第45話 昔の話。



「──竜種って……そんな、こと」

 そんなことあるわけない、猫型亜人種カートの彼女はたしかにそう言おとしていた。しかし彼女はその言葉を口にできなかったのだ。

「なら、この爪は偽物だと?」

 ほつれた包帯の隙間から覗く六本目の指──恐らくは尺骨の辺りから生えている指は細長くも力強さを感じさせるものであり、その先端には深紅の爪が生えていた。

原種オリジナルの竜とは違うけれど、これは間違いなく竜種に連なる者の特徴だ。それもかなり強引な造られ方をしたタイプだろうね」

 穏やかな寝息をたてる子を起こさぬように、その腕の包帯を優しく巻き直すソフィを前にリァヴィは動けずにいた。

 それも無理はない話──この世界において竜種というのは生きる厄災であり、亜人種を始めとした他の生命を蹂躙する側の生物なのだ。ただの魔物であれば対抗しようという気概も湧くものだが、竜種を相手となると途端に尻込みしてしまう。竜種狩ドラゴンスレイヴを成し遂げた英雄は数える程しかおらず、無傷で竜種を討ち取った者は居ない。そして存命の竜種狩人ドラゴンスレイヤーは五人のみであり、誰一人として例外無く四肢のいずれかを無くしている。


「リァヴィ、この国に竜種が飛来した記録はあるかな」

「……百八十くらい年前に、一度来た……ってハーマンから聞いた事がある」

 畏怖の色濃い彼女の声はひどく震え辿々しいものになっており、その視線は今尚眠り続ける子供へと向けられていた。

「わかった。ありがとう」

「ちょ、ちょっと……!」

 包帯を巻き終えた子供を布団へ寝かせ、静かに立ち上がろうとしたソフィを彼女が制止する。焦りと恐怖の入り混じった表情の彼女はソフィの手を強く握っており、意地でも行かせないといった様子だった。

「あんた、ハーマンのところに行くならその子供も連れていきなさいよ」

「せっかく寝ているんだ、そのまま寝かせてあげられないか」

「冗談はやめて。幼体だとしてもコイツは竜種でしょ?

 そんな存在をほったらかして行くなんて信じられないんだけど」

「なら君が見ていてくれ。すぐに戻るし、君が望むのなら金を上乗せしてもいい」

 彼女は呆れ、深いため息をつくとともに額へと手を当てしゃがみ込んでしまったのである。

「あぁーもー……そういう問題じゃなくてさぁ」

「ならどういう問題かな?

 あの子はよく寝ているし、不用意なことをしなければ起きないと思うけど」

「起きる起きないじゃなくて、竜種の子供をほったらかすのが問題だって言っ──」

「大声はよしてくれ、あの子が起きる」

 ソフィはヒートアップし始めた彼女の口を強引に塞ぎ、落ち着いた声でゆっくりと諭すように言葉を重ねた。それがまた彼女を怒らせたのだろう。笛に踊らされる蛇よろしく、不規則にうねり続ける尻尾は彼女の心情をよく写していた。

「……参ったな」

 ならどうすれば手打ちにできるかと思案し始めたその瞬間、部屋の扉を三度ノックされたたのである。見上げた先にある時計が指し示す時間は午後11時48分、滅多な用事でなければ人が尋ねてくる事のない時間帯であった。


「今は取り込み中ですが、なにか」

「少しばかり話したいことがある」

 少しだけ声を張り上げたソフィがそれに応えると、少し嗄れた声が帰ってきた。相手がわからない以上開けるべきではないと判断したソフィとは異なり、彼女はドアの方へと向かっていく。それを止める間もなく彼女はドアを開け、訪問者を室内へ招き入れてしまったのだ。

「こんな時間になんの用よ、ハーマン」

 声こそ荒げていないが不機嫌さはヒシヒシと伝わっているのだろう。やや申し訳無さ気な雰囲気を滲ませつつ、彼はソフィの方へと向き直った。

「……もしかして煩かったのかな」

「──いや。そういう理由で来た訳ではない。

 お前さん、竜種の襲来について聞きたいんだろう?」

「まぁ、そうだけど……」

「安心しろ。盗聴器の類はつけていない……ただ単に壁の造りが薄いのと俺の耳が良いだけだ」

 やや緩慢な動作で椅子を引くと彼はそこへ腰掛ける。彼が重いのか年期が入っているのか、腰掛けた途端に椅子は大きな軋みを上げた。それに対し彼はまったく耳障りな椅子だなんだと呟きつつも、各自座るように求めてくる。


「竜種の件についてだが……すまんな、少しばかり長くなる」

「それは構わないけど」

「リァヴィはどうする?」

「こんな時間じゃ新しい客なんて期待できないし、せっかくだから聞くわよ」

「……では、話すとしよう──」


 ──まず、この国に竜種が飛来したのは今から百八十二年前の出来事である。そしてこれは海の国建国以来、初めての大厄災として語られる事となった。


 飛来した竜種の全長はおおよそ五十四m程度であり、竜種の中では比較的脆弱とされた飛竜種ワイバーンであったという。飛竜種は口から超高温の火炎を吐き、空を飛ぶ事しか出来無い竜種の末席。天を衝くような角もなければ人語を介することもなく、超常的な力もないただの動物だった。

 言うなれば最弱の竜種と言ってもいいが、亜人種アドヴァンスを始めとした他の生命にとっては厄災に他ならない。

 どこからともなく飛来した飛竜は国の中央より少し離れた場所──現在の深層通アビス・ストリートがある辺り一帯を縄張りとしてしまった。どういう理由か不明だが、飛竜がそこから飛び去る事はなかった。一月程眠ったかと思えば気まぐれに飛び立ち、巨大な魔獣を持ち帰りその食い残しを積み上げていく。積み上げられた死骸は当然腐敗し、そこから流れ出る腐液は周囲の土壌を汚染していく。そうして汚染された土壌からは高濃度の魔素が検出され、それなりの頻度で大規模な集団魔素中毒を引き起こした。

 このままではいずれ国土全体を侵され、再起不能になる日も近いと判断した先代国王は総力をあげての飛竜狩りを決行する。




 ──飛竜との戦いは短期決戦が定石とされ、先代国王もそれに倣って作戦を組み上げたがそれは上手くいかなった。


 第一陣は機動力に優れた鹿型亜人種ツェルボ猫型亜人種カートを中心としており、飛竜の翼──とりわけ飛膜ひまくを破壊することを目的としていた。ニ方向から同時に攻め入ればどちらかの飛膜は落とせるだろうと踏んでいたのだが、件の飛竜はとにかく堅かった。

 牽制の弓矢は当然効かず、どうにか辿り着いた者が槍で刺突を試みるも弾かれる始末。足止めにすらならない状況で打ち込まれた後方支援部隊の火砲で、ようやく体表の鱗を何枚か削る程度の打撃にしかならなかった。

 第一陣が想定よりも早く壊滅し、続く第二陣が攻めるよりも前に飛竜は空へと昇り残る討伐軍を蹂躙。

 そうして集められた兵士の過半数を失い、首都の四割を失う程の大敗を喫した国王は周辺地域へと助力を求めたのだという。










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