第17話 東雲氷菓はわかって欲しい

 エンドロールが流れ、パラパラと人が立ち上がっていく。


 俺たちはエンドロールを最後まで眺め(恐らく氷菓は暗いうちは怖くて立てないだけだろうが……)、劇場が明るくなると同時に席を立った。


 氷菓は涙目だったのか、しばらくの間頑なに俺たちの方を見ようとしなかった。



「はあ、和風ホラーってホント趣味悪い」


 そう言って氷菓はトマトクリームパスタをパクパクと口に運ぶ。


「あんなに不気味に驚かせる必要ある? あれは怖いんじゃなくて気味が悪いのよ」


 断じて怖がったわけじゃない、と言いたげな表情で氷菓は言う。


「言いたいことはわかりますけども…………和風ホラーってそう言うもんだろ」

「それが気に食わないってのよ。ビビらせたろうって魂胆が見え見えなのよ!」

「それでビビってるんだもんなあ、策にハマってるぞ」

「うっさい……ビビってないわよ」

「あはは、いい映画チョイスだったみたいだね~良かった!」


 氷菓はご立腹の様子でぷんぷんと頬を膨らませる。

 まあ、口ではこうは言っているが、結局はそれも含めて楽しんでいるのだ。その証拠に、いつもみたいに目がアイスのように冷ややかではない。


「……まあでも、結構楽しかったのは認めるわ。気味悪かったけどね」

「そうだな、途中でいきなり俺の腕に――」

「途中で何かあった?」


 瞬間、ギロリと氷菓の視線が俺に突き刺さる。

 それは言うなと、無言の圧力が尋常じゃない。怖い、やっぱり怖いよこの人。


「途中で何かあった?」

「な、何もないです……」

「まったく……あれは記憶から消し去りなさい」

「もう、伊織は昔から女の子に対してデリカシーないよねえ」


 そう言って陽はニヤニヤと笑う。


「おま……お前は男だったからだろうが! 女の子とかいう妄想は捨てろ!」

「本当かなあ。本当は知ってて男として接してたんじゃないの~?」

「やめろ、俺を詐欺師のように言うな」

「ねえ、それなんだけど」


 氷菓がずいと身体を前に乗り出す。


「映画見る前も言ってたけどさあ……男の子がどうとかってどういうこと?」

「聞いてよ氷菓ちゃん~! この人私のこと男の子だと思ってたんだよ!?」

「ど、どういうこと!?」


 氷菓の頭の上にクエスチョンマークがハッキリと浮かび上がる。


「どういうことって……そのままだよ。こいつが余りにも男っぽい恰好だったからずっと男の子だと思ってたんだよ。ほら、大分前に言っただろ、転校してくる前にめっちゃ仲いい友達いたって」

「イマジナリーフレンドか何かだと……」

「舐めてんのかお前は」

「だとしても、こんな美人を男と間違う訳ないでしょうが! あんたの目は節穴か!」


 いや、その点に関してはマジで俺も同意見なんだわ。まさかこんな美人の基だったとは……あの頃の俺はきっとどうかしていたのだ。ただ遊ぶのが楽しくて気にしなかったと言うのもある。


「酷いよねえ。一緒にお風呂も入ったのに……」

「ブハッ!!」


 氷菓は飲んでいたアイスティーを吹き出しそうになり慌てて口を抑える。


「なななな、なんで!? なんです……えぇ!?」

「いや、動揺しすぎだろ……」

「いやいやいや、一緒にお風呂はアウトでしょうが、変態! 絶対女の子だってわかっててやってたでしょ!」

「そんな器用に見えるか、俺が?」

「変態のためなら器用にでもなってやるという人間に見えるわ」

「信用なさすぎかよ……」


 とはいえ、一緒にお風呂入っていたのは事実である。

 あの頃は親も何も気にしないで一緒にいれてたし、俺も全く意識していなかった。正直ノーカンだ。あれは絶対に男の子同士の入浴だった。


「まあ、それだけ私達は仲の良い幼馴染だったんだよね」

「自分で言うかあ?」

「だって伊織にもう一回会うためにこの学校に転校してきたわけだし」

「はあ!? そんな理由で来たのかよ」

「いいじゃん、そんな理由でも! まあこっちに引っ越してくるのは決まってたからどの高校にするかってだけの話だったけど……こうやって会って楽しく映画見れるんだから正解だったよね」

「まあ、別に俺が良い悪いを決める訳じゃねえしなあ……」


 すると、氷菓が口を挟む。


「こんな男の為に転校ってあんたそんなんでいい訳?」

「えーまあ幼馴染だし、そう言うのもありじゃない?」


 なんだかむず痒いが……幼馴染としてそう思ってくれるってのは嬉しいもんだな。

 どっかの誰かとは大違いだ。


 すると氷菓がちょっといじけた顔で言う。


「幼馴染幼馴染って……私達だって……幼馴染だし。ねえ伊織?」

「はあ?」


 幼馴染……まあそうかもしれないけど……。

 あれだけの罵倒を受ければその事実も受け止めたくないというものだ。それが人情というものである。


「どうかなあ、氷菓はまじで中学の頃から急に俺を罵倒しまくってたからなあ」

「それと幼馴染かどうかは関係ないでしょうが」

「関係あるある、正直一時期は氷菓に会うのも嫌だったぜ?」

「え……?」

「顔合わせるたびに罵倒されりゃあそりゃきついってもんよ……。その点、陽は再会するなりめっちゃ俺に好意的に接してくれるし、幼馴染って感じするよなあ」


 氷菓はハッと息を飲み、今にも怒りだしそうな、悲しそうな雰囲気を放つ。


 ふふ、言ってやったぞ。たまには言い返してやるぜ。最近陽のおかげか氷菓も罵倒が緩くなってきたからな。ここらへんで攻勢にでて少しは今までのことを反省させてやる。


「なあ陽?」

「えっと……どうかなあ……」


 なんだか煮え切らない陽に、わずかな違和感を覚える。


「中学からって……ずっとそう思ってたわけ?」

「そりゃそうだろ……。夏頃だっけ? 中一の。急に距離開けやがってよ」

「あ、あれは……! あんたが……」

「俺のせいだってのかよ? 俺何もしてねえのによ……本当胃に穴が開きそうだったぜ。そのくせ急に話しかけだしたと思ったら氷の女王の誕生だからな。会う度罵倒ばっかは正直きつかったよ」

「それは……あんたがボッチで一人寂しそうにしてたから……」

「ボッチボッチってなあ。自分で言うのはいいけど人に言われるのは結構来るもんがあるんだっての。この間俺の家で陽も言ってただろ? そういう所だぜ、氷菓」

「…………」

「ま、家が隣同士だからって幼馴染じゃなきゃいけない理由なんてねえよ。お互いいがみ合ってるんだから知り合いってのがいい落としどころだろ。幼馴染なんて怖すぎるぜ。陽だけで十分だよ」

「……………………」


 言ってやった……!

 いつもの様子とは裏腹に、どこか弱々しかった氷菓に、俺は遂に追撃をした。今まで思っていたことを、少しでもこいつに言ってやりたいと、ただそれだけの感情で。


 ――しかし、氷菓が少し顔を上げたとき。

 冷笑でもない、自信あり気でもない、勝ち誇るでもない。いつもの毅然とした表情はどこにもない。どんよりと霧がかったような、今まで見た事もない表情を浮かべているのを見たとき。


 俺はそこで、後悔した。


「……ごめん、今日は帰るね」

「なっ、おい氷――」


 氷菓は勢いよく立ち上がると、お金だけを置いて席を立つ。


「お、おい! どうしたんだよ!」

 

 立ち上がり腕を掴もうとするが、氷菓はそんなもの気にも留めず強引に振りほどくと、店から出ていく。


「なんだよあいつ……いきなり……」

「伊織……さすがにあれは駄目だよ」

「はあ?」


 俺はさも心当たりがないというように、心にもない返事をした。


 今までの空気が嘘みたいに陰り、どこか胸の奥がざわついているのを実感していた。言ってやった、という達成感など何処かへ吹き飛び、あるのはただ、どんよりとした気分だけだった。

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