校舎裏の魔法使い
@kanoopy
第1話 校舎裏の魔法使い
昼休みの学校は、だいたいどこでも騒がしい。
教室にいれば、昨日のテレビ見たー?とか、誰々のインスタ、あれやばかったーとかいう話をする女子たちで溢れている。
グラウンドに出れば、男子の大群がぎゃあぎゃあ言いながらドッジボールをしている。
かといって静かそうな図書室でも、暇を持て余した図書委員たちがひそひそ談笑しているのが、なんだか嫌だ。
廊下も然り。中庭も然り。
昼休みの学校に静かな場所なんてないのだ。
ただ一か所を除いては、の話だが。
古くなった落書きだらけの壁。伸びっ放しの雑草。
見事にほったらかされているこの場所が、昼休みの私の定位置。
俗に言う「校舎裏」。
壁の落書きを見る限り、過去にはここに入った人もいるんだろうが、最近はそうではないらしい。
私の経験上、この場所で人に出会ったことはないのだから。
校舎裏に好きな人を呼び出して告白、なんていうラブコメをよく見かけるが、実際にはそんなにたいした場所ではない。
私はいつからかこの場所に通うようになっている。
どうしてここを見つけたのかは忘れてしまった。それでも毎日ここに来るのは、たぶんこの場所が好きだからだ。
学校の外から聞こえる車の音と、グラウンドから少しだけ聞こえる騒ぎ声に挟まれながら、何をするでもなくただ座っている昼休みが、なかなか悪くないからだ。
こんな至って平和な日常に、小さな変化が訪れたのは二週間前だった。
昼休みが始まって、私はいつものように校舎裏に向かった。
そこに人の姿があったのだ。
「なに、してるんですか」
気づいたときにはもう口からこぼれていた。
背が高くて、少し華奢で、メガネをかけたその男子は、心底驚いているようだった。
こんなところに知らない人が急に入ってきて、第一声が「なに、してるんですか」では無理もない。
しばらくして、メガネくんが口を開いた。
「ここは、先輩専用の場所ですか」
「先輩」という聞き慣れない言葉が、体の中にするっと入ってくる。
どうやら彼は、つい数日前に入学してきた一年生のようだ。
私、先輩っぽく見えたのかな。
浮かれていたが、すぐに自分の胸に付いている名札の存在を思い出した。
学年ごとに色分けされているこの名札を見れば、私が二年生であることなど一目瞭然である。
少し、残念な気分になった。
「いや、この学校に私専用の場所なんてないよ?いつも誰もいないからびっくりしただけ」
「なるほど」
メガネくんは短くそう言って、その場に座り込んだ。
その日、校舎裏にはなんとも不思議な空気が流れていた。
でも、私も彼もそこから逃げ出そうとはしなかった。
そして予鈴が鳴ったとき、二人は同時に立ち上がって、何事もなかったかのようにそこから立ち去った。
次の日も、その次の日も、メガネくんはそこにいた。
「こんにちは」と挨拶をするようになった。
少しだけ会話をするようになった。
お互いに名前も知らない「先輩」「後輩」の関係。
そこには、理由の分からない心地良さがあった気がした。
でも今日、校舎裏には私しかいない。
久しぶりのこの空気を満喫しようと、私は大きく伸びをした。
だが、どこかくつろげない。
立ってみたり座ってみたり、寝転んでみたりしたが、何かが違う。
考えて、考えて、私は気づいてしまった。
いや、本当は最初から分かっていたのかもしれない。
その考えが自分にとってあまり認めたくないものだった、それだけかもしれない。
私は、自分の中にある疑問と向き合った。
メガネくんが来る前、私ここでどう過ごしてたっけ?
友達がいないわけではないし、みんなでわいわいするのも好きだ。
それでも人と過ごすのはやっぱり気が張るし、一人の時間も大切にしたいと思っていた。
そんなときに見つけた校舎裏。
一年生のときから、いつもこの場所で、一人で昼休みを過ごすのが日常だった。
でも、今は違う。
私と、メガネくん。
当然のように昼休みはここに集まる。話す。笑う。
たった二週間で、私にとっての「日常」は簡単に塗り替えられてしまったのだ。
ここまで深く考えるようなことではないのかもしれない。
ただ、今日の私には、これがとてつもなく大きな変化に思えてしまうのだ。
私は、なんとなく居心地が悪くなって、座っていた場所から立ち上がった。
いつからか、雨がポツポツと降り出していた。
小走りで教室に向かう。
そのとき、同じく小走りでやって来る人影があった。
「あ、先輩」
メガネがかかったその目は、こちらを見ている。
「委員会だったんですよ。なかなか面倒ですね。話長いですし」
私が何も応えられないことに気づかないまま、メガネくんは委員会への不満を言っている。
いつになく一人でぺらぺらと喋っていたが、黙りこくっている私にやっと気づいたようだった。
「あれ、先輩どうかしました?」
雨で濡れるメガネを外して、着ているシャツで拭きながら問いかけてくる。
「委員会あったのに、なんで来るの。雨降ってるし、昼休みもあと少しでしょ」
本当に思っているのかも分からないことを、問い返した。
だんだんと強くなってきた雨に降られながら、私はなぜか呆れている。
「なに言ってるんですか」
メガネの奥の目が笑った。
「ここで先輩に会わないなんて、非日常ですよ」
……「非日常」か。
ほんとはこっちが非日常だったはずなのにな。
まあいいか。
「よし、早く行くよ。これ以上濡れたくないでしょ」
思っていたよりもずっと大きな声が出て、それが恥ずかしくて小さく咳払いをした。
自分の日常の中に誰かがいて、誰かの日常の中に自分がいる。
たぶん、すごく素敵なことだ。
人だけではない。
決してキラキラはしていないけど、いつも温かい光で満ちている場所。
いつのまにか、大切なものになっていた場所。
そんな校舎裏にまた一つ、小さな光が差し込んだ。
校舎裏の魔法使い @kanoopy
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