第34話 陰謀を張り巡らせる事、蜘蛛の如し

 ――天文四年、初夏。


「不味いな……雨がまったく降らない……これは干ばつになるな……」


 俺は躑躅ヶ崎館つつじがさきのやかたの自室から空を見上げ一人つぶやく。

 初夏の青い空には白い雲が浮かび、太陽が元気に輝いている。


 元気すぎるだろう。

 太陽。


 結局、春は一日も雨が降らなかった。

 そのまま梅雨時になったが、雨が降る気配はまったくない。


 太陽が照り付け、気温だけが上がっている。

 例年なら川には水がたっぷりと流れている時期だそうだが、今年は冬のように川の水量は少ない。


 甲斐国かいのくに武田家領地は、かんばつ対策を進めていた事が幸いした。


 馬場信春ばばのぶはるが造成した溜池ためいけには、まだ水がたっぷりとある。

 領内に巡らした農業用の水路にも、チョロチョロとだが途切れる事無く水が流れている。


 米の生産を減らして雑穀ざっこく類の生産を増やしたのも良かった。

 水を流し込む水田を絞り込んであるので、水のやり繰りが出来ている。


 甘利虎泰あまりとらやすが新設した井戸も効いている。

 領民が生活用水に困る事がないので、水不足の心配がある天気が続いているが領民たちは落ち着いているのだ。


 これなら領内で水争いが起こる事はなさそうだ。


 だが、他の領地は厳しいだろうな……。

 何も対策をしていなければ、今の状況では領民が動揺するだろうし、秋の収穫量も相当減るはずだ。


「御屋形様、失礼いたします」


 内政担当の駒井高白斎こまいこうはくさいが部屋に入って来た。

 イグサのカーペットに交換した床にきちんと座り、丁寧に一礼する。


「ジャガイモの収穫状況ですが、かなりの量が収穫できています」


「良かった~。ジャガイモの栽培は成功しましたね」


 武田家本家の領内、つまり、俺が直接農業指導をした地域では、春先に植えたジャガイモの収穫時期を迎えている。

 初めて栽培する作物だし、上手く行くかちょっと不安だった。


 ジャガイモの種イモは、ネット通販『風林火山』で買った1kgで398円の安いヤツな。

 武田家本家領内にくまなく配るから、コストを抑えた。


「ジャガイモの芽は腹を下すので、芽を食べないように徹底して下さい。それと干ばつになりそうだから、食料を節約するように伝えて!」


「かしこまりました! すぐにマウンテンバイク隊を出し、村々を回らせます!」


 飯富虎昌おぶとらまさの単独三河行に気を良くした駒井高白斎は、マウンテンバイク導入の予算を組み10台を導入した。


 飯富虎昌隊からつのった希望者10人の侍がマウテンバイクに乗る。

 武田家本家躑躅ヶ崎館に8台が常駐し、本栖城に2台を常駐させている。


 これまでは領内に『触れ』を出すと伝えるのに数日かかったが、マウンテンバイクを導入したら一日で済む様になった。


 リンリン! リンリン! リンリン! リンリン!


 初夏の青い空に鈴の音が響く。

 マウテンバイク隊が出発した音だ。


 マウンテンバイクには細い竹竿を取り付けて、武田家の家紋の入った旗と鈴を取り付けた。

 見た目と音で伝令のマウンテンバイクが近づいて来るのが遠くからでもわかる仕組みだ。


 マウンテンバイクに乗る隊員は、戦時を想定して甲冑を身に着けて行動させている。

 無いとは思うが万一盗賊など不届き者との交戦に備えてだ。


「御屋形様、よろしいでしょうか?」


 今度は板垣さんが情報担当の富田郷左衛門とみたごうざえもんを連れてやって来た。

 板垣さんと富田郷左衛門は、イグサカーペットの上に座ると直ぐに用件を切り出した。


 まず板垣さんが河内地方の穴山家、郡内地方の小山田家について話し始めた。


「穴山、小山田、両家にしつこく面談を申し込んでおりますが、断られています」


 穴山家と小山田家は、甲斐国の中でも重要な国人衆だ。

 しっかりと味方に取り込んでおきたいのだが、ずっと面談を拒否されている。


 両家の当主は俺が周辺国と和睦を結んだことが気に入らないらしい。

 弱腰だ! ……と俺を批判している。


「参りましたね……ダメですか……」


「それで……両家について富田郷左衛門から気になる話が……」


「気になる話?」


 続いて富田郷左衛門が話し始めた。


「穴山家、小山田家を監視している『三ツ者』から報告がございまして……両家に何者かが接触しているとの事です」


「何者かが接触? うん? どういう事だろう?」


 板垣さんが眉根を寄せ、声を潜め静かに話す。


「恐らくは……他国から調略の手が伸びているかと……」


「調略ですか……」


 調略というのは、敵対勢力にいる人間を自陣営に引き込む活動の事だ。

 戦国時代では盛んに行われていて、織田信長や羽柴秀吉も得意にしていた。


 調略が成功すれば、それまで敵対勢力だったエリアがあっという間に自陣営エリアに変わる。

 ゲーム『リバーシ』であるでしょ?

 それまで白いコマが優勢だったのが、一手打つことでコマが裏返り黒一色に変わってしまう。

 そんな感じのパワフルな攻略手段だ。


 調略を仕掛けて来たのはどこだろう?

 相模の北条家?

 信濃の諏訪家?


 富田郷左衛門に調略を仕掛けて来た相手を確認する。


「調略を仕掛けて来たのは、どこかわかるか?」


「恐らくは今川家かと……」


 駿河の今川家か!

 意外だな。

 今川家当主の今川氏輝は無能ではないが、優秀ではない。

 調略で切り崩し工作をする様な能力はないと思うが……。


「今川家か……当主の今川氏輝が調略を仕掛けて来たのか?」


「いえ。恐らくは今川義元でありましょう。駿河からの報告によりますと……今川義元の屋敷では頻繁に人が出入りしているとの事です」


「クソッ! 今川義元か……」


 京都から駿河に入るなり調略を仕掛けて来るとはな。

 要注意人物だと思っていたが、早くも動き出したか……。


「板垣さん。どう思いますか?」


「左様ですな……。今川義元は御屋形様と、さして年は違わぬはず……にも関わらず駿河入りしてから日を置かずして調略を仕掛けて来るとは……」


「今川義元には、知恵袋がいますから。太原雪斎って僧が京都からついて来たはずです。富田郷左衛門、どうか? 太原雪斎も義元と一緒にいるか?」


「はっ。御屋形様のおっしゃる通り太原雪斎なる僧が今川義元の屋敷におります。常に行動を共にしている様子です」


「この太原雪斎って僧がやり手なんですよ。権謀術数に長けたヤツです」


「厄介ですな……」


 史実において太原雪斎は三国同盟成立の立役者だ。

 甲斐国の武田家、相模国の北条家、駿河国の今川家、この三家が一堂に会し同盟を結んだのが三国同盟で『甲相駿三国同盟』とも言われる。

 戦国時代の一大歴史イベントだ。


 三国同盟が結ばれるのは天文二十三年……今は天文四年なので、三国同盟はまだまだ先の話しだ。

 三国同盟の事は気にしなくて良い。

 だが……。


「太原雪斎……ヤツがどんな策謀を巡らすのか知れたものじゃない! 富田郷左衛門! 今川義元と太原雪斎への監視を強めろ! 穴山家、小山田家からも目を離すな!」


「はっ! しっかとうけたまわりました!」

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