幕間
♡イベント.聖夜の贈物
──異邦の妖精。
真っ赤なナイトキャップの老人は、善い子の為に菓子を配ってくれるのだ。たっぷりと蓄えた白髪白髭に優しい瞳、煙突に詰まらない不思議な大きいお腹のおじい様。鈴の音鳴らしてトナカイと共に夜空を駆ける、優しい夢と希望の
……けれど、私には妖精が見えない。私は妖精の夢を見ることが出来なくなってしまった。唐突に失われた聖夜の贈り物、お父様が居なくなって、お母さんが居なくなったあの年から消えてしまった一夜の夢物語。独りで一生懸命作った手作りの焼き菓子も、珍しい獣の乳も手をつけられずに置かれたまま。
独りで迎えた初めての朝、空の靴下を悲しい気持ちで見ていたのを覚えている。 妖精はもう居ない、夢から覚める時が来てしまったのだと誰に言われるまでもなく理解していた。
けれど寂しくはなかった。
Et.13611……12/03/17:26
普段よりも多く雪の降ったある日、紫蘭は役場へと立ち寄っていた。日も落ち始めたこの時間帯に出歩く人は少なく、役場に居るのは紫蘭と村長姉妹のみであった。
「紫蘭、こんな時間帯にどうした。
もしかして紫ちゃんのプレゼントの相談か?」
湯気の立つカップを手に妹が尋ねる。
「紫ちゃん、今年は何を欲しがっていたのかしら。新しい絵本かな、それともマリーナのお人形?」
書類に筆を走らせつつ、弾んだ声で姉が続けた。
「セレネさん、良くわかりましたね。
今年はマリーナのお人形が欲しいって手紙書いてましたよ」
紫蘭が懐から取り出したのは娘が書いた手紙。薄桃色の可愛らしい便箋には、やや拙いながらも可愛らしい字が綴られていた。
「紫ちゃん、向日葵の丘の魔王が大好きだもんね。
商会に発注するなら明日の昼までに教えてくれれば良いけど、どうする?」
「え、外注できるんですか」
「うん……たしか半年くらい前かな?
とっても腕の良い人形師さんと取引するようになったらしくてね。私も気になって頼んでみたんだけど、本当にすっごいのよ!
今から持ってくるから、ちょっと待ってて」
万年筆の蓋を閉じてドローインググローブを外すと、小走りで部屋の奥へと消えていく。普段よりも明らかにテンションが高く、妹の方はそんな姉の様子にやや呆れ気味の様子である。
それから数分も経たずして戻ってきた姉の腕には、非常に精巧な洋風人形が抱かれていた。
「見て、凄い綺麗な人形でしょう?」
差し出された人形は成人女性の顔程の大きさであり、其なりの存在感を放っている。絹糸の様に細くしなやかな毛髪は生物のソレと遜色無く、手足の関節は極力目立たない造りになっていた。顔の造りも非常に精巧であり、幾重もの硝子を重ねて造られた瞳は光の加減によって様々な色を見せてくれた。
──これならば、最後の贈り物に相応しいだろうか。
「……これ、発注してから何日程で納品されるんですか?」
これ程精巧な人形だ。恐らく相当時間が必要になるだろうと理解して居ても、聞かずには居られなかった。
「聞いて驚かないでね。
……これ、商会を通して発注してから十日後には届いたのよ」
「と、十日!?」
驚くなという方が無理だ。これ程精巧な人形が僅か十日足らずで仕上がるなんて信じられない。村一番の針子だって、このドレスを縫うだけで最低でも二月はかかるだろう。
「疑う気持ちも当然よ。けどね紫蘭ちゃん、注文書と納品書の日付を見て」
差し出された注文書にはEt.13611/11/12とあり、納品書に記された日付はEt.13611/11/22であった。この二枚の書類が動かぬ証拠、そして納品書にあった請求金額を見て私はもう一度驚くことになる。
「値段については、それで最安値なんですって」
申し訳なさそうにする姉の声は、先程よりも明らかに落ち込んでいた。記された値段は金貨二枚と銀貨七枚、これだけあれば半年は確実に余裕で生活出来る程のもの。そしてそれは、今までの蓄えを削れば出せないこともないギリギリの金額でもあった。
「なぁ姉さん、人形のサイズを落とせばもう少し安くなったりしないのかな。正直このサイズは紫ちゃんに大きい気がするし、ちっとばかし重いだろ?」
「メネの言うとおりね、ちょっと紫ちゃんには大きいかも。
オーダー用のカタログも貰っていたから、ちょっと待ってて。確か価格表も一緒についていたから」
彼女は立ち上がると近くにある戸棚から真新しいカタログを取り出し、全員が見易い場所で開く。そこには様々なサイズの人形の見取り図と追加可能なオプション、それに伴う費用などが分かりやすく記載されていた。
「こりゃ凄いな。ほぉ、等身大……高っかいな!?」
「ほんとだ……金貨二百六十八枚なんて出せませんよ、普通」
「あ、これなんてどうかな紫蘭ちゃん」
姉が指し示したのは布人形のページの一端、そこには童話作品特集と銘打たれた部分だった。値段も銅貨七枚からと比較的良心的であり、これなら無理なく購入出来る金額である。こちらも文句のつけようが無い程の出来であったが、先程の人形を見た後ではどうしても見劣りしてしまう。
「これも可愛らしいですね。ほかにはどんなのがあるんでしょうか──……」
それから暫く三人でカタログを見た結果、私が無理なく手を出せるのは布人形と言うことがわかった。一通り見直した後、ふと背表紙を見ると気になる一文が書かれている事に気づく。
「セレネさん、この人形師さんとは相談が出来るんですか?」
「一応出来るって聞いてるけど、凄く気難しい人みたいよ」
「そう、ですか」
「ならなんで“金額、納期についてのご相談はお気軽に”なんて書くんだろうな」
カタログの背表紙に指を滑らせながら妹が疑問を口にする。確かに彼女の言う通り、気難しいと噂される人物がそんな一文を載せるだろうか。もしかして、受注口と職人は別々の人だったりするのかも知れない。
「丁度明日は商会の人達が来る予定だし、その事も聞いてみよっか紫蘭ちゃん」
「そうします」
「じゃ、明日のお昼頃に来てくれるかな」
「お昼頃ですね、わかりました」
外は既に真っ暗になっており紫蘭の他に出歩く人影は無かった。骨身に染みるような寒さの中、降り積もったばかりの雪を踏み締めながら家へと戻る。
外套に付いた雪を払ってから玄関を開けると、奥の方から娘が毛布を引き摺りながら歩いてきた。
「ただいま、ゆかり」
「おかえり、おかぁさん」
両手を伸ばして抱き着いてきた娘を抱き上げ、居間の方へと向かっていく。
「おそと、さむかった?」
「ちょっぴり、ね」
「じゃあ、おふろはいろ!」
「……そうだね、一緒に入ろっか」
「やったぁ!」
「こーら、はしゃがないの。お咳でたら入れなくなるよ」
「……はーい」
本当に、素直な子だと思う。不満を口にすることはあるけれど、駄々を捏ねることはない。人並みに欲求はあるけれど、自分の欲求をどこかで抑えてしまう優しい娘。クリスマスの贈り物が欲しいけれど、娘は私と居られれば何も要らないなんて言ってきた。
本当はお人形さんが欲しいのに、それを抑えて私が喜ぶような言葉を選んできた。
……健気だけど、それは良くない事だ。子供なのに周りの事を気遣って、自分を圧し殺すような子供に育ってしまった。なにがあっても我慢するのが当たり前だと、強く思い込むようになってしまった愛しい娘。
──そんな娘を暖かい居間に残し、風呂場の準備を済ませた。すぐに二人で入って、冷えた体を温める。タオルでクラゲを作ったり、他愛の無いお話やなんかをして過ごした楽しい一時。
あがった後は、湯冷めしないうちに体を拭いてやる。腰まで届く長さになった娘の髪を念入りに乾かして、椿の櫛を入れてあげた。ただ、そんな何気ない日々が延々と続けば良いなと思いながら──
翌日、商会の人達と相談した結果、件の人形師に手紙を届ける事となった。手紙の返事は二、三日ほどで返ってくるらしく、直接依頼者の郵便受に届くとの事。私は急いで手紙を綴り商会の人へと託した。件の人形師と直接やり取りを交わした人曰く、彼女は人形を送る相手の事を詳しく知りたがる人なのだと言う。何故、そんな事を知りたがるのかは誰一人として知らないらしい。
──だから、私は娘の事を包み隠さず綴った。
まず、体が弱く同年代の友人がいない事。あの一件以来、子供らしくない摸本的な子供になってしまった事も書いた。最後にちょっぴりだけ、私の想いものせた手紙への返信はすぐに届いた。
返ってきたのは酷く無機質で事務的な手紙。おおよそ感情というか、人らしくない不思議な文章であった。何度かやり取りを繰り返した結果、件の洋風人形クラスで値段は正規の一割以下という運びとなった。因みに、私から値段交渉をした訳ではない。人形のサイズを始めとした造形の要望を全て詰めきった後に来た仮見積書に、その値段が記されていたのだ。
正直気が引けていたのだが、その値段以外では受け付けないとの一文があったので飲み込むことにした──
それから数日、私はセレネさんと一つの相談をしていた。相談の内容はサンタクロースを卒業する時期についてである。
世のお父さんお母さんもきっと苦労したであろう、大人の問題。サンタクロースの卒業は早すぎても可哀想だし、遅すぎても痛々しい。昔の人達がどうだったのかは知らないが、齢十五で成年とされる私達において、六歳と言うのは少年少女であって子供ではない。
要するに、夢から現への切り替え時なのだ。
「……まぁ、時期としては妥当かも知れないね。私個人としてはやや早い気がするけど、他の子供に比べて紫ちゃんは頭良いし」
「なら、サンタクロースからの手紙の意味も理解出来るでしょうか?」
「それはわからないかな。私だって紫蘭ちゃんの話を聞くまで、サンタクロースは子供の夢を与える為の役だって思ってたくらいだしさ……まぁ、サンタクロースを卒業したとしても、プレゼントを止める理由にはならないんだから良いんじゃないかな」
楽しそうに笑う彼女の言うとおりかもしれない。大人だって恋人同士でプレゼントを贈りあっているのだし、プレゼントの送り主は誰だって良いのだ。大切なのは誰が贈るか、ではないのだから。
──そうして迎えたクリスマス当日の朝。
「あかぁさん、見て!」
「ふふふ。よかったね、ゆかり」
件の人形をぎゅっと抱き締めた娘は、とても嬉しそうな顔で私の所へとやって来た。
「プレゼントのお人形さん、すっごいきれいなんだよ、おかぁさん!」
「うん、凄く綺麗なお人形さんだね」
「それとね、おかぁさん。お人形さんといっしょにおてがみが置いてあったの。けどゆかりじゃ読めなくて、おかぁさんは読める?」
娘が差し出してきたのは一枚の便箋。それは私が人形と共に人形師へ依頼した、サンタクロースからのお手紙だった。
「うーん……ごめんね、おかぁさんにも読めないかな。
セレネお姉さんに聞いてみよっか?」
「うん。セレネお姉ちゃんならわかるよね、きっと」
「大丈夫、きっとわかるよ。
それじゃあゆかり、朝御飯食べて歯磨きして、お着替えしたら行こっか」
「うん!」
満面の笑みと共に返される返事につられて私まで笑顔になってしまう。本当に、子供の笑顔とは本当に素晴らしく不思議なものだ。何時も通りの朝食を終え、下着類などのみを洗い干した後に私達は役場へと向かった。
余談だが、この時期の役場に訪れる人は極端に少ない。書類上の手続き等は早めに済ませ、年末に向けての大掃除等に追われる事が多いからだ。なので、正午前にも関わらず役場には私達と姉妹だけしか居なかったのである。
娘はプレゼントを姉妹に見せ終えた後、姉であるセレネに件の手紙の翻訳をお願いした。
「I’m glad you have been looking forward to my present.
I have to send many presents for new-born babies and younger children.
So this is the last present for you, but I’m always in your heart.
I hope you are thoughtful and very warm-hearted.
Thank you for all.
I’ve enjoyed!
……成る程ね、大体はわかったよ紫ちゃん」
モノクルを外し、側で心配そうに見つめていた娘の頭を撫でながら微笑む彼女。その横では妹のメネが難しい顔をして、ぶつぶつと読める単語を拾っては反芻していた。正直ちょっと怖いけれど、姉は特に気にする事もなく翻訳したであろう内容を迷い無くメモ帳へ書き出していく。書き終えたそれを手に、彼女は話を始めた。
「それじゃ読むよ、紫ちゃん。
──今までサンタクロースのプレゼントを楽しみにしてくれて、ありがとう。
私は新しく生まれる命、幼い子ども達に夢を届けなくてはならないのです。なので、これが最後のサンタクロースからのクリスマスプレゼントになります。
けど君が信じていれば、いつまでも君の心の中にサンタクロースはいます。
これからも優しく思いやりのある人に成長してください。
今までありがとう、とても楽しかったよ──」
これは昔、私が貰ったサンタクロースの手紙とほぼ同じ内容のもの。それを娘がどう解釈するのかは不安だった、今この瞬間だって不安なのは変わらない。
「……そっか、最後なんだ」
全てを読み終えた後、娘が見せたのは少し考え込むような顔。悲しがるのではないかと想像していた私達にとって、かなり予想外な反応たった。
「うん……そうだよね。サンタクロースさんのプレゼントは、そういうものだもんね」
「ゆかり……?」
「けどね、おかぁさん。ゆかりはかなしくないよ。
プレゼントは、だれかを想っておくるものだってわかったもん。だから、プレゼントをもらえるのは、
──意図は伝わっていたらしい。
幼い娘がどこまで理解しているのかわからないけれど、あの表情を見るに一番理解して欲しい所はわかっているのだろう。
幼いあの日に貰った母からの手紙が伝えてくれたのは、“あなたのことを大切に思う人がそばにいる”というメッセージ。形はどうあれ、貴方の成長を側で見守り、愛してくれている人がいる。それを分かりやすく伝えるために、サンタクロースのプレゼントは生まれたのだろう。
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