第一章 迷子の電子人形

1-1 夜の回り道

 観測会がお開きになると、少年――コーヤは校門の前で友人たちと別れた。新しく買ったモーター駆動のバイク、電導二輪にまたがり夜道を走る。しばらくして、頭に被ったサークレットから小さな女の子の声がした。


『マスター。いくら夏休みだからって、夜遅くまで出歩くのは感心しませんよ』


「いいじゃないかよ。晩ご飯は先に済ませてあるんだから、帰ってすぐシャワー浴びて寝ても普段とそんなに変わらないだろ」


『なおさらですよ。パティはマスターをサポートする電子従者サーバントですけど、普段の生活におけるアドバイザーでもあります。グランドマスターからも、規則正しく過ごすよう見張っておけと言われています。そんなぎりぎりのタイムスケジュール、承認するわけにはいきません』


「ぐ……。分かったよ」


 コーヤは渋々と彼女の言い分を聞きいれた。


 今の声の主は、彼が身に着けているサークレットタイプの装着型電素処理機ウェアラブルコンピュータ――通称、ウェアコン――の中で活動している人工知性、パティだ。電導二輪を運転中の今は姿を見せていないが、つい先ほどまで妖精の立体映像をコーヤの周りで浮かせていた。


「……けど、ちょっと遠回りして帰るぐらいならいいよな。出かけるのとは違うんだし」


 なおも往生際悪く提案すると、ヘッドギア型ヘルメットのバイザーをディスプレイに仮想の窓が開かれた。困った顔の妖精が姿を見せ、強い口調で言ってくる。


『もうっ。結局新しいバイクを乗り回したいだけじゃないですか』


「そう言うなって」


『子供みたいですよ、マスター』


「そう言うお前は?」


『生活サポートソフトにして、未成年補助の役割を担う人工知性、電子妖精エレリィのパティです』


 間髪を容れずに返ってきた答えに、コーヤはにやりと笑った。


「パティさんや。未成年って言葉の意味は知ってるよな」


『……子供ってことですね』


 電子の妖精が呆れたように嘆いた。それから渋々、といった様子で念を押してくる。


『青少年育成条例にのっとり、二十二時になると同時にパティがバイクの運転権限を受任します。いいですね』


「おう」


『まったくマスターは……』


「――ありがと」


 愚痴りながら仮想窓ウインドウを閉じる相棒に、コーヤは小さく礼を言った。


 進路変更、市の北側を流れる川にタイヤを向ける。市街の外れにあたるその地域は人家もまばらだ。野草の茂る土手に差し掛かったところで坂道を登り、堤防の上を走る。町の交通網において、抜け道のような役割しか持たないこの道は整備が甘い。シートが伝える振動を楽しみつつ、煌めく街の夜景を眺めるべく川の対岸へ……。


「ありゃ」


『残念でしたね、マスター』


 バイザーに映したナビを見ると、これから渡ろうとした橋に夜間工事中のアイコンがついている。詳しい情報を呼び出すと、朝まで通行止めということだ。現実に目をやっても、真昼のごとき照明に橋のシルエットが浮かんでいる。その上を行き交う一団は、工事の遂行を命令された自律機械オートノモスマシン――オートンだろう。


 思い描いていたコースが崩れたコーヤは、橋の手前で電導二輪を止めた。忙しなく動く影の一つが気になって、じっくり観察してみる。


「……あの小さいの、ドワーフか?」


『ヘルメットをしているということは……、そうなんでしょうね。この橋も古いですから、デリケートな工事をしてるんですね』


 様々な分野で自働化が進んだ現代において、ヒトが現場に立ち会うとはよほどのこと。少なくとも、補修や点検といった簡単な案件ではなさそうだ。残念ながら、この橋を渡って夜景を眺めるのは諦めるよりほかない。


「ここがダメだとなると次は……港湾地区か?」


 ただの思いつきだった。


 だが、少年のお目付け役にすれば聞き逃せる内容ではないらしい。電子の妖精は仮想窓ウインドウを開けると、情報の世界、電相空間から主のいる現実の世界、実相空間へと抜け出てきた。


「どこまで行く気ですかマスター! あそこ、橋脚が高いから渡り口までけっこう距離があるんですよ。大体、家とは反対方向じゃないですか。寄り道の域を超えちゃってます!」


「けどなー。夜の街ってキラキラしてきれいなんだよ。地上の星空っていうか宝石箱っていうか。いくら見てても飽きないんだ。さっきまであんなにくっきり月を眺めてたから、なおさらな」


「もう。変なところでロマンチストなんですか……ら!?」


「どうした?」


「――マスター。械物メカニスタです」


 激しい口調から一転、電子の妖精が静かに告げる。


 械物メカニスタ


 それは古の魔物が進化した存在にして、機械化した怪物メカナイズドモンスター


 狩人たるコーヤの狩るべき相手。


「こんな下流まで?」


「いえ。おそらく海のものでしょう。河口から迷い込んだだけなのか、さらに上流を目指してるのかまでは分かりませんが」


「どっちでもいいさ。ここで仕留める……いいよな」


「――はい。現状の検証と各種規制との照合を終えました。どうぞ」


 方針を決めると次は行動だ。電導二輪を走らせ土手を下り、川原からライトを照射する。探すまでもなく、水面に投げられた光が流れに逆らう影を浮かび上がらせた。


「そろそろ姿を見せます……ってこの反応は!」


「でかっ!」


 水中から勢いよく飛び出て来たのは、全長五メートルはあろうかという巨大魚だった。ただし、金属質の輝きを帯びる鱗と刃のように鋭い鰭を持ち、口の隙間からも杭のごとき牙をのぞかせている。通常の魚にはありえない凶暴な特徴が、そこかしこに存在していた。


「そんな! こんな大型、沿岸に近づくこと自体稀ですよ!」


「遠回りして正解だったな。このクラスなら陸上に這い上がって暴れてもおかしくない。橋が工事中なのもこいつのせいか?」


「そうですね。いえ、寄り道が正しかったというのは同意しかねますが」


 聞こえてくる声はあくまでも冷静だ。だからこそ頼りになる相棒ともいえる。サポートAIとしての役目通りに、電子の妖精は開いていた仮想窓ウインドウに必要な情報を並べた。


「――それで、どうします? いったん通報して応援を待ちますか? 港湾地区には、魚型に詳しい方が何人かいるはずですが」


「そうだな……」


 巨体が大きく跳ね、見上げるほど大きな水柱が起きた。工事中の橋でも異変に気付き、にわかに騒がしくなる。


「いや。あの調子で橋の下に行かれてみろ。きっとろくでもないことになる」


 鋼の鱗をまとった巨大魚は橋の上流側を泳いでいる。きっと橋脚の間をすり抜けて川をさかのぼったのだろう。だが魔物を祖先に持つ彼らは気まぐれだ。時間がたてばたつほど不測の事態が起きる可能性が大きくなる。


 そして、オトギ・コーヤには械物メカニスタと闘う力がある。


 主の表情からその意思を読み取った電子従者サーバントは、短く確認を促した。


「では」


「ああ。械物メカニスタ出現の報告だけしといてくれ。あとは俺達で仕留めるぞ」


「了解です」


「射撃で行く。パティは援護を」


「はい。運転権限を受任します。バイクをオートモードへ」


 視界から妖精の姿が消える。同時に電導二輪のホイールに内蔵されたモーターの回転数が変化、コーヤのハンドルさばきを待たずに自走を始める。


「ライトを。光で気を引く」


 相棒に指示を出しながら、コーヤは右腕にはめたブレスレットをなでた。


「電導具、起動」


 持ち主の命令を受けて、腕輪の滑らかな表面が淡く光る。起動状態に入ったことを示すサインだ。これが械物メカニスタを狩るための武器となる。


 もっとも、その性質は大昔の戦士が使用した剣や弓ではなく、魔法使いの振るった杖、あるいは呪文や魔法陣の書かれた魔導書に近い。


 少年は枯渇した魔力に代えて電力で奇跡を起こす現代の魔法使い――電導士なのだ。

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