☆EVENT コスチューム・プレイ


 ──着る服が殆どないのでは?


 脱衣所にて着替えている最中、脳裏を過ぎったのはあまりにも切実過ぎる現状だった。


 あの大規模な襲撃が原因で自宅は倒壊し、持ち出せた荷物は何一つとしてない。着の身着のままで村を出た私達はリブラと出会い、それからも色々とあって今に至る。負傷に次ぐ負傷で衣服はボロボロの穴だらけになり、昏倒続きの私には修繕する暇さえなかったのだから仕方無いといえば仕方無い。


「……うっ」


 が、これは流石にアウトだろう。言い訳になるが、汗やら血やらよくわからん液体の染みた衣服なのだ。はっきり言って臭い。それこそ猫型亜人種なら、確実にフレーメン反応を起こしかねないだろう。

 正直気乗りはしないが、流石に全裸で歩くわけにはいかないので着るしかないのが心苦しいところである。一度気になってしまうとそこから先、えも言えぬ不快感としてそこに存在し続けてしまうのも嫌な話だ。


「紫蘭、何かあったのか?」


 衣類をどうしたものかと思案しつつ夜空を見上げていた所、メネが話しかけてきた。手にしたグラスに注がれているのはブランデーらしく、いつもの嗅ぎ慣れた甘い香りが漂っている。

 ほろ酔い状態な彼女との雑談が途切れかけた頃、私は冗談交じりに件の悩みを打ち明けてみた。


「──だよなぁ。私らも着替えが欲しいんだが……近くの国とかへ買いに行くにしても、こんな身なりじゃ門前払いされちまう」

「ですよね……まさか服を買いに行く服がなくなるとは」

「今後はあれだな、避難所にも衣類を置いておこう」


 諦観した声音で愚痴る彼女も同じ問題を抱えていたらしく、現状の打開策は浮かびそうになかった。一応ソフィやエーギルへお使いを頼むことも考えたらしいのだが、ソフィは兎も角エーギルは行って帰ってこれるかわからないとのことで保留となっているらしい。


「あとあれだ、エーギルはお前の服しか買ってこなさそう」

「あぁ……ありえますね」


 そう、彼女なら本気でやりかねないのだ。出会ってからというもの、彼女からのアプローチが異様に強い。食事の際には必ず私の左右どちらかに座ろうとするし、一時は介助を理由に風呂まで一緒に入ろうとした前科かこがある。過去に存在していた広い浴場……たしか温泉といった施設ならそれもありなのだろう。そこから裸の付き合いというものが生れたとセレネさんから聞いているし、大人数で入浴するのは楽しそうだ。

 しかし村にあるのは簡易入浴場であり、大人一人でもそれなりの狭さを感じる。浴槽も二人で入れるには入れるがほぼ密着状態になってしまうので、原則一人ずつの入浴となっていた。


「そんで買ってくるのは露出度の高い奴だったりしてな」

「流石にそれはないと信じたいですね……

 そもそもそんなもの売ってるんですか?」

「国柄にもよるけど、海の国は露出の多い傾向にあるな。

 あとは生地に麻布あさぬのを使うことが多くて、水着の種類も一番多いらしい」

「水着ってあの下着みたいなやつですか」

「そう言うなよ、水着にもデザインは色々とあるんだから。

 ガッツリ泳ぐ事を念頭においたものなら露出は少なめだし、磯遊びや砂場でのんびりする奴向けのものもある。足回りが気になるのならパレオとか巻けば良いしな……」


 そこまで言いかけ、彼女は少し難しい表情を見せた。なにか思い出せそうで出てこないのか、ややむず痒そうな雰囲気もある。

 数分程考えついに思い出したのか、彼女は手にしたグラスを近場のテーブルに置くと私の手を取って教会地下の倉庫部屋へ向かったのだ。


「いきなりどうしたんですか」

「やっと思い出してな。服に使える生地がいくらか残ってるから見てほしいんだよ」

「それは構わないですけど、どんな生地があるんですか?」

「伸縮性のあるやつで着圧感のある素材だ」


 倉庫部屋に入るなり彼女は幾つかの箱を取り出し作業台に並べていく。並べられた木箱から取り出したのは独特の手触りがする生地だった。ザラザラはしていないが、シルクのようにツルツルしているわけでもない。そして引っ張ると程よい伸縮性があった。なんとなくだが、質感は悪くないと思う。


「ちなみにそれで作るとな、体のラインがくっきり出るし色によっては透けるぞ!」

「どんな罰ゲームですかそれ!?」

「裏地を縫えば透けないから安心しろって」

「フォローになってないですからね……それ」


 などと彼女は愉快そうに笑うが冗談にしてはキツイ。水着なら理解できるけれど、それで町中を歩けというのは厳しいものがある。なのでこれはインナーとしてならどうにか使える、といった具合に留めておこう。


「まぁ元々が水着用の素材だからな、仕方ないさ」

「流用は難しいかも知れないですね……他にはないんですか?」

「他はあれだ、ドレス用のシルクと──」


 大凡の用途を説明しながら彼女が出してきたのは、これでもかと言う程の生地。一体何にどれだけ使うつもりでここまで買い込んだのかと、目にした誰もが聞きたくなるほどの量だ。遂には地下倉庫では見せきれないからと言い始め、講堂内へ運び出して広げだす程だった。

 明らかに溜め込み過ぎだとは思うが、今はありがたい事この上ない。生地のカラーバリエーションも多く、ついでに旧式の足踏みミシンも出てきたのだから文句なしだ。

 これだけあればどんなものでも作れるだろう。いつか紫が強請っていたマリーナの衣装も作ってやれるし、その端切れでふわふわのぬいぐるみを作ってもいいかも知れない。


「──お前、服を作るとなると本当に愉しそうな表情するんだな」

「ええ、針仕事は好きですから」

「それもそうか。いつかの時に、叶うのなら裁縫屋になりたかったなんて言ってたくらいだしな」

「それをお話ししたのは随分と前なのに、よく覚えていますね」

「当たり前だろ。姉さんと私とお前、この三人で初めて飲んだ日の事なんだから」


 それから暫し雑談つつ素材を吟味していると、仮眠室の扉が開かれ眠たげな表情のセレネが現れた。


「……やべ」

「──なに、これ……?」


 隣にいるメネの顔がさーっと青褪めていく。反応からするに、これらは彼女が勝手に買い溜めていたものらしい。セレネの方は概ね予想通り、物凄く怒っているようだ。


 ──結果として、メネはセレネに小一時間程絞られたのである。


 特に用事もなかった私はそのまま講堂内で叱責を聞き流しつつ、彼女が買い溜めた生地の吟味を続けていた。

 私達の住むこの地域一帯は年間を通して安定した温暖な気候故、夏服や冬服といった概念自体が薄い。故に衣服は破れにくく丈夫で、それなりの通気性があれば良かった。だから素材選びにはあまり悩まなくて済むのがありがたい。

 そうして一通りの素材を吟味し終え、アイディアをメモし終えた辺りでお説教も一段落したようだ。


「全く……相談もなしにこれだけ買い込むなんて本当に馬鹿なんじゃないのかしら」

「だって相談したら許してくれないだろ?」

「当たり前……って言いたいけれど、今回ばかりは責めきれないわ。衣服については私も問題だとは思っていたし」

「じゃあ──」

「──今回たまたま上手く噛み合っただけなんだから、駄目に決まってるでしょ?」

「……ハイ」


 姉妹というか、お母さんと娘みたいな構図だ。私にもあんな子供時代があったのかな、等と考えていると役場で寝ていたソフィ、エーギル、ゆかりの三人が講堂へ入ってきた。ゆかりはまだ寝ぼけているのか、エーギルに背負われたままぐっすりとしている。


「みんな朝から賑やかだね。そこにある生地の山は一体どうしたの?」

「メネの私物。私に内緒で溜め込んでいたらしいの」

「まぁ……私てっきり生地屋でも始めるのかと思いました」

「店をやるには十分ですもんね、これ」

「まぁコツコツと買い溜めていたからな……お陰で品質の管理は大変だったよ。ちょいと仕事を抜け出したりもしてたし」

「昼間にちょくちょく抜け出していたのはそういう事だったのね……お姉ちゃん、そういうのはプライベートな時間でやっていて欲しかったなぁ」

「わ、悪かったよ……」


 余罪も吐いていたようだし、これで暫くは姉の言いなりになってしまうのだろう。素材の買い溜めくらいならまだ許されただろうに、勝手に自爆しているのだからフォローのしようもない。


「ねぇメネ、これはどうする予定だったの?」

「服を造ったり色々としようかと思っててな……代えの服がそろそろ無くなるって話も紫蘭としてたからさ」

「まぁ、それは楽しそうですね!」


 これはまた意外な人物が食いついたものだとこの場の全員が思ったことだろう。普段から地に足のつかない言動を繰り返すエーギルが、まさか裁縫に興味を示すなど思うまい。


「エーギルさん、裁縫は得意なんですか?」

「はい。あちらにミシンもあるようですし、素材もこれだけあるのです。お義姉さまの望むものならなんだってお作りできます!」

「本当、エーギルちゃんは紫蘭ちゃんのことが好きなのね」

「……あ、ちょっと面白い事考えた」


 どうしてだろうか、ソフィの言う面白い事が全く楽しめそうにないのは。根拠はさっぱりないのだけど、嫌な予感がしてならない。


「皆でお互いの衣服をデザインしあってみたらいいんじゃないかな」

「是非、是非とも!」

「あら、それは楽しそうね」

「良いんじゃないか?

 素材もこれだけあるんだ、好きに使ってくれ」

「オッケー、それなら一人一着分のデザインを考えて作ってみようか」

「ニ着以上仕立ててもよろしいのでしょうか?」

「……まぁ、素材を使い切らなきゃいいけど」

「そんな野暮な事はいたしませんから、ご安心を」


 予感的中。どうにかして逃げようとも考えたのだが、村長姉妹も快諾しているのなら止めようがない。今更反対したところで受け入れられないのは間違いないし、空気を悪くしたくはない。

 それに皆良識ある人物なのだから、公序良俗に違反するようなデザインを出してくる奴は居ないと信じている。


 そうしてある程度のレギュレーションを決めてから、私達は解散し指定日時までデザインを練ることとなった。日時を別けたのは足踏みミシンが一台しかないのが大きいが、サプライズとしての楽しみをなくさない為だとも言う。正直それが一番の理由なんじゃないかと思ってしまうのは私だけだろうか?


 ──余談だが、採寸行為は全てエーギルが行った。

 やはりというか、私の時だけ滅茶苦茶細かく測られていたらしい。



「ねぇお母さん、服のデザインってこんな感じでも伝わる?」

「どれどれ……うん、これならわかりやすいね。

 それにとっても可愛らしくていいじゃない!」

「ほんと!?」

「ほんとほんと。これはお母さんも作り甲斐があるよ」


 ゆかりが手渡してきたのは全員分のデザイン案。まだ拙さは残るものの、我が子ながら中々に良いセンスと絵心ではないかと思う。内心では童心全開なファンシーファッションが来るのではないかと身構えていたのだが、渡されたのはそういうモノでもない。私達基準の日常生活に則しつつ、各人物をイメージしたワンポイントを仕込むあたりが可愛らしい。


 姉であるセレネにはインクボトルと羽根ペンをモチーフにしたワンポイントの仕込まれた物を一着。妹のメネには楽器と音符をモチーフとしたワンポイントを仕込んだ物を一着ずつデザインしていた。この二人に関しては基本となるデザインとカラーが共通しており、ワンポイントだけで上手く差別化している。

 ソフィのものは黒を基調としており、ゴシック寄りのデザインにされていた。フリルは無いが胸元を軽く開けて縁を細めのレースで装飾しているあたり、娘は彼女に対して少し歳の離れたお嬢様のようなイメージでも抱いているのだろうか?


 なお、エーギルについては本人からの強い要望でデザインされる側から外されている。なんでも普段着用しているアレ以外の服は体が受け付けないらしいのだ。その理由については本人にもわからないということで了承されている。

 ただし、デザインする側としては参加しておりちょっぴり気になっているのも確かだ。主に暴走しないかという方面ではあるが。


「ちなみにね、お母さんのは内緒!

 エーギルお姉さんが作ってくれるから、待っててね」

「そうなんだ、楽しみにしてるね。

 それで、エーギルさんにはちゃんとお礼した?」

「もちろんしたよ。お礼は忘れないもん」

「そっか、偉い偉い」


 頭を撫でてやると嬉しそうにする娘に癒やされつつ、エーギルへのお礼をどうしたものかと悩んでいた。なんでもしてあげる、なんてことは口が裂けても言えないし、かと言って何かしら渡せるようなものもない。衣服を一着仕立てるのは簡単ではないし、一体どうしたものだろうか。

 結局妙案は浮かばず終いのまま、やることを済ませた私達は就寝したのである。






 ──そうして迎えたお披露目当日。



「なんだかちょっとドキドキするね、ゆかりちゃん」

「みんな、喜んでくれるかな……?」

「大丈夫よ、きっと喜んでくれるわ」

「心配ないよ、ゆかり。あれならきっと大丈夫」


 内心、私もドキドキしている。ただしその原因は彼女らのそれとは正反対の位置にあるのも確かだ。村長姉妹と娘についてはなんの心配もないのだが、あの二人が何を持ってくるのかが気になって仕方ない。ソフィはまだ茶目っ気くらいで済むかもしれないのだけど、エーギルに至っては全く予測が立たなかった。


「他人の衣装を手掛けたのは始めてだから、僕もちょっと緊張するな」

「そんな機会は中々ないもの、私だって緊張しているわ。

 紫蘭ちゃんはどう?」

「私も緊張しますよ。昔から作ってはいましたが、基本は娘のものばかりでしたし……皆さんのお気に召すといいのですが」

「お義姉さまの手掛けたものならなんだって構いません……これ以外着用出来ぬこの身をコレほどまでに恨んだ日はありましょうか」


 想像通り滅茶苦茶悔しそうにしているエーギルは一先ず置いておき、催し物は始まることとなった。

 まずはセレネから、ということになり彼女は一人仮眠室へと消えていく。それから待つこと数分、着替え終わった彼女が現れた。


「どうかしら……?」


 穿き慣れていないのか、スカートの裾を気にしながら尋ねる彼女はちょっぴり新鮮な感じがした。普段の彼女をよく知る人物なら確実に二度見をするだろう。

 明るいブラウンのクルタシャツに白を貴重としたギンガムチェックのイレギュラーヘムスカートという装いにはどこか、垢抜けた町娘のような快活な雰囲気があったのだ。


「セレネお姉さん、可愛い!」

「そ、そうかな……スカートなんて久し振りだからちょっと恥ずかしいけど」


 恥ずかしさもあるが褒められて嬉しいのだろう。ちらりと見えた彼女の耳は普段よりも赤くなっていた。


「似合ってると思いますよ、セレネさん」

「私もそう思うよ。姉さんは普段から着込みすぎだから丁度いいんじゃないか?」

「ええ、私も可愛らしい装いだと思います。

 どなたがデザインいたしたのですか?」

「僕がデザインしたんだ、悪くないだろう」


 これまた意外な回答者だった。ソフィ自身が落ち着いた大人らしいデザインの物を好んでいたので、まさかこういった路線で攻めてくるなんて誰が想像出来ただろう。


「えぇ、普段のセレネさんとは違う魅力が引き出されていて良いと思いますよ」

「ふっふっふ……実はまだ完成じゃないんだわ。

 セレネ、卓上にあった物を掛けてみてくれないか?」


 どやりつつ追加のオーダー。彼女のいう卓上にあったものとはなんだろうか?


「ええと……、こんな感じかしら?」


 一度仮眠室へ戻り、戸惑いつつ現れた彼女は眼鏡をかけていた。


「そう、それだよセレネ」


 そんな彼女の装いを非常に満足げな表情で見るソフィ。しかし私を始め、娘もメネも微妙な表情を浮かべている。


「……なるほど、良い趣味をお持ちですね。ソフィ様」

「だろう? 伊達メガネだけど、似合うと思っていたんだよ」


 唯一違う反応を見せたのはエーギルであり、非常に興味深そうな視線を送りつつ何度も頷いていた。どうも私達には理解出来ない魅力のようなものがあるらしく、それを理解している二人はしばしの間盛り上がりを見せていた。


「なんかあの二人、怖いかも……」

「まぁ……うん。あの二人はそういうのが好きなだけなんだよ」

「メガネ、か……なぁ姉さん、ちょっとそれでポニーテールにしてくれないかな。多分似合う筈だから」

「えっと……、これでいいの?」


 細いゴム紐を咥え、手早く髪を一つ手にまとめ上げるとその根本を縛るセレネ。普段なら見せないであろう装いの彼女は、また違った魅力を見せてくれた。

 そんな姉の姿にメネは無言でサムズアップし、満足そうに頷いていた。どうやら彼女もあちら側の人種であったらしい。


「ええと……も、もう良いわよね!」


 褒められるのも度が過ぎれば強い羞恥を生み出すもので、セレネは皆の返事を待たずにそそくさと仮眠室へと戻ってしまった。私達親子を除いた三人が酷く残念そうにしており、その落胆ぶりは少し心配になる程である。

 ポニテとメガネという組み合わせに対し、一体どれ程の思い入れがあればあんな反応になるのだろうか?


「お待たせ……って、なんかみんな凄く落ち込んでない?」

「一時的なポニテメガネロスだから心配する必要はないかと……」

「ぽにてめがねろす?」

「後で教えてあげるから、今は忘れてねゆかり」


 ここまでくると苦笑するしかない。ガッツリテンションの下がった三人を無視しつつ、改めてセレネを見てみる。

 今回はゆったりとしたデザインのトップスとタイトめのボトムスという組み合わせであり、暖色系でシンプルにまとめられている。トップスの左胸に添えられたインクボトルと羽根ペンのモチーフがアクセントとなっており、落ち着いていながらも可愛らしさも忘れていない。


「シンプルながらも可愛らしくまとまってて良いわね。それにとっても動きやすいわ……このワンポイントはインクボトルと羽根ペンかしら?」

「そうだよ。セレネお姉さんはいつも役場で何か書いてるから、そのイメージが浮かんだんだ」

「セレネらしくていいじゃないか。ゆかりちゃん、センスあるよ」

「ありがと、ソフィお姉さん!」

「うん。ゆかりちゃん、本当にいいセンスしてるわ。素敵なお洋服をありがとう!」

「どういたしまして!」


 娘が嬉しそうに笑うと、頭上の環状発光帯もあわせて輝きを増していく。それが犬の尻尾のように感情の機微を如実に現すものだから、なんだか少し可笑しくてついつい笑ってしまう。

 まさか娘があんな風に笑って、思いっきり楽しむ事ができる日が訪れるなんて思いもよらなかったから。


 だけど、私は心の底から笑っている訳ではない。失ったものも多く、決して喜ばしいことではなかったあの日の出来事。けれどそれがなければ、こうして元気な娘の姿を見ることも叶わなかったのも事実。故に私はこの時間を素直に喜び、楽しんでいいのだろうかと迷っているのだ。


「──お義姉さま、今は楽しむべきです。

 この村で何があったのかは存じ上げませぬが、それは貴方様が気に留める必要のない悔恨でありましょう」


 いつの間にか肩が触れるか触れないかの距離に来ていたエーギルは、私にだけ聞こえるような声量で話しかけてきた。決して大きくはないけれど、するりと入り込む蛇のような声は私の思考回路に絡みついてしまっている。


「幸福は犠牲の上に──

 そう教えてくださったのはお義姉さまですよ?」

「けど、それは……」


 ──きっと、正しい。

 誕生日のケーキだって誰かが作らなきゃ用意できない。誰も犠牲も払わずに享受出来る喜びなんて、私は知らないから。


「難しく考える必要はありません。

 今はご息女……ゆかり様も楽しんでおられるのですから。影を差すような表情はやめておきましょう、お義姉さま」


 そう言って、彼女は柔らかな笑みと共に私から離れていく。良くも悪くも、彼女は本当によく私を見ているらしい。未だ胸に燻るものはあるけれど、彼女の言うとおり娘が笑っている間は考えないようにすべきだろう。



 ──そうしてあれやこれやと着替えては楽しむこと数時間。


 メネに対しては各々が男性寄りのコーデを考え、ソフィにはやや貴族寄りのコーデが集中し、ゆかりには可愛らしいデザインのものばかりが寄せられた。個々人が誰に対してどんなイメージを持っていたのかとてもわかり易く、概ね満足といった具合である。

 これは余談だが私が手掛けたマリーナの衣装は存外評判が良く、現在進行形で娘はそれを着ているのだ。


 そうして迎えたるは私の番。誰がどんなものを作ったのかと、ドキドキしながら向かった仮眠室には五つの篭が置かれていた。

 左から順にセレネ、メネ、ソフィ、ゆかり、エーギルといった並び順なのだが、最後の一つだけやたらと篭が大きい。恐らく他の人の倍はありそうだ。


「……まぁ、最後だからいいか」


 若干の憂鬱さを覚えつつ、セレネのデザインした衣服へ袖を通しみんなの前に出た。


「その、どうでしょうか?」


 用意されていたのはチューブトップに袖のないロングシャツと、やや股上の浅いチノパン。ロングシャツはボタンを止めず、開けて着るようにとわざわざメモ書きが置かれていたのだ。


「へぇ、随分と印象が変わるもんだ……私は好きだなこういうの」

「でしょう?

 前に海の国へ行ったときにこういうのもあったなーって思いだしてね、紫蘭ちゃん身長高いし絶対に似合うと思ったのよ!」

「いいチョイスをしているよ、セレネ。

 これで海の国へ行けば声かけられること間違いなしじゃないか、紫蘭?」


 メネは興味深そうに見つめ、セレネは自信満々といった感じで頷いている。ソフィはソフィで愉しそうな表情を浮かべていた。


「お母さん、モデルさんみたいだね!」

「えぇ、とてもお似合いですわお義姉さま」

「モ、モデルは流石に言い過ぎじゃないかなぁ……」


 褒められる度に気恥ずかしさはどんどんと増していくが、悪い気はしなかった。それで気を良くして求められるままポージングしたりしだすのだから、私は私が思うよりもチョロいのかも知れない。


「も、もうこれくらいでいいですよね……」

「もう少し、と言いたいところだけど他の人のも見たいからね。期待してるよ紫蘭」

「そうね……素材が良いとデザインのし甲斐があるわ」


 何を期待しているのか気にしつつ、仮眠室においてあるメネのデザインした衣装へと着替える。


「お待たせしました」


 こちらも他所行きのコーデなのだろう。ややスリットの深いキャミワンピースと、ラウンドネックセーターという組み合わせだった。お腹が出ていない分、先程よりはマシなのだがこちらは脚の肌面積が広い。普段着込んでいるから露出を増やそうとする傾向があるのだろうか?


「なんだろうな……普通に似合いすぎてちょっとムカついてきた」

「ごめんね紫蘭ちゃん、私もメネと同意見かな……改めて見るとさ、スタイル良すぎない?」


 二人の目付きが少しばかり怖い。下手に返せばさらに恨まれるというか、根に持たれそうな気配が立ち込めている。


「そう言われましても……」


 間違っても同じとか言えない。私は二人が抱えるコンプレックスを知っているから尚の事、口にするわけにはいかなかった。セレネは身長と胸の無さを気にしているし、メネは脚の太さを気にしているのだ。


「ひょわっ!?」


 何か上手いフォローはないものかと頭を悩ませていたその最中、突如として背後から胸を揉まれ変な声が出てしまった。


「んー……確かにスタイルいいよねぇ、紫蘭」

「え、あ、ちょっ……ソフィさん!?」

「おまっ、なにしてんだよソフィ!」


 背後から聞こえたのはソフィの声。抱きつくようにピッタリとくっつかれたものだからろくな身動きは取れず、彼女のしたいようにされるがままとなってしまう。


「ソフィちゃん、揉み心地は……じゃなくて、止めなさい!

 紫蘭ちゃんも困ってるわよ!?」

「えー、少し筋肉質だけどハリがあって個人的には最高のもみ心地なんだけどなぁ」

「なに真面目に答えてるんですか、ソフィさん!」


 なんとかして引き離した時には色々と乱れてしまったので、諸々を直すついでに着替える事にした。前々から過ぎたスキンシップは度々あったのだし、今後は彼女にも気をつけるべきなのかも知れない。


「エーギルお姉さん、なんでソフィお姉さんはお母さんのおっぱい触ったの?」

「……大人のスキンシップ、というものです」

「そっかぁ、へんなの」

「……そうですね」


 ──なんだか少しだけ背筋に冷たいものが走ったが、気の所為だと思いたい。


「はぁ……次はソフィさんのか」


 下着の位置を直しつつ篭を開けると、そこには真っ黒なチーパオが畳まれていた。丈は市販のそれよりも長く膝を超える程度になっており、腰から下は少しばかりのゆとりがある作りになっていた。全体に施された龍の刺繍も銀糸を使っており、渋みの強い印象になっている。

 全体的には好ましい作りなのだが、左腿に入れられた深いスリットが少々気になるところだった。


「それでこのスパッツということか」


 きっと気になるだろうから。という一言メモと共に残されていたのが水着用の生地で造られた伸縮性の高いスパッツだ。これならスリットが深かろうが関係ない。同梱されていたヒールを履いてから皆の元へと戻った。


「わぁ、綺麗……」

「本当期待を裏切らないねぇ、紫蘭は」

「素敵ですわ、お義姉さま」

「良い趣味してるわ、ソフィも」

「ふふふ、ありがとう」

「紫蘭ちゃん、いっそ写真集でも出して見る?」

「あはは……それはその、遠慮します」


 セレネは写真集なんていうけれど、ほか数名の妨害によってほぼ確実にコスプレ本となるだろう。色々な服を着れるのは楽しいけれど、変な黒歴史は作りたくはない。


「ねぇ紫蘭、君が望むなら幾つか拳法を教えようか?」

「いきなりですね……まぁ、興味はあるのでお願いします」

「良いよ。ただしその服じゃないと教えない」

「……なぜです?」

「チーパオ着た美女が拳法使いとかロマンを感じない?」

「ん、んん……わかるようなわかんないような……」

「悪いが私らもさっぱりだ……」

「そうかいそうかい、なら教えてあげようじゃないか」


 呆れ気味のメネに対し、ケラケラと笑いながらロマンを説き始めるソフィ。私も彼女の言うロマンは理解しかねるが、武器もなしに戦える技術というのは貴重だ。習いたいと思うのが普通だろう。


「あのー、長くなりそうなので着替えてきますね……」

「いってらっしゃい、お母さん」

「あの三人、全く聞こえてませんね……」


 ──お次は愛娘のデザインした服。

 正直、一番楽しみにしていたと言ってもいい。期待に胸を膨らませながら広げたそれは意外にも黒衣のドレスであった。

 エジプシャンスタイルとフォークロアスタイルの中間にあるような独特のデザインは、どこか異国の意匠を汲んでいるようだ。

 アンクル丈程度のロングスカートにフリルなどは無く、うっすらと透けるようなレース地を胸元や胴回りにあてており、蔵書にあった原版とは異る系譜のデザインらしい。また、襟元や袖口を銀糸で縫ったりと細かなこだわりも効いている。

 初めて袖を通すドレスなのに、なんだかとても懐かしい。懐かしいというか肌に馴染むような、不思議な感覚を覚えたがきっと気の所為だろう。


「──お待たせしました……って、皆さんどうしたんですか」


 エーギルと目を輝かせる愛娘以外、一様にして呆けた表情のまま固まっていたのだ。


「いや、見たことのないデザインだから驚いてたんだ」

「これをデザインしたのはゆかりちゃんなのよね?

 一体どこからこんな発想を得たのかしら……」

「これね、エーギルお姉さんと一緒に考えたんだ!

 エーギルお姉さんとお母さんの故郷に伝わる衣装をアレンジしただけなんだけど、思ってたよりずっと綺麗でびっくりしちゃった」


 ──私の故郷?


 思いがけない一言だった。依然として私との関係性はわからないが、エーギルは私の故郷について知っている。欠落した過去を思い出すきっかけになるかはわからないが──


「お義姉さま、一つ踊られてみては?」

「これはそういう用途のものなの、エーギル?」

「……まぁ、そういう時にも使います。

 私が演奏致しますので、お義姉さまは思うがままに踊ってくださいね」


 彼女はニッコリと笑い、懐から古びた管楽器を取り出すとそのまま吹き始める。踊ったことなんてないのだが、場をシラケさせるのも嫌なので適当にそれらしいステップを踏んでみるとしよう。


 彼女の奏でる旋律は寄せては返す波のように、同じ主旋律を繰り返しつつも異なる旋律を混ぜてくる不思議なもの。全く馴染みのない、初めて聴く旋律はどこか懐かしく心地好さを感じさせてくれた。それこそ自然に体が動くというか、次はどう動けばよいのかがわかる……本当に不思議な感覚なのだ。


「──ふぅ」


 そうして踊ること数分、旋律の余韻が消えたと同時に一息。そういったものに詳しくはないし、踊ったことも少ないけれど思ったよりは良い結果らしい。


「お母さん、すっごい綺麗だった!」

「ありがと、ゆかり」

「本当……綺麗だったわ。紫蘭ちゃんはどこかで踊りを習ったことがあるの?」

「紫蘭、お前踊れないって言ってなかったか?」


 駆け寄ってきた娘の頭を撫でていると、感心した様子の姉妹も寄ってくる。少し離れた場所に立つソフィはなにやら難しい表情をしていたが、こちらの視線に気付くや否やいつもの表情へと戻ってしまう。


「えぇ、踊ったのは今のが初めてでして。

 それに今のも適当にやってみただけなんです」

「適当であんな動きが出来れば上等だぞ紫蘭」

「そうね。思わず魅入っちゃったもの」

「本当に素敵な踊りでしたわ、お義姉さま」

「そ、そんなに褒めないで下さいよ……」

「僕の目から見ても良い踊りだったし、自信を持っていいよ紫蘭」

「ソ、ソフィさんまで……っていうか皆さんなんか目が怖いんてすが!?」


 それからしばらくの間、私は皆から褒められ続ける事となった。ここまで褒められ続けると流石に気恥かしさが勝ってしまうのもので、後半はやや逃げるようにして仮眠室へと駆け込んでいた。


 ──だがしかし、最後に残っていたのはエーギルが手掛けた衣装。


「そういう手で来たかぁ……」


 着替えてきますと言った手前、着替えないという事は許されない。そもそも作られた衣装は必ず着るというルールがある。だからこそ公序良俗に反しないように、と釘を刺されていたのだが──


「……おまたせしました」

「あ、エーギルお姉さんと同じ服だね!」

「えぇ。素材は異なりますが、私が普段着用しているものと全く同じデザインです」

「ははぁ、そうきたか。エーギルは賢いねぇ」


 何度も姿見鏡で確認したのだから透けて見えることはないと、自分に言い聞かせるもののソフィの反応を見ると不安になってしまう。この場でバラすような真似はしないだろうが、絶対に後で弄ってくる。



 そんな一抹の不安を覚えつつも無事に催し物は終わりを迎え、各自衣類を割り当てられた箱へしまうときに事件は起きた。


「これでよし、と」

「ねぇお母さん、これなーに?」

「……ゆかりはまだ知らなくても良いものかなぁ」


 娘の衣類をしまう前にまず自分の物をしまうべきだったと後悔しつつ、娘が手にしているモノを取り返し箱の奥底へと隠すようにしまう。あの時の私はどうして迷いなく、これを修道服の下に着てしまったのだろうか。


「しまっちゃうの?

 綺麗だったのにもったいない」

「綺麗だとしても、ね」


 娘はその様子を残念そうに見つめるが、これが何なのかを知らないからそう思うのだろう。そして娘が言うとおり、あれがたとえどんなに綺麗だろうと着る機会はないだろう。もし旦那が存命だとすれば着る機会もあったのだろうが、生憎とここでの出番はない。絶対に無いと信じている。


「綺麗だと思うなら着ればいいじゃないか、紫蘭」

「……遠慮しておきます。よくよく考えれば着なくても済みましたし」


 いつの間に来ていたのか、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたソフィが件の衣装を手にしていた。というか広げてマジマジと見ないで欲しい。


「あっ、勝手に引っ張り出さないでくださいよ」

「ごめんごめん、作りが気になっていたからさ」

「それなら普通に言ってください。出して渡しますから」


 彼女の手から取り返そうとしても、のらりくらりと上手くかわされてしまい全く捕まえられる気配がなかった。なんというかこう、動きを先読みされているような気分だ。


「ねぇソフィお姉さん、それって一体なんなの?

 お母さんはまだ知らなくてもいいっていうんだけど、気になってて」

「たしかにまぁ、ゆかりちゃんにはまだ早いかもね。

 ボーイフレンドの一人でもいるのなら知っていても良いだろうけど」

「ボーイフレンド?」

「おっと、まずはそこからか。

 いいかい、ゆかりちゃん。ボーイフレンドというのは……ってこれどこまで言っていいのかな、紫蘭?」


 完全に弄ばれている。そんなに広くない室内で全く捕まえられないなんて思っても見なかった。あちらは余裕たっぷり、こちらはやや息があがるなんて一体どうなっているのだ。


「異性のお友達、くらいでいいんじゃないですか……?」

「だそうだ、ゆかりちゃん」

「ふーん……じゃあ知らなくていいや。

 ゆかりにボーイフレンドが出来たら教えてね、お母さん!」

「そうね、その時が来たら教えてあげる。

 ……ねぇソフィさん、そろそろ返してくれません?」

「嫌だよ、まだじっくり見れてないんだから」

「大体なんで他人の下着なんて見たがるんですか」

「それ下着なの、お母さん?」

「あー……その、下着といえばそうなんだけど」

「すけすけだし、パンツはおしり隠せてないけど下着なの?」

「んぐぅ……!」


 そのとおりなのだ。黒レース編みの上下セット、作りは間違いなく一級品だしフィッティングも良かった。しかし全体的に透けており、下着としての意味をなしているかどうかは非常に危ういラインにある。


 ─つまり、勝負下着。


 そういうことを目的とした服飾品でしかない。

 ……にも関わらず着心地は良く、程よいサポート感があるので全く透けない服装なら着用を検討している。それほどまでに完成度が高いのだ。


「そういう目的の下着もあるということさ。

 ゆかりちゃんも大人になったら自分で探すといい」


 ──そう言って彼女は娘にソレを手渡すと、鼻歌交じりに何処かへ去っていってしまうのであった。

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