第3話 抗戦

 村の東にある天然の洞穴どうけつを利用した避難所の近くで、何人かの大人が槍や斧を手に奮戦ふんせんしている。

 息絶えた魔物も数多く転がっているが、村人の死体もそれなりにあった。

「くそったれ、あと何体だ!?」

「キリがねぇよ、姉御ぉ!」

「泣き言を言う暇があったら戦え、男だろうが!」

 悪態をつきながら迫りくる魔物を斬り伏せるメネ。他の者達同様に彼女も疲弊ひへいしていたがそれでも尚、周囲を鼓舞こぶし最も果敢かかんに攻めている。迫りくる魔物を倒し新たに浴びた返り血を拭う事もせず、次から次へと涌き出る魔物を斬り捨ててゆく。

「なにをやってやがるんだ、紫蘭!」

 この場にいない者の名を叫び、彼女のいるであろう方向を睨む。その肩を血まみれの男が掴み、喧騒けんそうに負けないよう声を張り上げて叫ぶ。

「あいつはもう来ねぇよ!

 あんた、わかってるんだろう!?

 諦めてくれ姉御、所詮しょせん余所者ヨソモノだろ!」

「……テメェ、ふざけんじゃねぇぞ!」

 殴り倒したい衝動を押さえつつ男の胸ぐらを掴み上げる。男の顔は恐怖と焦燥しょうそうに彩られており、その瞳にはわずかに涙を浮かべていた。

「魔物の中へ突っ込んでいったんだ、もう死んでるよ。目を覚ましてくれ姉御!!」

 泣き喚く男を思いっきり頭突き、渇を入れてから避難所の方へと投げ捨て再び前線へと戻る。

「逃げて、メネ!!」

 姉さんの叫びが聞こえ、空からうなり声と風を切る耳障りな音が降ってきた。

 それは私の前方、数十メートル先に着弾し半径何メートルかを吹き飛ばす。強烈な爆風に煽られて倒れ、はらわたをシェイクされたような衝撃に私は胃の中のものをすべて吐いてしまう。

 激しい頭痛と目眩に襲われ、平衡感覚に異常をきたした身体では立ち上がるきこともできない。耳に届く全ての音が遠く、水中にいるような気さえした。

「ぁ……ぐ……」

「メネッ!

 早く起き上がって、逃げて!!」

 立たなきゃヤバイのはわかってる、けど身体が言うことを聞いてくれない。姉さんの叫びが遠い、強烈な頭痛と吐き気が全ての行動を阻害そがいしていた。

 気づけば子供ほどの大きさの魔物が私に跨がっていた。その手にした薄汚い槍は私の腹を狙っている。下手に避けるよりは反撃した方がいい、それはわかっているが脳震盪のうしんとうを起こした今の私にはなにも出来なかった。

「っ゛が゛ぁ゛……!」

 貫かれた腹を起点に、痛みが全身を駆け抜ける。この痛みを以てなお、異常をきたしたままの身体では槍の痛みに呻き声を上げることしか出来ない。苦しむ私の姿を楽しんでいるのだろうか、そいつは下卑げびた笑いを浮かべながら槍を引き抜き再度私の腹へと槍を突き立ててきた。

「お゛ぁ゛……が゛っ゛……」

「この野郎!」

「ゲ゛……ギ゛ャ……」

 背後から頭を割られた魔物が血を吹きながら絶命する。魔物を殺したのは自警団の青年だった。

「姉御、立てま──」

 水気を含んだ破裂音と共に青年の頭が消失する。どこからか飛来したつぶては青年の頭を一瞬にして破壊、頭を失った青年の身体は数歩後退すうほあとずさると力なく倒れ伏した。多少マシになった体に鞭を打ち、倒れた青年の手から取った剣を支えにして立ち上がる。

 絶えず飛来する魔法や礫に気を付けつつ回りを見渡し、私は軽い絶望を覚えた。村の自警団は私と姉のセレネを残して全滅し、魔物の一部は避難所の鉄扉を破らんと躍起やっきになっている。頑丈な二重構造の扉とはいえ、あの数に集られては一時間と持たないのは明白だった。



 こんな状況にあっても天使の姿はまだない、このままでは私たちが死ぬのも時間の問題だろう。

 しかし諦める訳にはいかない、せめて姉さんと子供たちを守らなければ。その一心で戦場を走り剣を振るい、魔物を斬り倒しながら姉さんの方へと向かう。

 姉さんもまた苦戦を強いられている様子で、背後から襲い掛かろうとしている魔物には気付いていない。全力で走り、姉さんに襲い掛かろうとしていた魔物を斬り伏せる。

「姉さん!」

「メネ、無事だったのね!」

「腹を刺されたが………まぁ、なん……と……か……」

 急に視界がぐらついた。失血か、それともあの槍に毒でも塗られていたのか。ふらついた足では踏ん張る事も出来ず、そのまま片膝をついてしまった。傷口からの出血はある程度落ち着いているのだが、視界のぐらつきと催吐感さいとかんが酷い。この症状はどちらかといえば神経毒に近しいものだったはずだ。

「メネ、どうしたの!?」

「毒が、塗られてたみたいだ……姉さん、私の事は、諦めろ……あっちを、子供たちを、守る……ん、だ」

 一際強い嘔吐感おうとかんを我慢できず、血反吐を吐きながら倒れてしまった。視界にはもやがかかり、あらゆる音は輪郭を失い遠くなっていく。

「メネ、メネっ!?

 やめて、バカな事言わないで!」

 叫びながら魔術を使い、多数の魔物を焼き殺す姉さん。必死の形相で魔導杖マジック・ロッドを振るい、迫りくる敵を焼き続けるその顔に余裕はなかった。

「メネは回復に専念して、治るまで動かないで!」

 姉が腰のポーチから赤い液体で充たされたアンプルを何本か取り出し、首を折って中身を私の口に突っ込んでくる。薬品特有のエグ味が口を犯し、次いで襲い来る腹を焼くような激痛に意識を持っていかれそうになる。

「っ゛ぅ゛……!」

 あの赤い液体は強制的に傷を修復させる薬であり、致命傷でなければ即時修復される。常識はずれの回復力を与えてくれるのはいいが、代償として死んだ方がマシではないかとすら思える程の激痛が発生する。

「……無理強いさせてるのはわかってる、けど早く立って!

 私達がやらないと、皆が死んじゃ──きゃっ?!」


 突如として凍り付く姉さんの魔導杖。驚いた姉さんは杖を落としてしまい、氷結していた杖はガラス細工のように粉々に砕けてしまった。私達が逃げてきた先、村の方から漂ってくる常識はずれの冷気。それは木々を燃やし、猛る炎すら氷結させてあらゆる熱を奪っていく。

 凍結したねつを踏み砕きながら現れたそいつは人の意匠いしょうを模しており、非常に整った顔立ちをしていた。

「……どうして、こんな時に!」

 姉が狼狽うろたえるのも無理はない。人型の魔物は総じて高い戦闘力を誇り、今までの雑魚とは格が違う存在。魔人とも呼ばれるそれは私達が使う魔術も行使できる上、凄まじい身体能力を持つ。

 狙われれば最後、死ぬまで追跡してくる死神のようなものだ。

「……逃げろ、姉さん。あれは私が足止めする」

 立ち上がり、姉を庇うように前に立つ。魔術を得意とする姉にとって近接戦闘は鬼門、杖があれば多少は何とかなっただろうがそれもない。万全でないにしろ、私がやるしかなかった。

「手負いの貴女じゃ無理よ、馬鹿いわないで!」

「杖を無くした姉さんよりはやれる、だから早く逃げろ!」

「Tha e duilich nach urrainn dhuinn faighinn seachad air a ’chruadal seo.」

 魔人が此方を見据え、片腕を差し出しながら喋った。古い言語であるそれには若干の覚えがあるが私には喋れないもの、そんな私の代わりに姉が答えを返す。

「Carson a thàinig thu an seo?」

「Is e mo rùn.」

 姉さんがなんと返したのかはわからない。しかしあまり良い流れには持っていけなかったのだろう。魔人は私の理解出来ない言語で呟き溜め息を吐くと、その両腕を振るった。

 それにあわせて、四方八方から現れた大小様々な氷柱が降り注ぐ。突然の攻撃に反撃なんてする暇もなく、私達は逃げ続けることしか出来なかった。

「姉さん、どうすればいい!

 どうやって戦えばいい!?」

「……今は逃げ続けて、どうにかするから!」

 徐々にではあるが、逃げ場を塞がれている気がする。氷結した死体に足を取られても不味いし、氷柱自体が鋭利な刃物のようになっているものだからそれも気を付けなければならない。

「っ……もう逃げ場がないぞ姉さん!!」

「大丈夫よメネ、準備はできた。

 ──フェアエンデ・ルング」

 何処に隠し持っていたのか、姉の手には小さな魔導杖が握られていた。先端の水晶体が姉さんの呪文と共に煌めき、周囲の氷柱が砕け散る。砕け散った氷は霧となって辺りを白く包み込む。

 これは煙幕の代わりなのだろうか、だとしたら意味がない。魔人の視覚はこの程度で妨害できない事を姉自身熟知している筈なのに、どうしてこんなことを?


「メネ、私の後ろに居て!」

 姉さんに腕を引っ張られ、強制的に背後へとまわされる。その時、妙な音を耳にした。それはパチリ、という氷が弾けるような小さな破裂音。それは次第に短い間隔で鳴り始め、数秒後には静電気が走るような音に変わっていく。肌がピリつく感覚を覚える頃には、周囲に青白い電気が走っていた。

「──ドンナー・ヴェルヘン!」

 姉さんが杖を構えると氷霧は一筋の線となり、そこを沿うようにして一筋の雷電が撃ち出された。光速の雷電は激しい雷鳴を轟かせ魔人へ着弾。周囲の凍結物を一瞬にしにて蒸発させ、水蒸気爆発を引き起こす。

 それは強烈な爆風を引き起こし、舞い上がった粉塵が視界を奪う。私が見た中で一番の威力を誇る魔術だ、これで仕留められなかったら覚悟を決めるしかない。


 ──頼むからそのまま死んでいてくれ。


 そんな淡い期待は一迅の風と共に消え去った。

 強烈な冷気と孕んだそれと共に、粉塵が吹き飛ばされ視界が開ける。その中心には、片腕を炭化させた魔人が立っていた。

「……Aithnich do neart.」

「嘘……」

 放心する姉さんと同じ感想だった。アレを防がれた以上、こいつを討つのはほぼ不可能だ。私も姉さんも限界が近い。私は体力が尽き姉さんは魔力の殆んどを使いきっている、互いに満身創痍だった。

 魔人が残った方の手を掲げると、その頭上には巨大な氷塊が形成されていく。氷にしか見えないがあれは純粋な魔力の塊だ、爆発したら辺り一帯は一瞬で破壊される。そして残念なことに、抵抗する手段はもう何もない。

 魔人が手を握った瞬間、氷塊を中心に氷柱が射出された。

「──なぜだ、お前も魔物だろう!?」

 純粋な疑問を魔人へとぶつける。

 彼の放った氷柱は私達姉妹には牙を剥かず、まだ息のある魔物を貫き凍結させていたのだ。

「Dhùisg an Rìgh Demon. Tha i an dùil ionnsaigh a thoirt air a ’bhaile seo. Dèan deiseil, admin.」

 魔人の背に氷の羽根が現れた次の瞬間、凄まじい風圧を残し魔人はその姿を消していた。一体何の為に彼は襲ってきたのか、疑問は残るがそれに思案を巡らせる暇はない。



「……メネ、避難所の子供たちをお願い。私はここで警戒しているわ」

「わかった、何かあればすぐに呼んでくれ」

 どこか思いつめた様な表情を見せた姉さんの事は気がかりだが、今はそれよりも子供たちの安否を確認することが先決だ。傷付き凹んだ防護扉をなんとか解錠し、避難所の奥へ向かう。湿気った土の匂いに混じって鼻を突いたのはつい先程まで散々嗅いだ嫌な匂い。はやる気持ちに呼応こおうするように、その足取りは自然と早くなっていた。

「みんな、無事でいてくれ……!」

 息を切らし何度か転びそうになりながら通路を駆け抜け、最奥の広場へ辿り着いた。広場の惨状を見た私は絶句しその場にへたり込んでしまう。



「──なんでだ、なんでこんなことに」







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