5-3 機械の原理
左の上腕が刈り取られる。電理機の制御を離れた電装が光の粉と散る。
「しまった……」
[次、右下です]
「下!? っ……あぶな!」
電導士の少年は、相棒の妖精とともにこれまで機械の怪物を何体も仕留めてきた。だがその狩人の経験をもってしても、電導甲冑を屠ってみせた相手は難敵だった。
そして皮肉なことに、仮初の身体が傷つけば傷つくほど扱うべき情報が減り、コーヤの脳にかかる負担は減少していった。余裕が戻るにつれ、戦闘以外のことに思考を巡らす余地が出てくる。
『……こいつ。本当に倒せるのか?』
[倒せます]
思わず脳裡に浮かんだ弱音に対して、直接通信でつながる相棒はあっさり肯定してみせた。戦闘用人格にシフト中の妖精は淡々とした調子で告げてくる。
[マスター、覚えていますか。前回の戦闘の最後、どこかから鐘の音が聞こえたのを]
[……ああ、あれ]
[あれはおそらく、活動限界を知らせるためのもの。向こうにはきっと、なんらかの制限が課せられているんです]
[と、言うと]
[これは推測ですが。死神――
[根拠は?]
[先程、
滔々と語られて、一瞬理解が追い付かなかった。わずかに身体が硬直したところに高速の横薙ぎが閃く。
「くっ!」
『
息を呑むのが精一杯だった主に代わり、妖精が少年の反射神経に電気信号を流す。足が小さく跳ねてアスファルトを一蹴り、前髪の何本かを散らせながらも後退に成功する。
[……大気の熱伝導度や水の粘性を変えることはできても、好きな場所に雨を降らすことはできないってことか?]
[はい。現にこうして、エミリアさんやマスターを直接襲ってきています。まるで体内の異物やウイルスを駆除する免疫のように。システム内に不要なデータが生じても、
[なんでそんな面倒なことを?]
[相手の話を信用するなら、この世界を内包するのは月の
[なるほど。合理的だ]
無心に論理の糸を紡いで答えを織り成す相棒を、コーヤは頼もしく思った。感情を排して主を鼓舞する今の彼女は、不完全なヒトのパートナーとして造り出された人工知性本来の姿ともいえる。
[相手は必ず倒せます。それとも、時間切れを狙いますか]
[まさか。そんなことしたって、またすぐ戻ってくるさ。ここできっちり決着付けて、アムもエミリアさんもやらせないって言ってやらないと]
[了解]
迷いは晴れた。気合を入れなおすため、コーヤはあえて挑発するように叫ぶ。
「やい死神! なんで今頃になって出てきたっ!」
「処分スル関係者は少ないほどイイ。当初ハ人工人類が開発者の手に戻った後で動く予定ダッタ。ダガ、お前に助けらレルト関わる者が増えてシマウ。ダカラ今なのダ」
「んなことは聞いていない! こんな胸糞悪い計画、なんで引き戻せないところまで放置したんだって言ってんだ!!」
曖昧な呼びかけにも無機質に応じる世界の管理者。
その鉄壁の白面に向け、高速の三連突き。
だが稲妻の突進は、銀の閃きに阻まれた。
「
鬼神の下右手首が切り落とされる。
「機械ガ人の世を運営スルナド、あってはナラナイ」
「っ!」
四本の義手全てを失ったコーヤは、自身本来の手に持つ剣も捨てた。右腕を大鎌の柄に絡ませ、相手の動きを制しながら本命の膝蹴り。
「ほんっと、ムカつくぐらいの正論だな! さっきのエミリアさんの気持ちが分かったよ」
決定打を与えた感触はない。だが、身体の密着したこの状態はチャンスだ。続けて関節を極めようと、
「ふン」
「うお!?」
いきなり相手の肩が外れた。さらに体勢が崩れたところを、黒いマントが絡め取ろうと襲ってくる。
『
パティのサポートで回避。急旋回の勢いそのままに距離を取り、捨てた剣を新たにランディングし直す。
「あ、あぶねえ」
[ヒトの姿は模していても、身体構造までは似せていないようです。関節技、寝技の類は通用しないと判断します]
「構わないさ。
相棒の警告を軽く流し、再び斬りかかろうとするコーヤ。しかし足が大地を蹴ったその瞬間、脳裏に鋭い電子音が響いた。
[上ですっ!]
「!?」
いまだ翻る黒衣の向こうから、銀色の閃光が降ってきた。
研ぎ澄まされた刃がコーヤの頭上に迫る。
身体の重心が動き始めた直後で、今度はパティの緊急回避も間に合わない。
「っ~!」
ブレスレットの防御機構が働き障壁が自動展開、かろうじて大鎌の急襲を防ぐ。
衝撃が手首に来て剣を取り落としたが、どうにか耐えることはできた。
――だが。
[警告! 電素処理速度六十キロエレットまで低下。あと三十秒でシールドが消滅。運動能力の強化にも支障が出ます!]
「くっ!」
障壁の輝きが急速に失われ、腕に感じる圧力が増していく。
だがこのまま押し込まれるわけにはいかない。
コーヤはコンマ一秒で次に取る行動を決めた。
[電装を
[了解]
コーヤの視覚を補っていた左右の面と、ほぼ機能しなくなっていた上下の腕が消える。一挙に視界が狭まり身体が軽くなる。通常なら平衡感覚が狂ってもおかしくない状態だが、
同時に。
「
「うおあああっ!」
「ッ!」
輝く雷光に漆黒の外套が貫かれる。槍を握った手には、確かな手応えが感じられた。
「やったか!?」
「――否」
「――!?」
背後から聞こえた声に、反射的に振り向こうとしたのは失敗だった。不用意にさらしてしまった背中に大鎌の刃が打ち込まれる。電装の自動防御機構はかろうじて機能したが、勢いを殺しきれない。
「ぐああああっ」
「マスターッ!」
太い針を突き刺すような痛みとともに、コーヤの全身に痺れが走る。叫ぶ間にも気が遠くなり、立っているのも難しいほど足がふらつく。即座にパティが、身体状況の高速診断に取り掛かった。
[左背面上部に直撃。皮膚に刺傷は生じたものの出血ほとんどなし。ただし、刃の先端が突き刺さった左肩甲骨に穴。付随する電撃性のダメージによる神経系への影響大……。
治療用の電導法が発動。ウェアコンが常日頃から計測していたコーヤの健康情報を元に、電素が身体の損傷部位をあるべき状態に置き換えていく。急回復を果たしたコーヤは、振り向きざまに飛び蹴りを放った。
「はあああっ!」
「ムッ!」
「ナイスサポート。それじゃ、反撃といくぞ」
「いえ、マスタ……」
コーヤの身につけるブレスレットが点滅した。強化視界が赤に染まる。
[警告! 電素処理速度急低下。十キロエレットを切りました!]
「うおっ」
パティの緊迫した声が脳裡に響くと同時に、体が重くなる。電導具の出力が低下し、身体機能が本来の水準に戻ったのだ。
「ちっ。時間切れかよ」
電素による生体の復元は無生物の実体化――データのランディングよりもはるかに難しい。先程の急回復が、残り少ない電力を一気に消費してしまったようだ。
これ以上はもう、電装の機能に頼ることはできない。
「……仕方ない。パティ、電装封印。あとは攻撃電導法に賭けよう」
『了解。電装を全てサブマージします』
「よし」
電導具に少し余裕が戻った。ただし、これまでのような激闘を続ければすぐ尽きる。
その程度のことは承知しているのだろう。
「限界のようダナ」
「まさか。電装が使えなくなっただけだ。見ての通り、お前の攻撃は効いてないぞ」
「そうカ」
挑発を受けても赤い瞳は揺るがない。鈍く輝く大鎌が高々と掲げられる。
「アクマデ退かないというのならば仕方ナイ。少し眠ってモラウ」
「へっ。俺が大人しく寝る保証なんてないぞ。寝ぼけて布団を蹴っ飛ばすなんてしょっちゅうだし」
そう軽口をたたく間にも、パティが次に来る攻撃を予測してくれる。コーヤの拡張視界に、複数のパターンが表示された。
[あの上段の構えはおそらくフェイク。九二パーセントの確率で刃を死角に回してきます]
[そうか。ならカウンターで輝光……]
音もなく
閃く銀の筋。
吹き抜ける黒い疾風。
地面すれすれから描かれる死の半円。
「……っ!」
その掬い上げるような動きは目で追えた。
しかし身体が反応できない。
(しまった!?)
コーヤは自分の判断ミスを呪った。高速行動に慣れきった意識と平常状態に戻った身体機能。この二つの間にずれがあり、自身の運動感覚に狂いが生じていたのだ。
死の顎が電導士に食らいつこうとする、その瞬間――。
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