第7話 Out Of Piece Artifacts_1.




「──……では正式に契約を結びましょうか。

 此方の紙へお名前をお願い致します」

 彼女に差し出された一枚の紙と羽ペン。しかしインクボトルは見当たらず、かと言ってペン先がインクに濡れている訳でもない。ナニか仕掛けがあるのかと思い紙の端へ試し書きをしてみるが何も起こらず、ただうっすらと筆跡を残しただけであった。

「……あの、インクか何か下さいませんか? これでは書けません」

「私とした事が……すみません、此方をお使い下さい」

 そう言って手渡されたのは楕円形の小振りな筒。しかしどう見てもインクが入っているようには見えないし、振ってみたところで水音もしない。真ん中に切れ目があるだけの握りやすそうな小筒。これをどう使えというのだろうか? 試しに左右へ引っ張って見ると動く気配がある。どうやらこれで良いらしい。

「……は?」

 中より現れたのは白銀の刃。これはどうやら短剣らしいが、なぜ彼女はこんな代物を手渡してきたのだろうか。

 横目で彼女を見てみるが特にこれといった反応はなく、口元にほっそりとした笑みを浮かべたまま此方を見ていた。

「あの……これ、どうしたら──」

 これ以上考えたところで時間の無駄だ。眉根一つすら動かさずにいる彼女へと問うと、彼女は立ち上がり此方の手にあった短剣をその手に取る。

 あまり関係の無い話だが彼女、相当に背が高い。私よりも頭一つ高いとなると身長は二メートルに届くのではないか?

「インクであれば、ここに」

「──……え?」

 目の前の彼女に手をとられ、そのに短剣の刃を握らされる。掌を解こうとした瞬間に刃は滑るようにして横へ引き抜かれ、あっという間もなく掌は赤く染められた。突然の出来事に対し、反射的に引こうとした掌は彼女に掴まれたままだ。

「痛っ……!」

 彼女は空いている手で羽ペンを握り、握り締めた此方の手を解くと一切の躊躇いもなくそのペン先を傷へと差し込む。インクボトルへとペンを立てるように、自然な動作で傷口へ差し込むなんてイカれてる。さも当然と言わんばかりな彼女の行動に対して不思議と怒りはなく、目前の異質な狂気に対する恐れの感情しかなかった。

「さぁ、これで書けますよ」

 程良く血を吸った羽ペンを此方へ差し出したまま、此方を見つめる彼女。その口から紡がれた言葉には僅かな感情の機微さえ含まれていない。彼女の纏う妖艶な雰囲気に一時は美しいとさえ思った。しかし実態はどうだ? ろくな説明はせず勝手に事を進め、傷つけた事に対して触れることもない。

「……他にもなにか必要なものが?」

 彼女は相変わらず、ペンを此方へ差し出したまま静かに此方を見据えている。恐らく此方の意図を理解出来ていない。彼女は私と異なる常識の中で生きているのだろう。

「なぜ、手を切ったの……」

「この誓約書は契約対象の血で綴らねば意味をなさない、故に短剣を手渡しました。しかし貴女は剣を手に戸惑うばかり、故に手をお貸ししたに過ぎません」

 問いに対して彼女は流暢に答えてくれた。しかしそれは事実のみを答えただけに過ぎない。自身の行いを説明したに過ぎない単なる回答なのだ。故に表情、声音コワネ共に一切の変化がない。感情と言うものが乗っていない、淡々とした回答セツメイだった。

「……そう、わかった。

 ねぇ貴女、事前の説明もなく私の手を切った事について思うところはある?」

 やはり返事はない。ほんの一瞬だけ考えるような表情を見せたような気はしたのだが、既に見慣れた表情に戻っている。美しくも無機質な、作り物の笑みを携えたまま此方を見ているだけ。切られた傷は未だ鈍い熱を宿しているが我慢できない程じゃない、傷を押さえていた手で羽ペンを受け取り近くの机へと置き彼女へと向き直る。


「契約を交わす前に教えて、貴女は何者なの?」

「──……私はリブラ。

 この天秤ライブラにて司書を勤める神工物アーティファクト、遺された守徒モリト

神工物アーティファクト守徒モリト……?」

 耳馴染みの無い言葉につい反射的に繰り返してしまったが、それがなにを指す言葉なのか検討もつかない。それに遺された守人とは一体どういう事だ。彼女はなにを守る為、誰が此処へ遺したのだろう。

神工物アーティファクトも、守徒モリトもご存知ないのですね」

 言葉と共に憂いを帯びた表情を見せる彼女、その視線は私ではなくどこか遠くにあるものへ向けられているようだ。帰りたくても帰れない、戻れない故郷を想う旅人のそれに通じるものがある。

「では、そこからお話致しましょうか。

 どうぞ椅子へお掛け下さい、この話は長くなりますので」

 彼女が目線で示した先にあったのは受付の対面に用意された椅子。しかし気になる事がある、私の記憶が間違っていなければ先程までそこに椅子は無かった筈だ。かといって運び手が居たようには思えない、この至近距離で椅子を運び込まれたのなら絶対に気付く筈なのに。

「この通り、普通の椅子ですよ」

 そう言って彼女は件の椅子へと向かい、自ら腰を下ろし背を預ける。彼女は腰かけたまま此方を一瞥イチベツすると立ち上がり、元々座っていた椅子へとその腰を下ろす。 なにか仕掛けられているのかと疑った自分に恥ずかしさを覚えつつ、用意された椅子へと腰を下ろした。


「では始めましょうか。

 まず先程も述べた通り私は神工物アーティファクト、貴殿方を造った存在とは異なるモノに造られた人形です。先にお伝えしますが、貴女方のような亜人種アドヴァンスとは造り手の次元が異なります。与えられた権能ケンノウも同じで貴女方は勿論の事、貴女方の創造主にも読み解く事は不可能でしょう」

 ──……造られた、人形?

 確かにどこか人間離れした雰囲気は感じていたが、それでも人工物の域にある物とは思えない。あくまでも生物として整い過ぎた造形だと感じる位のもの、到底無機物だとは思えなかった。

「私を手掛けたのは旧くよりこの星に在った神、無機物へ擬似的な魂を宿す程度の事は朝飯前なのでしょう。披造物である私にもその力の一端は受け継がれておりますが、造物主様には遠く及びません」

 さらりと恐ろしい事を話すものだ。魂については様々な学説、論文が上げられていたとセレネは言っていたがどれも決定打に欠けていたらしい。また、私達の創造主は肉体を複製する技術は確立出来たのだが魂の構造をついぞ理解出来る次元には至れなかったとも彼女は言っていた。


「少し話題を移しましょう。

 貴女は物体の移動をどう捉えておりますか?」

「どう捉えるって言われても、その……」

 そういう物事だとは理解出来ているけれど、改めて説明しろと言われると困る。出発点から到着点まで動く事を移動ともいうし、兎に角元の場所から別の場所へ移すとしか言えない。

 そんな答えで良いのか思案していると、突然手の平に重みを感じた。ふと目をやると、自身の膝に乗せていた手の平に艶のある真っ赤な林檎が乗っている。先程の椅子と言い、なにが起きているのか皆目検討もつかないが、これは彼女の仕業なのだろう。

「転送や瞬間移動と呼び名は様々ありますが、どれも移動である事に変わりはありません。

 貴殿方は物質ないし物体の構成物が周囲の空間に対して相対的に位置を変える事、それを移動と捉えているとお聞きします。

 ──……ですが構成物の構成単位である複合粒子は。移動しているのはなのですよ」

 彼女がゆっくりと右手を持ち上げ、手の平を上向きにした瞬間の出来事だった。先程まで私の手にあった林檎は彼女の右手に乗っている、かと思えば彼女の手から林檎は消えて机の上に移動していたのだ。

「今の現象もそうです、私の権能で林檎の情報だけを移動させました」

「情報だけって、それじゃあ私が感じた林檎の重みとかは……?」

「それも情報に過ぎません。

 林檎と呼ばれる果物を構成する粒子の情報を私の手から貴女様の手、貴女様の手から私の手へと移し机へと移動させただけですから」

 彼女の口から淡々と語られる内容は残念な事にこれっぽっちも理解出来なかった。そもそも何故情報だけを移動させる事が出来るのか、そしてその情報がなぜ実体を伴っているのか。疑問は尽きないし、なにが解らなくてその疑問が生まれるのかすら掴めない状況なのだ。


「まぁ、貴女に理解出来るとは思っておりませんが……そうですね、一先ずこの星は複合粒子セルと呼ばれる物質に満たされていると思ってください。

 それは六つの素粒子を内包した一つの箱、内包された六つの素粒子は別々の性質を持ちます。ですがその中心に位置する素粒子だけは、どんな特性を持つのか解りませんでした。それに加えて、その素粒子は他の五つ全てに食い込むようにして存在していたのです。

 また、複合粒子セルは五つの素粒子の状態によってその特性が決まります。五ビットのメモリ、とでもしましょうか。その組み合わせによる特性は三十二パターン存在し、それぞれの素粒子のオンオフによって素粒子の特性が決まります。そしてその情報に従い、物体ないし物質が形成されるという事なのですよ」

 説明して貰えるのはありがたいのだがこれは多分、下地となる知識があれば多少は理解できる話なんだろう。しかし残念ながら下地すら無い私にはまるっきり理解が出来そうにない、と言うよりもう理解しようという気概さえ沸いていない可能性すらある。


 そんな訳で、私はなんとも言えない微妙な心持ちと表情で彼女の説明を静かに聞くしか出来なくなっていた。






















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