第50話 策を巡らし合う事、軍師対決の如し

 ――二日目の夜。今川軍本陣。


 所変わって、ここは本栖湖もとすこ湖畔の今川軍本陣である。

 副将蒲原氏徳かんばら うじのり討ち死にの報は、すぐに今川本陣に届いた。


 夜になり、今川軍総大将今川義元は荒れた。

 怒りに任せ床几を蹴り上げる。


「くそっ! 蒲原が討たれるとは……」


 かたわらに控える太源雪斎たいげん せっさいが、ふみを読みながら落ち着き払っていさめる。


「落ち着かれよ。戦である以上、死ぬ者もおり申す」


「くっ! 和尚は、なぜそんなに落ち着いていられるか! 我が方の士気は、がた落ちだ! このままでは負けるぞ!」


「我が策成れり」


 太源雪斎は、短く告げた。

 義元はゴクリと唾を飲み込み、先ほどの怒りをすっかり忘れて太源雪斎に問うた。


「いつだ?」


「明日の昼には……武田軍は喜びから絶望へ変わり申そう」


 明日の昼には。

 太源雪斎の言葉を聞いて、義元はニンマリと笑った。


「気の毒にな」


諸行無常しょぎょう むじょうなり」



 *


 二日目は激しい攻防だった。


 死亡者は、五名。

 怪我人多数。


 夜になり、俺と香は、金創医きんそういと一緒に怪我人の治療を行っている。


 金創医とは、外科医の事だ。

 武田本家領内の寺から、金創医の心得のある坊主を二人連れてきているのだ。


「腕の骨は折れておりませぬが、腫れがひどうございますな」


 横田高松配下の守備兵を、金創医が診察する。

 骨折かどうかの判断は、俺には出来ない。


 だが、ひどい打ち身なら冷シップを貼って、安静にしていれば良くなるはずだ。

 俺の一芸【ネット通販風林火山】で購入した、包帯、滅菌ガーゼ、消毒薬、痛み止めなどの出番だ。


「じゃあ、冷シップをうって、腕をつろう」


 シップを貼り、包帯を巻く、三角巾で腕をつって、市販の痛み止め薬を二錠飲ませる。


「よし! 今夜はこれで、大人しく寝ろ。腕は動かさないように」


「御屋形様、ありがとうございます」


 兵士の多くは農民兼業だ。

 怪我で働けなくなると、武田家の農業生産力が落ちる。


 怪我は速やかに治療して、可能なら躑躅ヶ崎館に後送。

 怪我を治して、農作業に復帰してもらわないとね。


 俺は打ち身や骨折した守備兵に、包帯を巻いて、痛み止めを飲ませるだけだが、香の方はもっと凄い。


 矢で撃たれた兵士の治療を金創医と一緒にやっているのだ。

 金創医がヤットコのような器具で、刺さった矢を抜く。


 矢の先端、鏃に返しが付いている場合は、矢の刺さった周りの肉を切るのだ。

 香は顔色一つ変えずに、消毒液で消毒したナイフで肉を切る。

 金創医が矢を抜いたら、香は裁縫用の針と糸で傷口を縫う。


 俺なんか、見ているだけで失神しそうだよ。

 だが、手当されている守備兵は、みんな香に感謝して恍惚とした表情をしている。

 変な性癖に目覚めてないと良いのだけれど……。


 俺や香が出来る治療何てたかが知れているけれど、それでも何もやらないよりはマシだろう。

 シップを打てば治りが早いだろうし、傷を縫えば血が止まりやすいだろうし、痛み止めを飲ませれば多少は楽なはずだ。


 守備兵たちは、みんな物凄く感謝している。


 この時代、医者の数は少ないからね。

 農民が医者に治療してもらうなんて事は、まず無いのだ。


 治療が終わった所で、金創医が不思議そうに尋ねて来た。


「はて? 御屋形様と奥方様は、どこで金創医として学ばれたのでしょうか?」


「……我らの一芸だ」


「なるほど。では、これなるシップは? 白くてぶよぶよと面妖な……」


「それも一芸による物だ。打ち身を冷やし、腫れを抑える効果がある」


 シャンシャン! シャンシャン!

 シャンシャン! シャンシャン!


 マウテンバイク隊の鈴の音だ!

 甲府の方、搦め手からめての方から聞こえて来る。


「話はまた今度! 急な使いが来た!」


 金創医との話を切り上げて、搦め手門へ急ぐ。

 鈴の音を聞いて幹部連中も集まって来た。


「御屋形様!」


「小山田虎満! マウテンバイク隊だ!」


「いよいよですかな?」


 小山田虎満が期待のこもった目をしている。

 搦め手門につくと、マウテンバイク隊の隊員が俺に文を差し出した。


 ドキドキしながら文を開く。


「!」


「御屋形様?」


 そこには期待通りの内容が書かれていた。

 俺は幹部連中を守備兵から離れた所に連れて行く。


「文は富田郷左衛門から……。明日だ! 恐らく昼過ぎだろうとの事だ!」


 俺が手短に文の内容を告げると、事情を知っている板垣さん、小山田虎満、馬場信春、そして香は、コクリと肯いた。

 彼らは躑躅ヶ崎館で、この事について事前に打ち合わせしている。


「明日の昼に何か起こるのか?」


 めぐみ姉上が俺に聞く。

 恵姉上、妹のみなみ、搦め手指揮の横田高松よこた たかとし九一色衆くいっしきしゅうの渡辺縄さんは、事情を知らない。


「板垣さん。話しても良いですかね?」


「そうですな。指揮官は、この策について知っておかねば、明日我が軍は混乱をきたすでしょう。お話しになった方がよろしいかと」


 俺は、水面下で進行している作戦を、恵姉上、南、横田高松、渡辺縄さんにも打ち明ける事にした。


「これから話す事は、他言無用! 実は――」


 俺が作戦について話すと、作戦を知らなかった四人は驚愕した。


「何とな!」


「兄上! それは事実なのでしょうか?」


「どうりで……。甘利殿と飯富おぶ殿がいない訳ですな……」


「ううむ……。我ら九一色衆は良いとしても……」


 四人が次々に質問をしてくる。

 俺は一人一人丁寧に回答した。


「明日の昼、守備兵たちは動揺すると思う。各所の指揮官が落ち着かせてくれ。良いな?」


「ひゃひゃひゃ! それは、まあ、大丈夫でしょう。しかし、今川義元も気の毒な事ですなあ。策にはめたつもりが、はめられているとは」


 妖怪ジジイ小山田虎満が、顎をさすりながらいつものニヤニヤ笑いをする。

 よっぽど楽しいんだな。


「そうだな。明日、義元を討つ!」


 俺がきっぱりと宣言すると全員の顔が引き締まった。

 そのまま、明日昼以降の行動計画、作戦を立てて行く。


 この世界に転生して、俺は戦国時代の歴史を大慌てで勉強した。

 ネット通販風林火山で戦国時代関連の歴史本を買い、熱心に読んだ。

 それで全てわかったつもりでいた。


 しかし、俺の知っている歴史と違う大きな動きが起こったのだ。


 例えば、父武田信虎の早い死。

 俺は歴史よりも早く武田家を継ぐ事になった。


 そして、今回の今川家による甲斐侵攻。

 俺は激しく動揺した。


 本来の歴史では、生きていた筈の父武田信虎が今川家の駿河に侵攻するのだ。

 だが、歴史と違って武田家の棟梁は俺だ。

 俺が駿河侵攻を行わなければ、『今年、戦は起こらない』。

 そんな風に考えて、油断していたのだ。


 だが、今川家は攻め込んで来た。


 俺は悩んだ。

 知っている歴史と違う動きに、どう対応すれば良いのか?


 そして、答えを出した。

 俺の好きにやる!


 そこで俺は予定を変更した。

 来年今川家で起こる家督相続争い『花倉の乱はなぐらのらん』に乗じて今川家の領土を削るつもりだった。

 だが、その予定は変更だ。


 ここで今川義元を討つのだ!


 もちろん『花倉の乱』の一方の当事者今川義元を討てば、来年今川家で起こる家督相続争い『花倉の乱』は、起きないかもしれない。

 それはそれで、仕方がない。


 俺が存在した事で歴史が変わり、俺が動いた事で歴史がさらに変わる。

 知らない歴史が展開され、知らない戦国時代で俺はサバイバルをする。

 それが歴史を作るという事だろう。


「――では、これで良いか?」


 一通り明日の作戦を確認して、俺はみんなの顔を見る。

 馬場信春が疑義を呈する。


「うーむ。悪くはありませんが……今川義元を取り逃がす可能性もありますな……」


「ダメか?」


「そうですな……。凡将であれば、討ち取れるでしょう。しかし、良将であれば、自らの策が破られ、我らの策に気が付いた時点で逃げをうちます。そして、本栖城から今川本陣は距離がございます。逃げをうたれては、追いきれないかと……」


 馬場信春は山頂の見張り台で、ここ二日様子を見ている。

 俯瞰で見ているから、全体的な距離感は一番つかめているはずだ。

 馬場信春の意見は無視できない。


「うーん……、義元は討ち漏らしたくないな。将来的に最も邪魔になる男だ。ここで始末しておきたい」


 俺たち武田家は、駿河、遠江とおとうみ方面に勢力を伸ばし、今川家を飲み込んで行く。

 その時に、優秀な今川義元が今川家の棟梁でない方が良い。


「太郎兄上。それでは、このようにしてみては?」


 それまで黙って話を聞いていた妹の南が発言した。

 小枝を使って地面に図を書き、策を提示する。


 南の一芸【賈詡かく】か!



【賈詡:智謀に非常に長け、献策を行う。人を魅了し、世渡りに秀でる】



「南の献策を採用しよう」


 南の献策は、実現可能で効果的な物だった。

 板垣さんたち歴戦の将も納得したので、採用した。


 さあ、明日決着だ!

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