隊が引き受けます。兄上は義元を追って下さい!」


「南……」


 千鶴隊は、馬上からクロスボウを今川兵に浴びせ、香と恵姉上が太源雪斎と戦う邪魔をさせないでいる。

 ここは任せるべきなのか……?

 女の子だけで大丈夫か?


 俺は迷ったが、飯富虎昌の言葉が俺の背中を押した。


「御屋形様! 今川義元を追いましょう! やらなきゃならないのでしょう?」


「そうだな……。やらなければ……。南! ここは任せる! 義元を追うぞ!」


「はっ!」


 俺は板垣さん、飯富虎昌、飯富虎昌の配下四人と義元を追った。

 二頭の馬と四台のマウンテンバイクが、飯富虎昌を先頭に坂を登る。


 駿河までは一本道だ。

 逃がしはしない!


 坂を登りきると、しばらくは下りが続いていた。

 道の先に七騎走るのが見える。


 飯富虎昌が吠え、マウンテンバイクを一気に加速させた。


「いたぞ! 義元だ! 討ち取れ!」


「「「「おおっ!」」」」


 飯富虎昌たち五騎のマウンテンバイクが、下り坂で一気に距離を詰めた。

 フレームにひっかけていた槍を手に取り飯富虎昌が吠える。


「飯富虎昌! 推参!」


「飯富虎昌!?」

「甲山の虎か!?」

「止めよ!」

「御屋形様を逃がせ!」


 今川勢が焦る声がここまで聞こえる。

 すると一人、立派な鎧兜に身を包んだ騎馬が馬体を返した。


「我こそは今川義元! 討って手柄にせよ! いざ!」


 義元を名乗る騎馬武者に今川の五騎が続き馬体を返した。


 ん?

 あれが義元?

 背格好が違うような……。


 違和感を覚えたのは、俺だけでなく、隣の板垣さんもだ。

 板垣さんは、素早く双眼鏡を手に取り覗き込んだ。


「御屋形様! あれを!」


 板垣さんが指さす先に一騎の騎馬が逃げていた。

 鎧兜を脱ぎ、小柄な体で必死に馬を走らせている。


 目を細めて見る。

 義元だ!


「そいつは義元じゃない! 先を走るヤツが義元だ!」


 俺は叫ぶと同時に馬体を蹴る。

 馬が加速し、下り坂を駆け下りる。

 揺れが激しい。


「ぐおおお!」


 俺は日常的に馬に乗ってはいるが、こんな激しく揺れる馬に乗った事は無い。

 もう、必死だよ。


「御屋形様! ここは我らが道を作ります! 御屋形様は義元を!」


「えっ!? 俺なの!?」


「いざ!」


 板垣さんは、先行して今川軍に斬りかかった。

 今川軍の殿六騎は、激しく抵抗した。

 さすがの飯富虎昌も手こずっている。


 飯富虎昌は、下り坂を猛スピードで走る俺をチラリと見て、今川の騎兵を槍で弾き飛ばし、俺が通れる道を作った。


「御屋形様! 頼みます!」


「おおお! おおう! おおう!」


 俺は舌をかまないように気を付けながら返事をしたが、内心は動揺していた。


 俺が一人で追うのかよ!

 俺が一人で義元を倒すのかよ!

 俺は戦闘系の一芸はないんだぞ!


 くそー! こうなったらやってやる!


「義元! 待てえええええ!」

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