第32話 穴山田を待つ事、ベケットの如し

「今川義元が京都から戻ったか……予想はしていたけれど思ったよりも早いな……」


 俺は富田郷左衛門の報告を受けてつぶやいた。

 今年天文四年に今川義元が京都から戻って来る事は織り込み済みだ。

 史実通りの展開で問題はない。


 ただ、思ったよりもタイミングが早い。

 俺は夏以降に今川義元が駿河に入ると思っていた。


 今は初春。

 タイミングが俺の予想より早い理由はなんだろう?


 ネット通販『風林火山』で買った歴史本には『天文四年に京都の寺から駿河に呼び戻される』とだけ書いてあった。

 具体的にいつ戻ったかは書いてないのだ。


 義元の『戻り』が早いのが、ちょっと気になるな……。


 この世界は俺がいた戦国時代とまったく同じ……という訳ではない。

 微妙に違う所があるし、俺が歴史を変えてしまっている。

 義元が戻った今川家には、気を付けないとな。


 俺が腕を組み静かに考えていると板垣さんが興奮気味に話しかけて来た。


「御屋形様が一芸でお知りになった通りの展開ですな! 今川家で相続争いが起こる可能性が高こうなって来ましたな!」


 俺にとっては歴史書に書いてある事を伝えただけなのだが、家臣たちにすれば『予言』に聞こえていたのだろう。

 普段は冷静な板垣さんだが、グッと拳を握り、顔を紅潮させている。


「そうですね。来年天文五年に今川家で内乱が起こる可能性が高まりました。富田郷左衛門! 今川家の監視、情報収取は今以上に力を入れてくれ!」


「ははっ! 承知いたしました!」


 これで一つ歴史の歯車が進んだ。

 そして来年武田家が今川家の内乱に乗じるとしたら……。

 うーん、まだ固めていない事があるな。


「板垣さん。穴山信友あなやま のぶとも小山田信有おやまだ のぶありとの面談はまだですか?」


「申し訳ございません。穴山家にも小山田家にも使いは送っているのですが……色々と理由を付けては断られています……」


「父信虎の葬儀には来ていましたけどねえ……」


 明らかに避けられているな。


 穴山家と小山田家は、甲斐国を統治するのに外せない二家だ。

 略して穴山田。


 小山田家と言っても、妖怪じじいの小山田虎満おやまだ とらみつの小山田家とは別の小山田家ね。


 小山田虎満おやまだ とらみつの方は、石田小山田と呼ばれている。

 小山田信有の方は、郡内ぐんない小山田と呼ばれている。


 小山田でも別の系統の小山田家なのだ。


 武田家が甲斐国を統治していると言っても、武田家本家だけで甲斐国を隅から隅まで統治している訳じゃない。


 武田家本家の領地は甲斐国の中でも、甲府盆地辺りだ。

 他の地域は国人とか国人衆と言われる侍が大小さまざまな領地を持って、それぞれ治めている。


 あまり中央集権じゃないんだ。

 だから俺は武田家本家の当主だけれど、大小さまざまな国人に配慮しなくちゃならない。


 甲斐国の国人の中で一番大きいのが、穴山家と小山田家だ。


 穴山家は甲府盆地の左下、河内地方が領地だ。

 小山田家は甲府盆地の右下、郡内地方が領地だ。


 どちらも山の間に平地がある様な場所なので、生産力はそれ程でもないが、それなりに人が住んでいる。

 戦になれば500~800人は動員できる。


 ネット通販『風林火山』で買った歴史本によると、『武田家は武田本家と小山田家、穴山家との連合政権だったのではないか?』という説もある。

 実際の所は不明だが、それ位甲斐国に影響力があるという事だ。


 来年今川家を攻めるなら両家にも参加して欲しい。

 その為にも穴山信友と小山田信有に躑躅ヶ崎館つつじがさきのやかたに来て貰って、しっかり話し合っておきたいのだが……。


 なぜか拒否られている……。

 なんで?

 俺が若いから?


 内政結構がんばっているんだけどなあ。

 信虎パパよりも部下に優しいんだけどなあ。


 富田郷左衛門が申し訳なさそうに話し出した。


「恐れながら申し上げます……。その……穴山信友殿も小山田信有殿も……あまり御屋形様の事を……なんと申しますか……評価しておりませんで……」


「えっ!? どうして!?」


「はい。『三ツ者』からの報告によりますと、両者とも御屋形様があちこち和睦を進めたのが気に入らないらしく……その……」


「遠慮しなくて良い。情報を正確に伝えてくれ」


「はっ! その……御屋形様の事を……臆病者とか、腰抜けとか申しておるようでして……」


「……」


 ああ、そういう事か……。

 うーん……今川家を攻める為に他と和睦しているだけなのだが……。

 腰抜けどころか、かなりリスクを取って来年今川家を攻めるつもりなのだが……。

 今川家を攻める事を知らなければ、見方によっては弱気に見えるのかな……。


「しかし、今の段階で今川家を攻めると両者に伝える訳にはいかないな……」


「左様でございますね。両者が今川家に情報を漏らさないとも限りません。ギリギリまで秘匿する方がよろしいでしょう」


 板垣さんも俺と同じ意見らしい。


「板垣さん、どうしましょうか?」


「そうですね……しつこく会談の呼びかけを続けるくらいしか……」


「ですよねー! 裏切った訳じゃないから出兵する訳にもいきませんしね……」


「左様でございますな。両家は何代にも渡って武田家と婚姻を結んでおりますし……礼を失した態度だと思いますが、成敗するのは……」


「下策ですよね。それこそ出兵したら今川家か北条家についてしまうかもしれない」


「その通りです」


 この時代はこういう所がメンドクサイ。

 足利幕府からしてそうだけれど、この時代の戦国大名は沢山ある武家の地域代表なんだよね。

 もっと中央集権なら、俺が幹部と相談して命令するだけで甲斐国全体を動かせる。


 幸か不幸か父信虎がかなりの数の家臣を手打ちにしたから、武田家の中央集権化はちょっと進んだ。

 甲府盆地内はだいたい武田本家の直轄領だ。


 その代わり優秀な部下が甲斐国から逃げちゃったけど。

 武田四名臣の一人『内藤昌豊』なんて現在ガチで逃亡中だからな。


 内藤昌豊は、政治も戦もマルチにこなす名将だ。

 他所に取られたらシャレにならない。

 富田郷左衛門の配下に探させているよ。


「穴山、小山田、両家も引き続き監視しくれ」


「かしこまりました!」


 気掛かりな事はあるが、事態は少しずつ進んでいる。

 穴山田は来てくれるだろうか?

 干ばつを乗り切れるだろうか?


■作者補足

天文四年の今川義元は、まだ『義元』と名乗っていません。

戦国時代は、名前がころころ変わります。

子供の頃の名前、成人した名前、改名した名前(同盟を組んだとか、力の強い大名から一字貰うとか)、仏門に入った名前(武田信玄は晴信から、信玄に変えています)とかです。

本作では読者が混乱する事を避けるために、改名はさけるようにしています。

登場時点から一番有名な名前で出しているキャラが多いです。

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