第42話 地下室

 ──海の国・深層通アビス──


「……少しは落ち着いたかい?」

「すみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみません、わ、わた、わたし……とととととと、とんでもない、ことを!」


 とてつもない早さで謝罪の言葉を繰り返しつつ狼狽うろたえる子を前に、僕はどうしたものかと頭を悩ませていた。


 発狂の引き金はサフィという単語──恐らくは子の名前なのだろうが、発狂に繋がる理由がわからない。

 悪疫あくえきや悪魔から子をまもるために偽名を与え、大人になるまでは真名を言わないように教育する文化は過去に存在していたが……この子がそれを継ぐような家系にあるとは考え難かった。

 もしもそういった文化を継いでいるのなら、その家系は人類記録を閲覧する権限を持ち、ある程度の理解を持っている事になる。

 仮にそうだとしたら、何故この子はこんな扱いを受けるのだろうか。それだけの権限を与えられた家系は片手で数える程しか居ないのだから、その子息は丁重に扱われるべき存在だ。

 しかし現状は全く逆の扱いを受けていると言っていい。衣類は擦りきれ稚拙な継ぎ接ぎだらけで、手酷い暴行を受けているのにも関わらず誰も助けようとしなかった。それどころか邪険にしていたではないか。


「あ、あの……そのぅ……ほ、ほんっとうに、ごめんなさい……!」

「……いや、傷にもなっていないし大丈夫だからさ。土下座なんてしないでよ」

 逡巡する思考を断ったのは、謝罪の言葉と地面に打ち付けるような激しい土下座の音。肉体的には頑丈なのだろうが中身は違うだろうし、土下座だけは止めさせるべきだろう。無いとは思うが、土下座で脳震盪なんてされたらたまったものではない。

「怒ってないからさ、いい加減に土下座はやめよう?」

「は、はい……すみません、ソフィお姉さん」

 ──それにしてもこの子、どうして謝罪の時は吃りが殆んどみられないのだろうか。言葉に詰まるような感じもなく、あれらが全て意図的なモノだとすれば警戒する必要もありそうだ。

「……それじゃさっさと調べようか。君は後ろから着いてきて」

「わ、わかりました」

 内部に人の気配はなく湿っぽい埃の臭いが充満していた。吹き飛ばされた扉による被害を免れた家具の汚れ具合を見るに、此処は小まめに使用されているのだろう。台所らしき場所には干し肉やラム酒など、いかにもと言った食料品だって置かれている。

 キツめのアルコール臭と薬の臭いに混じるのは微かな血臭。鼻腔をくすぐったそれを辿ると、少々違和感を覚える配置の棚が目についた。それを横へずらすと、何かが嵌まったのか仕掛けが作動し地下へと通じる階段が現れたのだ。

「ひょわぁ……か、隠し扉、です……ね……!」

「みたいだね。先に見てくるから、君はここで待っていて欲しい」

「わ、わかり、まし……た」

 隠し扉に興奮気味の子を残し、地下へと通じる階段を降りていく。その通路に掛けられたカンテラの火は消されているものの、ほんのりと熱を宿している。恐らく消されてからそう時間が経っていないのだろう。

 降りきった先にあったのは小さめの鉄扉であり、紫蘭の臭いはここから来ているようだった。腰の短剣に手をかけつつ地下室の扉を蹴破り突入した途端、強烈な臭気が鼻腔に突き刺さる。


「──くそっ、ここで当たりだったか」

 室内はそれほど広くはなく十畳一間くらいと言ったところで、火の消されたカンテラが入口近くの机に置かれていた。それに火を灯し軽く掲げて見るも特に目立った遺留品は見当たらず、暴力の痕跡が浮かび上がるのみ。この床に飛び散る赤黒いシミは乾いた血液で、すこしキツめのすえた臭いは胃液の類いだろう。

 しかしそんなものはどうでもよい、アイツが受けた暴行の痕跡よりもずっとヤバいものが転がっているのだから。


 ──一体、何をどうすればこんな事になる?


 目前に転がるのは瞳孔が崩れ顔としての輪郭が崩れかけた生首と、軟体動物と脊椎動物が合わさったとしか思えない奇妙な死骸。下半身と胴体は人のソレだが両腕は幾重もの触手を束ねたものになっており、僕が視てきたどの生物とも異なるものだ。もしも発見されていたのなら、確実に注目を集め記録として残されるだろう。

 幸い生命活動は止まっているようだが、触れて良いものかどうかイマイチ判断がつかなかった。目前のこれがそう言う生態のモノであれば触れても良いのだが恐らくは違う。

 もしもあれが芋虫が蛹を経て蝶になるようなモノであれば、両腕部分のみや頭部のみが変化する事はあり得ない。故にあの変化は何かしらの外的要因からくる肉体の変化であると考えるべきであり、その原因に目星が着くまでは手出ししないほうが賢明だ。


 それに万が一、その要因が血液に由来するものであれば僕にとっては致命傷になりえる。

 ……とは言え、現状この空間においては紫蘭へ繋がる唯一の手がかりがそれしかない。腰のポーチから取り出した撥水加工済の革手袋を装着し、ナイフで死骸の一部へ傷をつけてみる。


 ──先ずは触手の折り重なった前腕部。

 切り付けた感触としては棘皮動物に近しく出血は微量。死後それなりに時間が経過しているのか、血液は黒く変色しているが目立った異変は確認されず。

 切断された頭部においては骨格の変異が見られ、口蓋付近が著しく融解。腐敗した結果の融解ではなく、構造を変化させる為に融解させたというような印象。また、ゲル化した眼球においてはその表層に歪な隆起が見られた。抜け落ちかけた左眼球を切断してみたが内部に寄生虫の痕跡はなく、基本的な眼球の構造は残されている。


 ──各切断面より推察するに、この著しい身体変化は内側からの可能性が高い。なんらかの手段で体内へ投与されたものが原因と見ていいだろう。これだけの変容を引き起こすような代物なら、その流通経路は限られたものと考えていい。加えてこんな変化をもたらすものだ、マトモな目的で造られたものではないはずなのだ。


 ──最悪のケースとして、紫蘭がその実験台にされる可能性も高い。

 早急に救出しなければならないのは変わりないが、ここで手がかりになるようなモノはもうなにもなかった。頼みの綱だった血臭においだってこの地下室で完全に途切れてしまっているのだ。


「ごめん、遅くなった」

「あ、あの……お、お姉さんは……?」

 地上へと戻った途端、不安げな表情をした青瞳の子が抱きついてきた。想定よりも長く待たせてしまった子を、そっと抱え上げ片方の手で頭を撫でてやる。

「……見つけられなかった」

「お、姉さん……は、何処へ……い、行ったの、で、しょう」

「わからない、けど諦めるつもりはないから安心して」

 明らかに落胆した声でぐずる子の背を擦りながら外へ出ると、辺りは真っ暗になっていた。栄える鸚鵡貝通ノーチラス・ストリートには街灯があるけれど、こちらにはそんな上等なものはないらしい。点々と焚かれる小さな焚火だけが闇夜を照らし、そこに傷付いた者達が身を寄せ合っている。



 ──そんな深層通アビスを夜空に浮かぶ大きな月だけが照らしていた。


 












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