第44話.Wanderer。。。
「今晩はどこか宿を取ろうか」
「宿、ですか?」
「うん、この時期の夜は冷えるからね。
どこかおすすめの宿を知っていたりするかな?」
「わ、わた……し、お宿は、その……知らない、です」
「そっか、なら一緒に探そう」
申し訳なさそうに顔を伏せる子を抱きかかえると、ソフィは脇道を避けて大通りへと向かって行く。そうして大通りの喧騒が大きくなり始めた頃、ソフィ達は聞き慣れない鳴き声をその耳で捉えた。
「い、今の、声……は……!」
「……まさか、ね」
にわかには信じがたいと言いたげな表情を見せたソフィは声の聞こえた方向へと向かっていく。断続的に聞こえる声を辿り着いた先には雑に積み上げられた木箱があり、その上に黒い猫が寝そべっていたのだ。
「──ネコ……?」
余程想定外だったのか、彼女は呆気に取られ固まってしまう。そんな彼女に抱かれたままの子は器用に体を使い、目の前の黒猫を捕まえてみせたのである。また不思議なことに、その黒猫は抵抗する素振りを見せずに大人しく抱かれたのだ。そんな黒猫の顎下を子は指先でカリカリと優しく掻いてやっていた。黒猫もそれが気持ち良いのか、喉をならしてその頭を擦り付けている。
「えへ、えへへ……黒猫さん……にゃー……」
子の方も子の方で、猫を撫でられるのが余程嬉しいのか緩みきった笑顔を見せていた。優しく猫の喉を撫で、時折顔を埋めては深く長いゆったりとした呼吸を数秒行っている。もしかして猫の臭いを吸っているのだろうか?
「キミ、猫が好きなのかい」
「そ、それは……もう、だ、だいっっっ好き……です。ソフィお姉さんも、す、吸ってみます……?」
「え、吸うってなにを……」
「こうやって……ね、ねこちゃんの、臭いを……す、吸うの……で、す」
そう言って子はその鼻先を猫の首筋近くに軽く埋め、眼を閉じるとゆっくりと長く息を吸い始めたのだ。その表情が段々と恍惚としたものに変わっていく為、ソフィからすれば怪しい薬をキメているようにも見えたのだろう。恍惚とした表情の子とは対象的に猫はなんとも言えぬ表情を見せていた。
「ふはぁ……ど、どう……です?」
「う、うーん……遠慮しておくよ。猫もあまり嬉しそうじゃないし、キミも満足しただろう? それにその子、どこかの家の子かもしれないからバイバイしよっか」
「……は、はい……あり、がと……ね、ねこさん……」
子の手を離れ、去り行く猫へと手を振り続けている子供は大変嬉しそうなものである。泣いたり叫んだり発狂したりと、色々大変ではあったがこの子もまだ子供なのだ。
「猫さん、は……ひ、久し……ぶ、り……でし、た」
「久しぶりってことは、前々からいた子なのかい?」
「は、はい……黒く、て……ふ、ふわふわの、伸び、る、ねこさん、です……よ。で、でも……鈴が、なく……なって、ました」
「ふわふわで伸びる……?」
それは間違ってないが、正しいかと言われればノーと言いたくもなる。まぁ事実猫はトルコアイスよろしく、持ち上げるとぐにょりと伸びるのだが──
──ソフィは正直そんなことはどうでもいい、と言わんばかりの表情を見せていた。もしも先程触れ合っていたあれが正しく猫であるというのならそれは大変な事件である。
結論から伝えておくが、現在の地球上に生きた猫は存在しない。より厳密に言うのであれば大崩落以前より存在していた動植物の九割は絶滅しているのだ。もしも現存するというのであれば、それは旧い施設で保育されていた動植物に他ならない。
しかしそういった施設は人里離れた場所に点在しており、その殆どは地中深くに存在している。それこそ
──どうしてそんな場所に建造されたのか?
その理由としてまず挙げられるのは、
魔素に罹患すると口にするのも悍ましい結末を迎える為、その詳細な記録の殆どは口伝されずに消失している。しかし魔素罹患者に連なる情報は意図的に喪失させられていると、声高らかに叫ぶ集団も散見されていた。
非常に厄介な魔素により世界は侵し尽くされ、地表の既存生態系は白紙化寸前にまで至っている。陸海空に存在する全ての生命を犯した猛毒を前に、辛うじて生き残ったのはいくつかの植物と人間だけ。そんな数少ない生き残り達の築き上げた施設は種の保存を目的として建設されており、今尚自律稼働を続けている。
だから今ある動植物の殆どは生き残った人類の手を加えた新種であり、世話をしなければ死ぬような愛玩動物は存在しない。
先程出会った猫はマンチカンと呼ばれる品種であり、愛玩猫の筆頭と言ってもいい。あれは関節も弱く短い手足では満足に狩りも出来ない庇護下になければ長くは持たない命だ。
そんなありえない存在が向かったであろう方向を、二人は全く異なる理由で暫し見続けその場を後にした。
──鸚鵡貝通・宿屋街──
「まってくれ、二人分払うと言っているのになぜ駄目なんだ」
子供を連れて受付に行った途端、受付は露骨に嫌な顔を見せて態度を一変させた。それはまるで厄介者だと言わんばかりの態度であり、ここより前に立ち寄った五件とも全て同じ対応をされてしまったのである。
「駄目なもんは駄目だ、嬢さん一人なら泊められるがその子供はお断りさせてもらう」
「ならせめて理由を聞かせてくれないか。他の宿にも同じ様に断られてしまって困っているんだ」
「……そいつは災いを呼ぶ。だから誰も関わらないんだよ。お嬢さんも命が惜しければ別れな、そうしたら何処の宿にも泊まれる」
ため息と共に軽く頭を掻きながら受付は答えるが、ここに来て新たな情報が付け加えられてしまった。勿論それを聞き流すようなソフィではない。
「必ず死ぬだなんてどうして──」
「理由なんかは知らないし知りたくもない。
……さぁもう良いだろう、二人で泊まるつもりなら帰ってくれ。客が遠退いちまう」
「……わかったよ、迷惑をかけたね」
あまりしつこくすると裏から怖いお兄さんが出てきそうな雰囲気があったので大人しく退散し、他の宿屋へと向かうことにしたのであった。
「ハァイ、先程ぶりね。探し人は見つかったのかしら?」
「……君はさっきの」
「──またドエライ厄介事を抱え込んでるみたいね、貴女。
もしかして
声をかけてきたのは先刻ソフィが声をかけた私娼である
「僕に特定の恋人はいないよ。
……キミもこの子を知っているんだね」
「まぁね。その子を知らないのは
「そうか……それなら一つ教えて──」
ソフィが言い切るよりも先に彼女は手を突き出してきた。開かれた掌を上に向けているということは、そういうことらしい。ソフィは眠りに落ちた子を抱えたまま、ズボンのポケットから器用に小銭を取り出すとその手に握らせた。
「これで足りるかな」
「……貴女、金払い良すぎない?」
「必要経費はケチらない主義でね。それに幸い、金は腐るほどあるんだ」
そう言って再びポケットに手を入れ、先程手渡した金額の倍はあろうかという硬貨をチラつかせるソフィ。
「貴方を甘く見てたかも……まぁ良いわ、着いてきて」
私娼は硬貨を見た瞬間、深いため息をつくと呆れたように項垂れてしまった。恐らくだがこの私娼は金を
「ハーマン、二階のいつもの部屋、借りるよ!」
「あいよ」
ドアを開けるや否や、彼女は声を張り上げ受付へと硬貨を叩きつけたのである。受付に座る白髪の
「……リァヴィ、お前女相手の商売も始めたのか?」
「詮索はしないのがポリシーじゃなかったの?」
「身内となれば別だ、バカ娘」
「……ほっとけ糞ジジイ」
「ハーマンのことは気にしなくていいからさっさと上がって」
「あぁ、すまない」
見慣れた視線の意味を感じ取りつつ、ソフィ達は二階の部屋へと連れて行かれるのであった。
「──それで貴女、何を聞きたいのかしら」
「先ずはこの子の事だ」
「……その子はいつの間にかここに居た。親を知らなければ、どこから来たのかもわからない。今にもくたばりそうな身体をしているのに、死なずにずうっと彷徨い続けてる。
──誰が呼び始めたか、今じゃワンダラーなんて呼ばれてる」
「……彷徨い続ける孤児を徘徊者と呼ぶのは些かナンセンスとは思うけど」
「徘徊者?」
「そう。徘徊者は英語でワンダラーと呼ぶのさ」
「英語……ってなに?」
「大崩落以前に使われていた言語だよ。今の僕たちが使う言語の元となった言葉の一つでね」
「ふーん……それじゃあ貴女はこの手帳を読めたりするわけ?」
そう言うやいなや、彼女は服の裾を大胆に捲り上げガーターベルトに挟まれていた小さめの手帳をソフィへと手渡した。
「……まぁ、少し癖のある字だけれど読めると思う。
大事なものなのかい?」
「ううん、この間拾ったの。だけどほら、あの人混みじゃ元の持ち主なんてわからないじゃない?
それにアタシら娼婦が落とし物を届けたところで窃盗を疑われるだけだし……読めるのならアンタにあげるよ」
「なら後で僕の方が落とし物として届けておく。
それでワンダラーについては他になにかない?」
「もう知ってるかもしれないけど、ワンダラーが彷徨く地区はよく死人が出るんだ。被害者はそれなりに身分の良い女でさ、腹をバックリと深く斬られてる。噂じゃ背骨まで達する程の深く鋭い傷だって聞くよ」
この話に対しソフィは初めて険しい表情を見せる。想像すればわかるだろうが、真正面から腹を裂いて背骨まで断つなど到底真似できる芸当ではない。それこそ熟練の腕と相当良い品がなければ不可能だと言っても良い。
「腹の裂かれた死体が二桁後半に差し掛かった頃にはワンダラーがその犯人じゃないか──なんて噂されるようになった」
「まぁ、そう言われてもおかしくはないか」
「どうして?
この子はただの子供なんでしょう?」
「……色々と気になってはいたんだ。
訳あって輪切りになった死体と遭遇したのだけれど、この子は夥しい血溜まりを平然と素足で駆けてきた。君は人が殺された現場を見た上で、その血を気にすることもなく歩けるか?」
「──絶対ムリ」
想像した光景に総毛立つ彼女は、自らを自らの腕で抱き締めながら怪訝な表情を見せていた。そんな彼女を他所にソフィは話を続ける。
「それにあの手──上手いこと包帯で隠していたから今の今まで気づかなかったけれど、あれは竜種の手だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます