第24話 東雲氷菓はまたねと言う

「あらあら、もう帰るの?」


 おばさんは眉を八の字にして、階段を降りてくる俺と氷菓にそう声を掛ける。


「えーっと、はい。お邪魔しました」

「もう少しいればいいのに。お母さんとか今いないんでしょ? 家でご飯食べて行ったら?」

「いや、今日は遠慮しておきます。瑠香が夕食の準備に買い物に行ってるんで。――あ、でも……また今度、改めてまた瑠香と来ます。その時でも……」


 すると、おばさんの顔がパーっと明るくなる。

 まるで氷菓の生き写しのような表情だ。最近こんなに楽しそうに笑う氷菓を見た記憶は一切ないが、なんだか仲の良かったあの頃を思い出す。


 おばさんは俺の手を握ると、ブンブンと上下に振る。


「良かった……良かった! また来てくれるのね!」

「えっと……まあはい」

「氷菓と仲直りしたの?」

「ちょ、お母さん!? そういうのいいから!! 伊織はもう帰るの!」


 そう言って氷菓はぐいぐいと俺の背中を押す。


「おい、んな押すなよ……」

「いいから!」

「あらあら、恥ずかしがっちゃって。……でも、本当私嬉しいわ。あの頃みたいに、楽しそうな二人がまた見れるのずっと楽しみにしてたから」


 そう言う氷菓の母さんの顔は、本当に嬉しそうで……。


 もしかすると、俺と氷菓のこの三年に及ぶ冷戦は、俺達だけの問題じゃな無かったのかもしれないと、改めてそう思う。少なくとも、おばさんにとっては。


 氷菓にはお父さんがいない。

 俺と氷菓が出会う少し前に、病気で亡くなったそうだ。だから、俺も殆ど知らない。


 それもあって、幼い頃の氷菓は家が隣になった俺と瑠香に、必要以上に仲良くしようとしていたのかもしれない。それを見て、きっとおばさんも安心していたはずなのだ。


 口には出さないし、俺も言わない。でも、きっとそうなんだろうと思う。


「本当に、また来てね、伊織君。楽しみにしてるから」

「……はい。今度はちゃんと、玄関から来ます」

「ん? うん、待ってるわね」


 そうして俺は氷菓にぐいぐいと押されたまま、玄関の外へと出る。

 裸足で外に出るのは幼い頃以来だ。おばさんに姿を見られた以上、窓から戻る訳にもいかないからな……。


 なんとも濃密な時間だった。

 感情を揺さぶる行為なんてのは、エネルギーの無駄遣いで、俺らしくないと思っていたけど。


 どこかスッキリした気分なのは何故だろうか。

 少し考えたが、すぐ止めた。分からないと思っていた方が良いような、そんな気がした。


「――それじゃあ、帰るな」

「う、うん……」


 俺は少し気まずくて、ぽりぽりと頭を掻く。


「あー……じゃ、じゃあな」

「うん……」

「…………」

「…………あ、あの伊織?」

「ん?」

「えーっとその……」


 氷菓もすこし気まずそうにして、何か言う事を熟考しているのか、視線を上の方に逸らしてこちらを見ようとしない。


「な、なんだよ」

「だからその……さっきの話は……」


 さっき……これからは前みたくってやつのことか。

 何だよ蒸し返すなよ……なんだか恥ずかしいじゃないですか。壮大な喧嘩をした後の和解みたいでむずむずするんですが。


「お、おう……」

「――い、いや、いいや!」

「いいんかい!」

「うん。……もう十分だから」

「……そうか。それじゃあな」


 今度こそ俺は塀をでて、自分の家の方へと歩く。


 自分の家のドアに手をかけ、ガチャリと開いたところで、不意に氷菓の家の方から声がする。


「またね、伊織!」


 久しぶりに、氷菓から聞いたセリフ。

 またね。


 最後に聞いたのはいつだろうか。

 もう思い出せない。だが、関係ない。とりあえず、その言葉の返し方は知っている。


「――またな、氷菓」

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