BCC.Objective perspective

「──呆れる程に健康体じゃないの、貴女」

「は──?」


 卓上のカルテをペンで突きながら不服そうな表情を見せる天使──アレスクレピオスの言葉に紫蘭は言葉を失った。


「まず内蔵系についてだけど──

 ヴラグからの報告には腹部への執拗な殴打による内蔵損傷が疑われるとなっていたの。この証言は紫蘭、貴女からの言葉だと聞いているけれどそれに間違いないのね?」

「はい」

「……そう。

 私はね、私の持ちうる技術を総動員して貴女を調べ上げたの。その結果がこれ」


 差し出されたのは白黒の陰影が写された何枚かの紙であり、その方面の知識の乏しい紫蘭は難しい顔で見つめていた。とはいえ、そうした所で彼女にわかるわけでもない。陰影が何を写しているのか理解することを早々に諦めた紫蘭は、それらの写真を天使へと返した。


「……こことここ、わかるかしら?

 辛うじて内出血の痕跡らしきものが確認できる、と言えるくらいだったのよ。他に目立った怪我といえばその左腕くらいしかないけど、それは大分古い傷よね?」

「そうです、大体1年くらい前に竜種から受けた傷です」


 ──竜種。

 その言葉を聞いた瞬間に天使の目つきが変わった。最早豹変と言うべきか、誰の目にも明らかなほどの変化であり、そこにはもう先程までの呆れ憐れむような雰囲気は微塵も残されていない。


「──その話、詳しく聞かせてもらえるかな」

「か、構いませんが……」


 同一人物か疑わしくなる程の圧に気圧されつつも、紫蘭は受傷当時の出来事をなるべく簡潔に伝えた。魔王の襲来も勿論伝えたのだが、それに対する反応は何故か薄く竜種とソフィに対しての反応が強かったのである。その事に違和感を覚えつつも紫蘭は天使からの質問に答え、その詳細を知りうる限り伝えたのであった。


「──ありがとう、実に興味深い話だった」

「それなら良かったのですが……あの、アレスクレピオスさん。一つだけよろしいですか?」 

「構わないよ」

「ありがとうございます。

 その、私の左腕を治す術などはあるのでしょうか?」


 そう尋ねる紫蘭の声は上擦り、震えていた。


「……現状君の左腕を治す術はない。ソフィといったかな、その娘の言う通り竜種由来の傷は治せないのさ。

 失くした腕を継ぎ治すのなら話は別だが、過度の期待は持たないほうが懸命だよ」

「そう、ですか……わかりました」


 一縷の望みを砕く回答に対し、明らかな落胆の色を見せた紫蘭を前に天使は軽いため息をついた。


「──悲観はするな。その腕を除けば君はほぼ健康体なのだから、そのことを感謝すべきだよ」

「……はい、そうします。

 それであの、診察代とかは──」

「そんなものは不要だ。早く行きなさい」

「いいんですか?」

「二度も言わせるな」

「す、すみません……!

 その、今回はありがとうございました」

「私は私の仕事をしたまでだ。もしもまた怪我をしたら診せに来なさい」

「はい。それでは失礼します」


 天使へと深く頭を下げた紫蘭は診察室を後にし、ヴラグらの待つ場所へと駆けていく。遠ざかる足音を耳にしながら天使は紫蘭へと見せたカルテとは別のカルテを取り出し、真剣な面持ちで眺めていた。

 そこに記されていたのは紫蘭の血中成分表示を始めとした様々な検査結果であり、一般的な亜人種とは異なる数値と特徴を見せていたのである。


「──尾ひれのついたカビ臭い伝承かと疑っていたが、中々に興味深い存在じゃないか。大崩落よりも昔からあんなものが人として生きてきたとは、どうも神とやらには大層な遊び心があったらしい」


 静かな狂気を孕んだ笑みを浮かべ一人嗤う天使──



 ──その視線の先に診るものはなにか。


 異端の天使長らと共に天獄から解き放たれた天使ケモノの望む夢はなんであるか。


 それを知る者は誰一人として居ないのだろう──








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