第33話 人を信じる事、お花畑の如し

 ――十日後。


「えっ!? 飯富虎昌おぶ とらまさが帰って来た!?」


 早いな!

 一月位かかると思ったのだが、十日で戻って来たか。


 飯富虎昌には三河国みかわのくに、現代日本だと静岡県の岡崎まで行ってもらった。

 松平家の当主松平清康まつだいら きよやすに暗殺の警告をする為だ。


 躑躅ヶ崎館つつじがさきのやかたの俺の部屋に飯富虎昌が入って来た。


「いやあ! 御屋形様! 飯富虎昌! ただいま戻りました!」


「おう! お疲れ様! 早かったな! 今、板垣さんたちを呼ぶから、ちょっと待ってくれ!」


 飯富虎昌は旅の疲れも見せずニカッと笑い白い歯を見せた。

 俺の補佐役板垣さんと情報担当の富田郷左衛門を呼び飯富虎昌から話を聞く事にした。


「じゃあ、始めようか。飯富虎昌は、本当にご苦労だった。松平清康まつだいら きよやす殿には会えたか?」


「はっ! 御屋形様からお預かりした書状を直接お渡ししました」


 よし、ちゃんと役目を果たしたな。

 はっきり言って飯富虎昌は脳筋!

 板垣さんの様な外交は難しい。そこで今回俺が書状を持たせた。



 ・織田信秀が陰謀を巡らせているとの情報を掴んだ。

 ・裏切り者がいると根も葉もない噂を流して、松平家家中を混乱させる手はず。

 ・さらに別の者をそそのかして、松平清康まつだいら きよやす殿を暗殺させようとしている。

 ・今年の冬が特に危険。

 ・十分に注意されたし。



 ……という内容の書状だ。


 松平清康まつだいら きよやすの暗殺が織田信秀の仕業だという確証はないが、書状の信憑性を増す為に悪者にしてしまった。

 書状を受け取ってくれたなら、こちらの言いたい事は伝わったはずだ。


「それで書状を読んだ松平清康まつだいら きよやす殿は、どうだった?」


 俺が松平清康まつだいら きよやすの反応を聞くと飯富虎昌は腕を組み渋い顔をした。


「うーん……書状を預かって来ましたので、まずはそちらを……」


 飯富虎昌は懐から松平清康まつだいら きよやすから俺宛の書状を取り出した。

 どうも飯富虎昌の反応を見ると芳しくないみたいだな……。


 とにかく書状に目を通そう。

 どれどれ……。


 ……。


 ……。


 ……。


「うーん……」


 そうか……弱ったな……。


 俺が松平清康まつだいら きよやすからの書状を床に置いて考え込むと、板垣さんが書状の内容を聞いて来た。


松平清康まつだいら きよやす殿はなんと?」


「これを読んで下さい」


 板垣さん、続いて富田郷左衛門が書状を読む。


「うーん……」

「うーん……」


 四人で腕を組んで考え込んでしまった。


 松平清康まつだいら きよやすからの返事はこうだ。



 ・織田信秀は卑怯で物事の道理を弁えぬ悪漢である。

 ・報せてくれた陰謀は、さもありなん。

 ・されど松平家は一枚岩で裏切り者などいない。

 ・君主が家臣を信じるからこそ、家臣も君主を慕うのである。

 ・織田信秀の策など笑止千万。

 ・情報を伝えてくれた事は大変感謝する。



 俺の口からポロッと本音が漏れてしまった。


松平清康まつだいら きよやすは、阿呆か?」


 俺の言葉を皮切りに三人も思った事を語り出した。

 まず、松平清康まつだいら きよやすに実際に会った飯富虎昌が語る。


「いや、会ってみて人物は立派だと思いましたよ。けどね……立派過ぎて……もうちょっと人を疑うとかしないと……後ろからバッサリですよ」


「だよねえ……」


 続いて板垣さんが語る。


「君主としては誠にご立派な心掛け。なれど、現実は非情にございます。書状を拝見するに……乱世に生きる自覚が不足されているのでは?」


「厳しい言葉だけど、その通りだよねえ……」


 最後に富田郷左衛門。


松平清康まつだいら きよやす様は非常に徳の高い領主として領民に慕われております。しかしながら清濁併せ呑む事は苦手としておられるようですな。これはダメでしょう……」


「ですよねえ……」


 これはダメでしょうって富田郷左衛門も容赦ないな。

 いや、もうちょい状況を確認しよう。


「飯富虎昌、あのさぁ……。三河ではどうだったの?」


「歓迎してもらえましたよ。遠い甲斐国かいのくにから遥々と……とおしゃってました。松平清康まつだいら きよやす殿も松平家家中も喜んでくれましたよ」


「そうか……じゃあ、訪問自体は嫌がられてない訳か……。俺が書状に書いた事を、信じてくれたのかな?」


「ええ。信じてくれましたよ。『俺が信濃経由の山越えで道に迷わず三河まで来られたのは、情報を集めている者がいるからだ』って言ったら信じましたよ」


「それでこの返事か……」


 松平清康まつだいら きよやすは、真面目というか……きつい言い方をすれば『脳内お花畑』だ。


『信じれば、裏切られない』


 そんな事はこの戦国時代では通用しないよ。

 俺が武田家の中で自分の派閥を作るのに、どれだけの金を使ってバラマキをやった事か!


 そりゃ戦国時代の人間だって、モラルとか、忠誠心とか……そういうのはあるよ。

 けれどベースになる利益を提供しなきゃ人はついてこない。


 逆にいうと……。

 君主が家臣に利益提供を出来なくなり、君主より大きな利益提供をする人間が他にいれば、家臣が裏切る可能性は高くなる。


 そんな事は戦国時代の常識……いや現代日本であっても、不当に給料が安かったり待遇が悪ければ、職場から人がいなくなる。

 誰だって自分の生活や自分の家族、そして自分の人生が大切なのだ。


 さて……それはさておき……。


「これは……松平清康まつだいら きよやすは……助からないかもしれないね……」


 俺の言葉を板垣さんが引き継ぐ。


「恐らくは……。御屋形様がおっしゃった通りに、阿部正豊あべ まさとよの手にかかり殺害される可能性が高いと思われます」


「ふー。その前提でこれからの武田家の行動を組み立てましょう……」


 これはもう仕方がない。

 松平清康まつだいら きよやすには生きていてもらう方が武田家にとって都合が良いと幹部会議で結論が出たが止むなしだ。


「飯富虎昌、ご苦労だった。香はお前がいない間は出歩かないと言って部屋に籠っているから顔を出してやってくれ」


「かしこまりました!」


 飯富虎昌が退出すると板垣さんが話題を変えた。


「マウテンバイクの移動速度が素晴らしいですな。駒井高白斎が予算を組んで、伝令部隊に使わせたいと言っておりましたな」


「ええ。今回の事で、その件は前に進むでしょう」


 その後は事務的な話をして解散になった。


 松平清康まつだいら きよやすからの書状には、『飯富虎昌が本多忠真ほんだ ただざねと殴り合いのケンカになったが、決着をつけるなら相撲にして欲しい。槍合わせは止めてくれ』と書いてあった。


 その事には誰も触れなかった。

 板垣さんも富田郷左衛門も華麗にスルーしていた。


 一体、三河松平家で飯富虎昌は何をしのたやら。

 酒を飲んでどうとか、廊下で肩がぶつかってこうとか、目と目が合ってとか、どうせそういうレベルだろう。


 ちなみに本多忠真は、かの有名な猛将本多忠勝ほんだ ただかつの叔父で育ての親だ。

 本多忠真も甥に負けず劣らずの猛将として名を残している。


 飯富虎昌は香にデレデレのだらしのない男に見えるが、実は『甲山の猛虎』なんて異名を持つ武闘派だ。


 そんな二人に挟まれて、松平清康も生きた心地がしなかっただろうな。

 

 俺は三河の方に向かって軽く頭を下げた。

 もし、お互い生き残って会う事があったら一杯おごりますよ。

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