第43話.天使にも
「──ご気分はどうですか、紫蘭さん」
暫し揺られる事数分、若干の眠気を覚えた頃にヘリヤが話しかけてきた。バックミラー越しに見た上官のヴラグはというと、軍帽を目深に被り寝ているようである。
「正直言うとまだ辛いですね……お腹の奥が痛むというか、ズシリとした感覚が残っていて」
「……やはり内臓系を調べる必要がありそうですね。差し支えなければどのような暴行を受けたのか聞いても?」
「わかりました。まず──」
入国したその日に暴行現場を目撃しそれを止めたこと。報復に来た破落戸から暴行されていた子供を逃し、そこで手酷い暴力を振るわれたこと等を出来る限り簡潔に纏め伝えた。
勿論黒髪の
「──そうして首の肉を少し噛じられた後はわかりません」
「……なるほど。貴女は随分と頑丈な身体をしているらしい」
「とは言え中身まではどうか分からないわ。ヘリヤ、私をここで下ろしなさい。先に戻って準備をするから……そうね、その間に貴女は彼女へ適当な服を見繕ってあげて」
「了解致しました」
寝ていると思っていたが起きていたらしい。ヘリヤが通路脇へ車両を寄せて停車すると、彼女は一人でドアを開けてさっさと降りて行ってしまった。
ヘリヤはそれを確認すると発車し、迷いなく進んでいく。
「ところで紫蘭さん、貴女はどこからやってきたのですか?」
「ええと、ここから西へ行ったところにある村から来ました」
「セレネとメネの姉妹が村長を務めているところですね」
「ご存知だったのですか?」
「ええ、本の装丁が上手な姉妹がいると噂に聞いておりましたので。実は小官も読書家でありまして、あのお二人が手掛けたものをいつか購入したいと考えているのです。しかしいつも売り切れておりまして……求め始めて早四年、小官はいつになったら買えるのやら」
どうやら商会の人が言うことは本当だったらしい。卸せば即日完売、常に入荷を待ち望まれている状態だと言われた日には冗談が上手いなぁとは思っていたのだがまさかここまでとは思ってもいなかった。
「そんなに人気だったなんて知りませんでしたよ」
「残念ながら人気の市場ではありませんから、仕方ありません……他にも本を作る者は居ますが、セレネ氏の綴る物語には遠く及びません。下地に確固たる文章力がなければ、例えどんなに素晴らしいストーリーであっても駄作となります。旧時代の作品の翻訳に至っては、書き手の実力が如実に現れますからね。小官が知る限りセレネ氏を除いてまともな翻訳家は居ませんよ」
「そうなんですね……私もそれなりには読んでいましたが、その殆どはセレネさんが翻訳した旧時代の書物でしたから気づきませんでした」
「それはとても羨ましい事です。良い文章に触れられるのは滅多にない機会ですからね」
──とまぁ、色々なお話をしている内に着いたのは煉瓦造りの倉庫らしき建物。その内部には膨大な数と種類の衣類が置かれており、ある程度のざっくりとした区分けがされていた。
ちなみにヘリヤは私をここへ案内すると、何故かすぐに出ていってしまったのである。
「これ絶対に高級品だって……」
手近な所にかけられていた衣類を触ってみたのだが、その肌触りの良さと縫製技術に驚きを覚えた。使われている生地は一般的に流通しているそれらより質が良く発色具合も良い。他にも挙げていけばキリがないけれど、それらは私のような一般市民が手を出せるような代物ではないと確信するには充分だった。
故になるべく汚さないよう細心の注意を払いつつ、可能な限り品質の悪い物を探してはみたのだがそんなものは終ぞ見つからず。
連れてきてもらった手前心苦しいが、一般市民向けの服屋に案内して貰ったほうが良さそうだ。そもそも私の稼ぎでは支払いに何年かかることやらわかったものではない。
「……ヘリヤさん、そこにいますか?」
扉を開けずに少し声を張り上げて問いかけると、答えは間髪入れずに帰って来た。
「はい。もう着替えは終わりましたか?」
「いえ、その──」
「──あぁ、察しが悪くて申し訳ない。貴女はあれだけの怪我をされていたのですから、一人での着替えは難しいですよね」
「へ?」
はっきりと物を言わないのが災いしたのだろう。ヘリヤは納得したような声音で返事を返し、私が制止する間もなく扉を開けて入ってきた。
「あ、あの……そういう事ではなくてですね」
「まぁまぁ遠慮なさらず。それでどの衣服をお選びになられたのですか、紫蘭さん?」
「いや、その……実はですね」
これ以上は迷惑になるだろう、そう思って私は彼女へ全てを打ち明けた。すると彼女は一寸だけ驚いたような表情を見せた後、腕を組んで唸り始めてしまう。
「ふむ……紫蘭さんの言い分が小官には理解出来ませんね。今は特例、福引きにでも当たったと思えば良いのです。そうして好きなものをお召しになられれば良いでしょう」
「そもそもお支払いがですね、難しいというか」
「あぁ、お代についてはご心配なく。ここにある服は小官の同期が勝手に作って、勝手に廃棄したものですから商品ですらないのです」
「勝手に作って勝手に廃棄ってどういうことですか……? というかこれ、その方が全部お一人で作ったのですか」
「ええ、手先が滅茶苦茶に器用でして……外科手術専門の励起兵装を宛てがわれたのもそういう理由だったのでしょうね。ひぃふぅみぃよ……ええと、たしか十本の腕を全て同時に稼働させられますからね彼女。ちょっと規格外の変態です」
──変態……?
今、変態と言わなかったか。この場合における変態とはどっちの意味合いになるのだろう。技術力があまりにも高い場合に宛てがわれるのであれば一種の勲章的なものだと聞くが、そうでない場合は純然たる変態になる。いきなりケツを揉んできたり、暗がりから現れていきなり全裸になったりするタイプだ。
仮に遭遇するとしても、後者で無いことを願うばかりである。
「あとはまぁ、これらの衣類は着こなせる対象が居ないという理由で破棄していました。上官には大き過ぎるし小官では小さ過ぎる。かと言って自身で着るのはポリシーに反するとのことで、雑多に破棄していたものを小官が勝手に保管していたのです」
「……なんだかよくわからない方ですね。それならどうして衣服を作っていたのでしょうか?」
「それは後ほど本人に聞いてみてください──貴女の診察を担当する予定ですから」
これ程までに早いフラグ回収は経験したことがないし、よりにもよって診察を担当されるなど誰が予想出来ただろう。
それに最も気になるのは、着こなせる対象が居ないのに作り続けた理由だ。普通は着せたい相手を想定して作るものだと思っていたのだが……こう、色々な疑問や不安が尽きない。どうしてこう出会う相手が一癖も二癖もあるような者達ばかりなのか、神様に会えたら聞いてみたいものだ。
「キャラが濃いといいますか、癖は強めですが腕は確かですから安心してください。変態的な部分もありますが、医療の徒を自称するくらいですから変なことはしないはずです」
「不安しかないですよ、そんなこと言われたら」
「ははは、私達天使に冗談を言う機能はありませんよ。
彼女──アレスピオクレスは紛うことなき医療の徒であり、真正の変態である。それが現実なのです」
こうも自身満々に言われてしまうと、どう返したものかと迷ってしまう。彼女の顔付きは真剣そのものであり、とても冗談だとは思えなかった。
「──少々脱線が過ぎましたが、衣服の代金については納得いただけましたかな?」
「う、うーん……まぁ、そういう事なら……?」
「では選んでいきましょうか、紫蘭さん」
やや腑に落ちない気持ちを残しつつ、私は彼女と共に衣服選びを再開したのである。
「いやはや、素材が良いと考え甲斐がありますねぇ」
「本当に良い素材を使ってますね、これ……棄てるなんて勿体ないです」
「ははは、小官の言う素材というのは貴女の事ですよ。
ここ海の国には多種多様な亜人種が居ますが、貴女程整った容姿の方はそう居ません」
「もしかして冗談を言う機能はなくても、お世辞を言う機能はあるんですか?」
「ははは、上手い返しをしてきますね。
ですが残念、少なくとも小官にはそのどちらもありません。故に発言の全てが心からの言葉なのですよ?
その白髪も艷やかで肌も白くきめ細やか。加えてやや切れ長の瞳は吸い込まれそうな程に美しい色をしています。唇も程よい厚みがありますし、紅を引けばもっと色気を増すでしょうね。
それに体の方も良い。下地としての筋肉がしっかりついていて、その上に女性らしい肉の付き方をして──」
「わ、わかりましたから!
そんな細かく言わなくても良いっていうか、言わないでいただけると……その……助かるといいますか」
褒められるにしたって言い方があるだろう。今までろくに褒められてこなかったのもあるだろうが、事細かにサラッと褒められるのは物凄く嬉しいけど同じくらい恥ずかしいのだ。
「おや、どうしてですか?
小官は事実を述べているまでですが」
「それが恥ずかしいんですよ……」
「どうしてですか?
美しいものを美しいと言ってどうして──」
「褒めるにしてももっとこう、短くですね……可愛いとか、綺麗とかでいいじゃないですか」
「ふむ……
では率直に言わせていただきますが、一目で抱きたいと思うほどに貴女は綺麗なんですよ。紫蘭さん」
顎に軽く手を当て少し考えるような姿勢をとること数秒、納得したような表情を見せたかと思えばとんでもないカミングアウトをされた。もしやこの天使、どっちもイケるクチなのだろうか?
──余談だが娘を連れ去られたあの日以降、何度かソフィにそういう相手をさせられたことがある。
男の様に激しく犯してくる事はないが、さりとて優しい訳ではない。此方の反応を楽しんでいるのか長く執拗に攻めてくるのだ。それも緩急を付けつつ、優しくて甘い刺激を絶えず与える。まぁ緩急を付けると言っても休ませないのだから、過度な快楽は当然苦痛へと変わっていく。
彼女曰く、苦痛と快楽が混ざるその最中に喘ぐ姿に興奮するとかなんとか。加えて同性故か、身体を堕とすコツを掴むのが早かった。あれは生涯忘れないというか、忘れられないと思う──
そんな過去の記憶に悩まされていると、彼女は口元を隠しながら忍び笑いを漏らしていた。
「そのような顔をされると小官も困りますね。
いやはや、本気にして良いのやら」
「……冗談、だったんですか?」
「さぁて、どうでしょうね?
このまま戯れるのも構いませんが、一先ずは服を決めてしまいましょうか」
「あ、はい」
「と言っても決めきれていないご様子ですし、勝手ながら小官がコーディネートさせて頂きます」
そう言って会話を断ち切るとヘリヤは足早に進んでいく。その足取りに凡そ迷いと言うものはなく、数分も経たない内に戻ってきた。その手には数点の衣服が抱えられている。
「では失礼して」
突如奪われるコート。いや、元々は彼女のコートなのだからこの表現は誤っている。等と考えているよりも先に気にすべき点はあるだろう、この年で他人に着替えを手伝って貰うなんて異常事態なのだから。
「ひ、一人で着替えられますから!」
「まぁまぁ、貴族にでもなったと思って。
紫蘭さん、片足上げて頂いても宜しいですか?」
──この女、聞く耳を持たない。
というか下着まで平然と着させようとしてくるなんてどうかしている。子供が相手ならまだ理解できるが私も彼女も立派な成人だ、そういう趣向のプレイもあるらしいが此処はそういう場所ではない。
「ほら、早く着替えますよ」
「わかりました、わかりましたから……」
もう言うとおりにしたほうが早く終わる。いっそ着せ替え人形にでもなったと思って耐えた方が楽だ。下着を着替えた後は一切の反応もせず、淡々と指示に従った。
「はい、これ終わりです。鏡はこちらですよ」
「……ありがとうございます」
案内された先には大きな鏡面が置かれており、全身が余裕を持って映るほどであった。
ちなみにコーディネートの内訳はこんな感じだ。上半身はホルターネックのチューブトップにクロップドジャケットを合わせ、下は厚手のカーゴパンツにコンバットブーツ。カーゴパンツにはいくつかのポケットがあり収納性もある。ただしジャケットの丈がやや短く臍が丸見えなのもあって、いつもより腹回りが細く見えた。腹回りの露出が多いのはやや気になるが、このような出で立ちならショートヘアーにしても良いかもしれない。近頃は伸ばしすぎたと感じていたから良い機会だろう。
「紫蘭さんは女性らしいデザインのものは苦手そうでしたので、そのような組み合わせにさせていただきました。
ややミリタリー寄りですが、どうでしょう?」
「お腹周りが少し気になりますが、わりと好みですよ。
しかし私がそういうスタイルが苦手だとよくわかりましたね?」
「わかりやすい反応をなされていましたからね、あれなら誰でもわかるかと」
「……そんなにわかりやすかったんですか?」
「そりゃあもう。おかげで選びやすく助かりました」
「そ、そうですか……」
その昔村長姉妹にもわかりやすいと言われた時は半信半疑だったけれど、初対面の彼女がそういうのなら正しいということだ。村長姉妹曰く、私が何かを選んだりする時は露骨に態度として現れるとのことだった。
苦手なものや使えないと判断したものは殆ど見ずに済ませてしまう癖もあると指摘された事もあったし、本当にわかりやすいのだろう。
「さて、それでは診療所へ向かうといたしましょうか。
あまり時間をかけてしまっては上官に叱られてしまいますからね」
そう言いながら彼女が指し示した腕時計は午後3時半を回っていた。ここへ入ったのが午後1時頃なので、思っていたよりも長く滞在してしまっていたらしい。
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