Chapter,1

第2話 始まりの日

 et.13611


 昨夜、珍しく夢を見た。それも飛びっきりの悪夢だ。あんな、娘が処刑される夢なんて初めて見たし、もう二度とみたくはない。早く忘れてしまいたいのに、妙なリアリティがあるせいであの夢が脳裏から離れてくれない。

 特に残るのは“私のようになるなよ”という最後の願いのような一言。彼女は何を願いあんな言葉をのこしたのだろうか……

 逡巡しゅんじゅんする思考をそそぐように冷水で顔を洗い、麻布で水分を取る。

「──あっ、またやっちゃった」

 布が引っかかる感触は勘違いではなかった、顔を拭いていた麻布それは引っ掻いたような裂け方をしている。


 ──原因はこの角だ。


 私には耳がなく、その代わりにこの赤黒い角が生えていた。あごから少し間隔を取りつつも、フェイスラインに沿って伸びる角はなにかと面倒だった。旦那とキスをするにも、なにかを食べるのにも少し工夫しないと引っかかる厄介者。

 有角種ゆうかくしゅ亜人種アドヴァンスに習って昔、一度だけやすりで削ろうとした事があったのだけど結果は散々だった。ガリガリと削れる音が響くし、やすりが削られてしまい使い物にならなくなったのだ。

 他にも色々試したが、削ることはおろか傷をつけることすら叶わなかった。

 また縫い直さなければ、と若干じゃっかん憂鬱ゆううつになりながら髪を後ろ手に縛る。そうして身支度を整えてから朝食の準備に取りかかった。朝食といっても貧乏な家庭だからライ麦のパンと、クズ野菜で作るポリッヂしかない。それらをよそってテーブルに並べると、眠そうに瞼をこすっている娘がいた。

 子供特有の柔らかく、艶のある髪の毛は寝癖によって鳥の巣のような有り様だ。

「おはよ、ゆかり。すごい寝癖ね」

「おはよう、おかぁさん……けほっ、けほ……」

 途中で咳き込む娘へと駆け寄り背をさすってやる。この弱々しく咳き込むのが私の一人娘、産まれた時から身体が弱くて六歳になる今でも満足に外へ出られていない。

「……ごめんね、ゆかり。丈夫な身体に産んでやれなくて」

「ううん、おかぁさんは、わるくないよ……けほっ、けほ……」

 咳が収まるまでは、優しく背中をさすってやるしかない。

「暖かいうちに朝ご飯、食べよっか?」

「うん……」

 娘が食べやすいよう、パンを一口大にちぎって皿へのせておく。娘はそれをスープへ浸してから口へ運びゆっくりと食べる。ゆったりとしてはいるが、これが娘の全力なのだ。焦ってしまうと噎せて吐いてしまうから、娘のペースにあわせてゆっくりと食べる。食べ終えたら薬を飲んでまた横になる。そんな1日を過ごすしかない娘が不憫で堪らない。

 一緒に食器を片付け、歯を磨いてから娘の髪をとかす。前髪が目にかかりそうな長さになってきた、そろそろ切ってやる頃合いだろうか?


「それじゃ、私は仕事へ行ってくるから。ちゃんと寝ているんだよ、お昼のパンは台所のバケットにあるから」

「うん、わかったよ……おかぁさん」

 娘の頭を一撫でしてから家を出る、向かうのは村の中心にある役場だ。ノックをしてから戸を開け、にこやかに挨拶をする。

「おはようございます」

「おはよう、紫蘭シランちゃん。ゆかりちゃんの様子はどう?」

 返事をしてくれた銀髪の女性はセレネ、ここの役場を取りまとめている姉妹の姉だ。妹のメネがやや長めの癖っ毛なのに対し、姉のセレネはストレートのショートボブと分かりやすい。

 姉妹で業務を行っているとは聞いているのだが、今のところ妹の姿をここで見たことがない。

「ここ最近はご飯も自力で食べられてますよ、安定しているのはセレネさんの薬のお陰です」

「ふふ、それは良かったわ」

「本当に、ありがとうございます。身寄りのない私達によくしてくれて」

「いいのよ、気にしないで。貴女はこうして村のために仕事をしてくれているんだもの……メネも見習ってほしいくらいよ」

「それは姉妹ふたりで話し合ってください。それで、今日の仕事は何でしょう?」

「そうねぇ……ごめんなさい。

 私の所では特にないかな、珍しく今日は殆んど仕事がないのよ。魔物の姿も殆んど見ないし」


 魔物、それは星の海を渡り遥か彼方から来たという神が作り出したと言う異形の生命体。魔法と呼ばれる未知の力をもって人類を月面へと追いやった不倶戴天の敵。そいつらから地球を取り戻すために造られたのが私達、亜人種アドヴァンス

 私の両親は魔物に殺されている、私の旦那も殺された……絶対に許さない。

「魔物なんかいなければ……そうすれば私達がこんな思いをしなくて済んだのに」

「──────…………」

「大丈夫ですか、セレネさん?」

「え、あぁ、ごめんね。ちょっと考え事をしていて、あははは……」

 物静かで落ち着いている彼女だからこそ、なにか引っかかるものを感じた。けれどなぜか突っ込む気にはなれなかった。

「……本当に大丈夫ですか?

 仕事もないのなら、今日は休んだ方がいいんじゃないでしょうか。日々村の為に働いているセレネさんが1日くらい休んでも、誰も文句を言いませんよ」

「ふふふ、ありがとう紫蘭ちゃん。でも大丈夫、本当に大丈夫だから心配しないで。

 それとね、紫蘭ちゃんが良かったらなんだけど午後ゆかりちゃんの所へ行こうかと思ってたの。ゆかりちゃんの好きそうな絵本が見つかったから……どうかなって」

「何時でも訪ねてください、きっとゆかりも喜びま──」



 ──突如として鳴り響いたのは、村を揺るがすような爆音。



「な、なに!?」

「わかりません、けどこの嫌な気配って……」

 役場の戸を蹴り破って入ってきたのは銀髪に癖っ毛の女性、妹のメネだ。

「あぁ、無事だったか姉さん。紫蘭も無事だな?

 動けるならさっさと東の避難所へ行け、魔物の群れが押し寄せて来た!

 それに人型の奴も混じってるらしい、本気でヤバいぞ姉さん!」

「そんな……魔物の数は!?」

「わからんが、今までに無い数だった!

 だからさっさと逃げろ……って紫蘭、ゆかりはどうした?」

「──ゆかりは家にいる、助けなきゃ!」

「馬鹿、今は駄目だ!

 私が行くからお前は姉さんと逃げろ!」

「嫌だ、私は親なんだ。ゆかりは私が助ける!!」

「紫蘭ちゃん、駄目!

 今行っても死ぬだけ、メネ達に任せて逃げましょう!? それに天使様が来てくれるから、だから待って!」

「魔物なら何度も殺してきた、ゆかりを見つけたら直ぐに逃げるから!」

「まっ、死ぬ気かテメェ!」

「駄目よ、戻ってきて紫蘭ちゃん!」

 姉妹の制止を振りほどき、家へと向かって一直線に村を駆ける。

 空気が氷柱つららになるような悲鳴と共に、独特の臭気が鼻をついた。鉄と腐乱した卵の混じった強烈な悪臭は奴らが居ることの証だ。

 

──村は地獄絵図だった。


 至るところから火が上がり、魔物に襲われる村人達。悲鳴と怒号、魔物のうなり声がそこらかしこから上がっている。

「お、お願い……た、食べな、いで……」

 熊のような魔物の前で、足を怪我した村人がひきつった顔のまま掌を合わせ失禁しっきんしていた。

 目視で私から三、四十メートルのところだ。助けにいくかどうか、一瞬迷った。

 しかし、村人は私が足を止めた瞬間に頭から喰われてしまった。悲鳴と共に飛び散る村人の破片。口から溢れだす血と臓物ぞうもつがそこらかしこに飛び散っている。私は魔物に気づかれていない事を願い、即座に距離をとった。

 背後から悲鳴があがるのを無視して一目散に駆け抜ける。最初の内は反射的に振り向いてしまっていたが、村の中程なかほどを過ぎる頃にはもう慣れてしまった。

 頭から呑み込まれた村人。魔物の口からはみ出た両足をばたばた暴れさせ、悲鳴ごと顎と歯に砕かれていく村人。口腔こうくうから溢れた血潮ちしおが地面を濡らし、魔物が何度か噛むと悲鳴はうめき声に変わる。やがてそれも聞こえなくなり新たな悲鳴が上がった。

 娘をあんな目に遭わせるわけにはいかない、その一心で私は駆け抜ける。そうして家の方へと向かう途中に何度か襲撃されたが、小型のものばかりだったので幸いにも致命傷を受けずに向かう事ができた。なんとかたどり着いた家は火の手も上がっておらず、魔物の影もない。無事だったんだと喜び戸を開けた瞬間に私は言葉を失った。


「──ゆかり?」

「おかぁ……さ……ん……うし、ろ……」

 床に倒れ、焦点しょうてんさだまらない瞳を此方こちらへ向けて弱々しく息をする娘の姿に私の気は動転していた。だから気が付けなかった。

「……ぁぐっ?!」

 ──背後からの一撃に。

 胸元から伸びる鉄の槍は心臓がある場所からは外れているものの、致命傷には違いなかった。

 背を蹴り飛ばされ、乱雑に槍が引き抜かれる。私は糸の切れた人形のように倒れる他なかった。

「……ゆ、か……り」

 どうにかして娘だけでも助けたい、なのに身体は動かない。肺をやられた体では、満足に声も出せなくなっていた。

「──イルワチモキ、ルアキイダマ」

「……がっ……!」

 妙なエコーがかかった声が聞こえたかと思った次の瞬間、再び身を貫かれた。胸、腹、足、腕、なんの法則性もなく槍が突き立てられた。



 ゆかりが、静かに泣いている。


 声をかけてやりたいのに声がでない。


 守ってやりたいのに身体が動かない。


 こんな所で死ぬのか、私は。


 また、娘を守れないのか──



 また?



 またってなんだ、以前にもこんなことがあったのか?


 そんな訳、ない──


 視界は暗くなり、娘の姿も見えなくなっていく。悔しい、こんな終わりを迎えるなんて嫌だった。どうしてこんな目に遭わないといけないんだ、私が何をした。

 こんなの、理不尽過ぎる──

「メドト、デレコ」

 今度こそ、心臓を貫かれたのだろう。

 一際強い痛みが全身を走り抜け、力が抜けた。


 ──Éirigh arís.──


 意識の途切れる間際、頭に響いたのは覚えのない声。けれど、不思議な事に視界が鮮明になってきた。

 身体にはまだ鈍い痛みが残っているが、力は入る。動けるのなら動け、私の身体──娘を守るんだろう!


「──トダ、タッエガミヨ!?」

 その一心で立ち上がり、槍を携えた魔物へと殴りかかる。相手にとっては予想外の一撃、私が放った力任せの右ストレートは綺麗に顔面を捉えた。

「ッガァ──!」

「うぁぁぁあああああ!!」

 壁に激突して止まった相手へ飛び掛かり、馬乗りになった後は只ひたすら殴り続けた。

 砕けた相手の歯が、血と共に飛び散ろうが関係ない、目玉が潰れようが頭蓋骨が陥没しようが脳漿のうしょうが飛び出ようが無視だ。


 そうして相手の頭がき肉になった頃、ようやく私の頭は落ち着きを取り戻していた。

「……そうだ、ゆかり……ゆかりは」


 抱えた娘の目は閉じたままで呼吸は止まっている。嘘であってくれと願い、その胸にみみを当てるも拍動は聞こえず。


「あぁ……ぁぁぁあああああああ!」


 ──……助けられなかった。

 そう理解するよりも早く、私は慟哭していたのだ。

 私は別にいい、なんで娘がこんな目に遭わないといけない。まだ、まだ六歳なのに。外で遊ぶこともできず、上手い飯も食えず。同年代の友達すら出来なかった。今日が誕生日だったのに、どうして。

 慎ましい生活の中でだって不満を言うこともなく、薬だって嫌な顔せず飲んで頑張っていたじゃないか。それなのにこの仕打ちは無いだろう。

「……誰でもいい、娘を……ゆかりを、助けてくれ……なんだってする……だから、だからっ……あぁ、ああああああああああ!」

 焼け落ちた村の中、私の慟哭どうこくはよく響いた。だからだろう、魔物は私の所へ殺到してきた。

「……お前らが、お前がァァァァァァァァ!」

 狂った様に喚きながら、近くにあった手斧を振り回し魔物を殺していく。刃が欠けて、柄も折れたら素手で頭蓋を握り潰した。

 それでもダメなら魔物の角をへし折ってそれを突き立てて殺した。


 そうして魔物のことごとくを殺し尽くした頃、私は娘の亡骸を抱えて1人村を出ていた。



 

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