サイバーファンタジア

朝倉 畝火

序章 幻想世界の現代風景

0 月の見守る世界

 ヒトの文明は二度滅んだ。


 世界を創った神が天に隠れ、自然を育んだ精霊が地上を去ったあとからヒトの歴史は始まった。人間やエルフ、ドワーフに竜人といった多種多様なヒトが競争と協調を繰り返すこと千年あまり。


 歴史が始まる曙の時代、第一紀ファーストピリオドに興った魔法文明は、万物の根源たる火・水・風・土の四元素を自在に操ることで栄華を極めた。


 だがこの夢のような時代は、エネルギー源となる魔力の枯渇により衰退する。


 魔法を失った人々が次に目を付けたのは、電気の力。


 暗黒時代とも呼ばれる中間の時代ミドルエイジ、中世。


 魔術という限定的な奇跡しか起こせなくなった魔法使いたちは、再び万能の力を得ようと錬金術の開発にいそしんだ。


 その過程で彼らは、魔法とは何だったのかを徹底的に追及。最終的には等価原理の下、魔力に代わり電力で奇跡を起こすことにより暗闇の時代を終わらせる。


 新たな魔法体系――電導法を手にしたヒトは、錬金術から科学に至る進歩と合わせて荒廃した社会を再建。ついにはかつての魔法文明をしのぐ人類世界、電導文明を築き上げるまでに至った。

 

 暗い冬を越えて花開いた新時代、第二紀セカンドピリオド


 際限なく発展する電気の文明は、ついに万物を構成する第五の元素――電素を発見する。


 それは物質ではなく情報の構成要素。


 さながら影のように他の四つの元素と結びき、自然界にあらゆる現象を引き起こす。言わば森羅を彩る絵の具であり万象を律する音符。


 だが、どこまでも豊かさを追い求める人類は、これを世界の真実だけにとどめない。


 無味乾燥な事実を甘い果実にしようと様々な努力がなされ、幸運も偶然も徹底的に利用される。そして研究と開発の果てに、電素を自在に制御する電素処理機コンピュータ、電理機の発明と実用化に及んで、人類は魔法の時代をはるかに凌ぐ繁栄を手に入れた。


―――――――――――――――――――――――――――――


 大空が広く晴れ渡る夏の夜。とある学校で天体観測会が開かれた。屋上にいくつかの小型望遠鏡が置かれ、その周りを数十人ほどの少年少女が囲んでいる。


 もっとも、その集まりを男女で分けるのは大雑把に過ぎるかもしれない。何せ皆の容姿には、性差以上に様々な特徴があるのだから。


 犬の尻尾を生やした少年と、額に角のある少女が望遠鏡を交互にのぞく。その横で、赤褐色の体毛に覆われた教師が耳の尖った青年に解説をしている。少し離れたところでは、小柄ながらも立派な体格をした子供二人が双眼鏡を巡って争っていた。


 それぞれが思い思いに星空を満喫する中、猫のような黒い耳と尾を持ったフェーレスの少女が、これという特徴のないヒト――人間の少年に声をかけた。


「コーヤ」


「リーシン? 珍しいな。お前がこういう集まり出てくるなんて。夏休みはずっと、家に引きこもってるんだと思ってた」


「べ、別にいいじゃない。私だって星を見たくなる時ぐらいあるわよ。だいたい、メッセージ送ってきたのはあなたでしょう」


「まあ、そうなんだけどさ……」


 少年の戸惑った反応に、少女が動揺したようにたじろぐ。すると、明るくはっきりとした声が彼女をかばった。


「マスター。普段仲のいい友人からお知らせが来れば、誰だって自分にも声が掛けられたんだって思います。それを……」


 現れたのは小人のように小さな幼女。ただし、背中にはねを生やしたその姿は半透明で実体がなく、妖精と言った方がいいかもしれない。マスターと呼んだ少年の前に浮いて説教を始めた彼女を援軍と見て、黒猫の少女は我が意を得たとばかりに意気込んだ。


「そうよ。全部コーヤが悪いんだわ。だいたい、仮にも幼馴染にむかって引きこもりはないんじゃないかしら」


「う。わりい」


 形勢が不利と見た少年が短く謝罪する。少女の方も別に、彼をなじりたくて夜の学校へ来たわけではない。軽い咳払いをしてから、改めて話を振る。


「聞いたわよ。セーカちゃん、海外遠征ですって?」


「おう。実の兄が言うのもなんだけど、あいつすごいよな。クラスメイトや先輩後輩はもちろん、よその学校でも人気があるらしいぜ」


「へえ。それじゃ、サークルなんかも色々と盛り上がってるんでしょうね」


「ああ。俺も応援してる……したいんだけど……」


「?」


「なんでか、映像も音声も着信拒否されるんだ。メッセージの返事だって一つも来ない。師匠には毎日、山のように届いてるのに……」


「えっと……」


「触れないであげてください。兄妹の間には、色々あるんです」


「そ、そう」


 少女は戸惑いながらも妖精の頼みを受け入れた。それから次の話題をどう切り出そうか迷っていたが、やがて意を決したように口を開いた。


「バイク、買ったんですってね。おめでとう……、って言っていいのかしら?」


「なんで疑問形?」


「だって、今まで先生のお下がりですませていたのに。わざわざ買ったということは狩りの回数を増やす気だわ。その分、危険も増えるじゃない」


「あ―……」


 口籠る少年。代わりに、また妖精が説明を始めた。


「いえ、リーシンさん。今回ばかりはマスターの道楽です。バイクは基本、後輪に内蔵されたモーターで走るところ、前輪にも動力のある二輪駆動型に乗りたくなったという……」


「そうなの?」


「いや、前に狩猟仲間に乗せてもらってから、どうしても我慢できなくなって……。お前も乗ってみれば分かるよ。モーターが前後に分散してるからバランスが良くて、バネの効きがいいんだ。なんなら今度、一緒にツーリングにでも行くか? 走行が安定してて乗り心地がいいぞ」


「! 本当!?」


 黒猫少女は少年の提案に目を大きく見開くと、懐からカード型の携帯電理機を取り出した。それでスケジュールでも確認するのかと思いきや、何かのアプリを起動して小さく呟き始める。


「スペードのジャック……。これは……期待していいのかしら……!」


「リーシン? おーい」


「オトギくーん」


 少年が幼馴染を正気に戻そうとしているところへ、今度は兎の特徴を持った少女がやってきた。長く伸びた白い耳を揺らしながら抱きついてくる。


「今日はありがとね。一時はどうなるかと思ったけど、おかげで観測会は大成功だよ」


「お、おお。そそりゃよかった。お役に立ててなによりだ」


 少年は動揺しながらも、どうにか身をよじって抱擁から逃れた。だが、兎少女は距離を置かれてもまるで気にせず、上機嫌のままだ。


「やーほんと、こんなに人が集まってくれるなんて思わなかったからさ。あんなおんぼろでも動いてくれないと、星を見るより順番待ちの方が長くなるところだったよ。現役電導士の手を借りられてほんと助かった」


 今時の観測機器は、天文分野に限らず全てが電子制御だ。電子は、情報の源である電素がもつ二重性の表れで、いわば影に対する光。電力に反応して電理機を動かし、各種の機器に影たる情報を反映する。


 この方式だと星の追尾や焦点の調節、果てはレンズの厚みまで変更してくれるので楽なのだが、逆に電理機の調子が悪いと、星はおろか雲もろくに見えない。兎の少女は、部室で埃をかぶっていた望遠鏡の調整を、電理機に詳しい少年に依頼したのだった。


「ま、委員長の頼みじゃな。いつも色々世話になってるし」


「おおっと。天文部の活動中は委員長じゃなくて、ぶ・ちょ・お。些細なことかもしれないけど、こういうことはきちっと締めないと。大人と一緒に狩人やってるオトギ君なら分かるでしょ?」


「ああ、そうだな……って、俺は部員じゃないぞ」


「男の子が、小さいこと気にしたらダメだよ?」


「どっちだよ!」


「……むぅ」


 話の途中で割り込まれた猫少女の頬が膨れる。だが、その不満の吐息が兎少女の気を引いた。満面に笑みを浮かべて客人に話しかける。


「ナンさん! 来てくれたんだね。嬉しい!」


「え、ええ」


「あ。今そこの望遠鏡空いたよ。覗いてみる? 今日はお月さまがくっきり見えるよ。ほらほらほら」


「え? いえ、私は、その……」


「部員じゃないからって遠慮しなくていいんだよ。天文部部長としては、みんなに星を楽しんでもいたいんだから。っていうか、今日の観測会の目的はそれだから。ささ、どうぞ」


「え、ええ。ありがとう」


 二人の少女が望遠鏡に向かう。彼女達の背中を見送った後、少年は自分の目で月を見上げた。力の抜けた声でかたわらの妖精に話しかける。


「あんなにはっきり見えるのに……触れられないのな」


「はい。お月さまは見かけ以上に遠いですから」


「どうにかして行けないもんかな」


「どうでしょうねえ。宇宙開発は資源もエネルギーも大量に使いますし」


大絶電グランドアウトの再来を防ぐため、だっけ?」


「はい。電力は理論上無限に生み出せますが、需要に供給が追い付かなくなると社会が立ち行かなくなります」


「それは困るな」


 と言いつつ、少年の顔に全く困った様子はない。これはあくまで、世間話の延長のようなものだから。


 風が穏やかに吹く中、ある夏の夜は過ぎて行った。


―――――――――――――――――――――――――――――


 ヒトの文明は二度滅んだ。


 一度目は有限の魔力が枯渇して。


 二度目は無限の電力を生産できず。


 それでもどうにかヒトは生き延びた。


 世界を箱庭のように閉ざすことで。

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