♡イベント.VALENTINO

「──皆様、贈り物の準備はなさらないのですか?」

 始まりは、そんなエーギルの一言だった。



 事の始まりは二月十二日、村の復興作業がある程度軌道に乗り始めた頃である。新築された教会の外壁が組み上げられ半壊した役場の修繕が終わったその日の晩、ふらりと現れたエーギルが困り顔で呟いたのだ。

「贈り物……?」

 今一ピンと来ない様子の紫蘭親子。村長姉妹はやや間を挟んでから、二人同時に納得したような表情を見せた。ソフィは全く興味がないのか、我関せずといった具合で読書に耽っている。

「紫蘭ちゃん、この時期の贈り物って言えばアレの事じゃないかしら」

「……もしかして、バレンタイン?」

「そう、そうですわ!

 お義姉さまの為にご用意致しますので、楽しみにしていてくださいね」

 いつの間に来たのか、エーギルは紫蘭の前に立ちその両手を握ってとても嬉しそうな表情を浮かべている。傍目からみればそれは恋する乙女の如き様相であり、相手方の紫蘭がしゃんとした表情であったのなら様になっていたのだろう。

「あ、うん……楽しみに、してます……ね……」

 彼女は滅多に見せない引き吊り笑いで返すも、エーギルにはどこ吹く風状態。詰め寄られる形となった彼女は上体を反らし距離を取ろうとしているが、反った分だけエーギルは詰め寄ってくる。いつか押し倒されるような格好で二人とも倒れるのだろうなと誰もが思った矢先、エーギルの裾を引っ張る紫ちゃんの姿があった。


「ねぇ、エーギルお姉さん。バレンタインって、好きな人に贈り物をする日だよね。お姉さんはお母さんの事が好きなの?」

「はい。それはもう、深く、深く愛しています」

 至極真っ当な疑問に対して答えるエーギルの顔は真剣そのもの。しかし答える声が妙に熱っぽく艶かしいモノであった故、子供である紫以外は紫蘭から視線を外す他なかった。

 ──尤も、この現実から一番目を背けたいのが紫蘭であるのは言うまでもあるまい。

「じゃあ私と同じだね、エーギルお姉さん!

 私もお母さんが大好きだもの」

 エーギルの狂気すら滲む告白を前に返されたのは純真無垢な娘の想い。愛がなんたるかを知らないからこその答えなのか、子供の無垢さに多少のダメージを負ったのだろう。

 エーギルは紫ちゃんから視線を外し、小さな咳払いをしていた。

「ま……まぁ、そう言うことです。

 ええ、私もお義姉さまが大好きなので……はい」

「そ、そうですよね!

 そういう意味での発言ですもんね、エーギルさん」

「それは……!」

 言葉に詰まるのは先程のやり取り故か、足元でニコニコ笑顔の子供を前にあの狂気は出せないらしい。

「……お義姉さまは狡いです」

 悔しそうに小声で漏らした本音と共に紫蘭の元を離れると、彼女はそのまま教会の中庭へと消えていったのだ。


 皆が寝静まった夜、どうにも寝付けなかった私は役場の正面にある広場に足を運んでいた。夜風に当たっていれば、そのうち自然と眠くなるだろうか。壊れかけの噴水の縁に腰掛け、空を見上げてしばらくたった頃──

「──隣、いいかな?」

 声をかけてきたのはソフィだった。

「ええ、構いませんよ」

「ありがとう」

 少しだけ端によって出来たスペースに彼女は腰を下ろすと、私と同じように空を見上げ始めた。

「しかし、紫蘭も面白い奴に好かれたものだね」

 唐突に彼女が話しかけてきた。その声はやや弾んでいてながらも、呆れているようなそれである。面白がってはいるのだろうが、彼女なりに心配していているということか。

「……面白くないですよ」

「じゃあ、迷惑?」

「迷惑っていうか、その……」

 困っているのは確かだけど、拒絶する程ではないのだ。狂気的な迫り方はしてくるけど、無理矢理に迫るような事はしてこない。

「同性に好かれるなんて初めてで困ってるんだろ」

「当たり前じゃないですか、そんなの……」

 問題なのはそこだった。異性に好かれるのも馴れていない私にとって、同性から好意を持たれるなんてのは想定外の出来事だった。それに彼女との面識がないのにも拘わらず、彼女は一方的に私をお姉さまと呼び慕うのだから困らない訳がない。

「初めての事だからって逃げるのは勿体ないよ、紫蘭」

「えぇと……つまり、一度抱かれてみろと?」


 ──沈黙。

 暫し続く静寂によって、今のがとんでもない失言だと気付いた時にはもう遅い。隣に座る彼女は体をくの字に折って、必死に笑いを堪えようとしていた。しかしそれも遂に限界を迎えたらしく、彼女は腹を抱えて笑い出してしまう。

「あはは、ははっ……なんだよそれ、君はそっちの気があるのかい?」

「あっ、いや……、そういう訳じゃなくてですね?!」

 冗談ではない。私自身、他人と肌を重ねることに抵抗感はないがそういう話であれば別問題となる。異性に抱かれるのならまだしも、同性に抱かれるというのは想像し難い。

「本当かい?

 君はあの夜、凄くそそる顔をしていたじゃないか」

 顎を優しく掴まれ、強制的に視線を合わせられた。月明かりに照らされる大人びた表情に落ち着いた声音が相まって、私は一瞬心を奪われそうになった。

「……その顔だよ、紫蘭」

 角元で囁かれた艶っぽい声。彼女は見た目こそ十代後半の少女だが、その身に纏う色香は並の女を凌駕していた。

 ──彼女の手が私の顎を離れ、そのまま首を伝っていく。

「……っ!?」

「残念……もう少しだったのに」

 気づけばその場から飛び退いていた。そんな私見る彼女の笑みには、ある種の妖艶さが携えられている。

「……貴女も、そっち側なんですか」

 恐る恐る投げ掛けた質問に彼女はカラカラと笑うのみ。その笑顔に先程までの妖艶さはなく、外見年齢相応の笑いであった。

「いやまぁ、どうだろうねぇ。

 僕はただ美しいものが好きなだけだから」

「……そうやってはぐらかすのは良くないですよ、ソフィさん」

 試すような含みのある表情を浮かべる彼女は本心が全く見えないので、正直なところちょっぴり苦手だったりする。命を救ってくれたし、決して悪い人ではないと理解しているのだが……遊ばれている気がしてならないのだ。

「はぐらかすなんてとんでもない。僕は本心から思っていることを伝えているだけだよ、紫蘭」

「……そうですか」

「まぁそういうことで、お休み紫蘭」

 彼女はそういうと噴水から離れ、教会の方へと去っていってしまう。

 ……なんだかどっと疲れてしまった。エーギルといいソフィといい、どうしてあんなにも二人は癖が強いのだろうか。もう何も考えたくないので、私は役場の仮眠室で眠りにつくことにしたのだった。



 ──翌朝。

「──という訳で、今日は一日皆でチョコを作ります」

「……どういう訳で?」

「明日がバレンタインなので」

 突っ込まずには居られなかった。珍しく寝坊してしまった紫蘭を出迎えたのは、白いエプロン姿の村長姉妹。役場の厨房にはチョコレートらしき塊がボウル毎に分けられており、チョコレート作りに必要なものはおおよそ揃えられていた。

「さ、紫蘭ちゃんも着替えて着替えて」

 そう言ってセレネさんが渡してきたのは三角巾と真っ白なエプロン。厨房を一瞥すると、そこには私を除いた全員がエプロン姿で立っていた。

 ……修道服にエプロンというのは、思ったよりも違和感がないらしい。そんな下らない事を考えつつ手渡されたそれらを着用すると、厨房から娘が走ってきた。

「美味しいチョコレート作ろうね、お母さん!」

「……うん、美味しいのを作ろうね」

 抱きついてきた娘を抱えあげ、共に厨房へと向かう。


 そこからは普段通り、よく村長姉妹が開催していたお菓子作り教室のような雰囲気で調理が進められていく。

 ちょっぴり意外だったのがエーギルの手際の良さである。それこそ昔何処かで習っていてもおかしくない位で、途中からは姉妹が様子を見ることもなくなっていた。そんな彼女と裏腹にソフィの調理技術は拙いものであり、後半はほぼセレネがつきっきりの状態という始末。メネは大ざっぱでありつつ繊細、という奇妙な感じで調理を行っていた。

 基本はセレネに教わりつつ、随所にオリジナリティを加え思い思いのチョコを仕上げていく。そうして昼頃になって、ようやく冷やし固める行程に移ったのである。

「──うん、みんなお疲れ様。

 後は一晩氷穴で寝かせて、明日の朝になったらラッピングしましょうか」

 という事で最後は皆で作ったチョコレートを順に氷穴へと運び込み、使用した道具類の片付けを行ったのだ。

「……こうやって皆でなにかを作るのは良いものね、紫蘭ちゃん」

 洗い物の最中、隣に立つセレネさんが話しかけてくる。よほど嬉しかったのだろうか、声はいつもよりも弾んでおり表情も数段明るい。

「ええ、久しく出来なかったですから」

「また皆で作りたいわね……」

 彼女が手にしていたのは子供用の小さな包丁。柄に刻まれていた花の印はたしか、鹿型亜人種ツェルボ夫婦の息子が使っていたものだ。

「……今度は何を作ろっか、紫蘭ちゃん」

 寂しさの混じった声で笑いながら聞いてくるけれど、彼女の視線は包丁に向けられたまま。

「なら、クッキーを作りましょうよ。あの子が……トゥーレイティアの好きだったドングリを使って」

 ──トゥーレイティアは鹿型亜人種ツェルボの夫婦に産まれた料理好きな男の子だった。私に病弱な娘がいると聞いて、娘の為にお菓子をくれた優しい子……そして、助からなかった命の一つ。避難所へ向かう前に襲われたのか、見付けられたのは上半身だけだったとメネさんが言っていた。

「──そうね、今度はクッキーにしましょう。あの子達も喜ぶわ」

「ええ、きっと喜びますよ」

 それから他愛ない雑談を交えながら使用したそれらを洗い終え、水気を拭き取って片付けた後に各自解散という運びになった。



 ──翌日、氷穴から取り出されたチョコレート達は綺麗に固まっていた。各々の作ったチョコレートを広げ、ちょっとしたパーティーを行った後に紫蘭が丸一日間寝込んだのは内緒の話。

 原因となったのはエーギルから手渡されたチョコレートらしく、チョコレートの甘さのなかに形容しがたい複雑怪奇な味にやられたとの事であった。主訴としては軽い発熱、及び体の芯が疼くような興奮だったとの事。

 なおエーギル本人は自身の体の一部にチョコレートを垂らし舐め取って貰おうと画策していたらしいが、隙がなかった為に件のチョコ作りに走ったらしい。


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