別れの日

 ピピピピピッ、目覚まし時計のデジタル音で淳は目を覚ました。


 ベッドから腕を伸ばしてアラームを止める。


 来週の水曜日、淳はもうこの街にいない。


 新しい家、新しい街、新しい学校、新しい友達……。


 手提げ袋の中の筆記用具をチェックしながら、淳はあの日の病室でのことを思い出していた。


 あの時の明仁の瞳は、何かを訴えていた。淳にはそれが、明仁の心の声がよく聞こえていた。


「オレたちはもう以前のようには戻れない。おまえたちが僕から大事な何かを奪ってしまった。そして、壊してしまったんだ」


 淳は痛感していた、彼自身が傷つくのを恐れて、誰かを代わりに傷つけていた、愚かで臆病な負け犬だったんだと。


 ふと淳は部屋の本棚に視線を向ける。殆どの本は既に引っ越し用のダンボール箱に詰め込んでいたが、数冊だけはまだ残っていた。


 その中に、京一が選別にくれた『巌窟王』があった。


 一学期の終業式以来、淳は京一とは会っていなかった。今日の登校日で久しぶりに会うことになる。


 淳は、京一と担任の先生以外に、来週自分が引っ越すことは誰にも話していなかった。


 彼は本を手に取ると、物語の最後のページを捲る。伯爵は最後、旅立つ前に友に手紙を残した。手紙の中で伯爵はこう言った。


「人類の英知はたったふたつの言葉で割り切れる、『待つこと』と『望むこと』に」


 淳は伯爵に心の中で問いかけた。


 こんな自分にも、まだ何かを望み、待つことは許されるのだろうか。


 明仁の瞳がまた昔のように輝く日は来るのだろうか。


 京一や周が、それぞれに答えを探し、見つける日が来るのだろうか。


 いつか何処かで皆と再会する日が来て、このことを一緒に笑える日が……。


 そこで淳は本を静かに閉じて、思考を中断する。


 「待つこと、望むこと……」 


 声に出して呟いてみる。


 窓を開けると、朝のひんやりした空気が部屋に流れ込んできた。気持ちのいい程に透き通った蒼色の空を遠めに見つめながら、淳はひとり小さく震えていた。

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