第16話 東雲氷菓は耐性がない
「チケット買ってきたよ~……ってあれ、何か意気消沈してる?」
円形の椅子に座り、がっくりと項垂れた俺たちを見て陽が困惑した表情で声を上げる。
「クラスの連中がいてな……特に氷菓が来週のことを考えて憂鬱になってる」
「はああ…………やっぱり考えれば考える程言い逃れし辛いわ……」
「なになに、クラスの子に見られたの?」
「そうよ、私と伊織の二人っきり……変な噂流されたら最悪……」
そう言って氷菓は深々と溜息をつく。
俺だって平穏な日常が崩れるのはごめんだ。ただでさえ転校生の陽が俺にめっちゃ構うという恐ろしい状況に、周りの連中からいろいろと声を掛けられる事案が増えているというのに(大抵は、「お、おう……」としか言えないが)、これに加えて氷菓と二人で映画に言ってたなんて広まったらそれこそ大惨事だ。
この間玉砕した六組のなんとか君も自分を振った相手がこんな中の上とはいえ陰キャとデートしてたなんて知ったら夜も寝れないだろう。
「まあまあ、伊織ならいいじゃん」
「暢気すぎるでしょあんた……はあ、まあもういいわよ。来週何とか誤魔化すわよ」
「気にしすぎだと思うけどなあ。私だったら幼馴染なんだから伊織と二人で出かけちゃうけどな」
「羨ましいわ、まったく……」
「?」
「――まあいいわ、この話は終わり……! 映画楽しむわよ!」
氷菓は立ち上がると、上を見上げグッと拳を握る。
「切り替え早いな。というか、嫌々参加の割りには見る気満々だな」
「当然! 参加すると決めたからには最低でも映画はしっかり楽しんで帰るわよ」
「この後もお昼と買い物があるからね~」
「そうそう、来たからには楽しむ! この際相手が良く知らない転校生でも何故か目撃されて最悪な伊織でもいいわ。時間を割くからには最高の時間にするわよ!」
すげーバイタリティだな、あのころの地味っ子とは思えん。
その言葉を聞き、陽はパーっと笑みを浮かべる。
「うんうん、楽しもう! さ、映画始まるから行こ」
◇ ◇ ◇
「K19~K21だね」
「おーど真ん中だな」
「やっぱり映画は中央ちょい後方がベストだよねえ。はい、二人のチケット」
おれにはK20が渡される。
「……俺が真ん中?」
「はあ? なんで私がこいつの左隣なのよ。集中して見れないじゃない。左から伊織、雨夜さん、私がベストでしょ」
「えーいいのかなあ、氷菓ちゃん」
「どういう意味よ……」
「ホラーだよお? 得意なの? 左隣がまだ良く知らない私、右隣りは赤の他人……そんなので安心して見れるのかなあ?」
「………………」
氷菓は眉間にしわを寄せ、うんうんと少し唸りながら考える。
相変わらず俺の意見は聞かれないのね。まあ正直どこでもいいけど。
「……わかったわ。まあ別にどこでもいいんだけど、伊織とか絶対ホラー苦手だし真ん中にしてあげるわ。いい、これは優しさよ?」
怖いんだな……意外と可愛いところがあるな。
「はいはい、二人で挟んでもらえると助かりますよー」
「挟むとか……変なこと言うな! 馬鹿! 変態!」
そう言って氷菓はガシガシと俺の足を蹴ってくる。
「いってえな! お前の脳みそどうなってんだよ! 思考が飛躍しすぎなんだよ!」
「うっさいうっさい!!」
「ん、どういうこと?」
「……何でもないよ、陽。陽は綺麗なままでいてくれ」
「綺麗? ありがとう……?」
「天然って恐ろしいわね……まあいいわ、見に行きましょう」
「ワクワクだね! レッツゴー!」
館内に入ると、既に放映前の予告が流れていた。
真っ暗な中で正面に掲げられた巨大なスクリーンから、陽気な音楽と共にCGのキャラクターが楽しそうに走り回っている映像が流れている。
少し肌寒い館内が、雰囲気満点で一気にワクワク感が高まってくる。
「すいません……」
小声で陽がそう呟きながら、座席の前を中腰で通り抜ける。
「10、11、12…………あ、ここだね」
俺たちは奥から陽、俺、氷菓の順に席に着く。
やっとたどり着いた安堵感で、俺達は軽く息を吐きながら背もたれにもたれ掛かる。
「ふぅう……ほい陽。メロンソーダ」
「ありがとう!」
「氷菓はコーラな」
「……ありがと」
「あとこのポップコーンは…………俺が持ってた方がいいか?」
「そうだね、両方から取るし伊織が持ってるのが一番だね」
そうこうしているうちに、映像がCMから本編へと切り替わっていく。
音響が立体感のある音を出し始め、映像が仄暗くなる。
「はじまるみたいだね。楽しみだね」
「あぁ。ホラーだろ? 怖いからって急に叫ぶなよ二人とも」
「は、冗談でしょ。あんたじゃあるいまいし、ホラーくらいで叫ばないわよ」
「私も強い方だからなあ。伊織が青ざめるのが楽しみ」
「Sかよ……」
序盤は霊能力者と相談者の会話から始まる。
最近おかしな現象が続く相談者が、知人の紹介で霊能力者に相談することになったのだ。そこから事件が始まっていく。最初はポルターガイストやラップ音なんかの小さな現象だけだったのが、遂に死者が出ることになる。
なるほど、典型的な和風ホラーだな。
この手の映画にビビらないのはコツがある。それは、徹底して作り物だと意識することだ。邪道? ホラーを頼む気がない? うるせえ、ビビってると思われて二人の前で悲鳴を上げるのに比べれば全然マシだ。
話が順調に進むにつれ、左右からポップコーンを取る手が伸びる。
スクリーンから目を離さずに陽が右手を、ポップコーンの入れ物を探すように伸ばしてくる。
その手が俺の手に軽く触れる。
「ごめん! 見えなかった……」
「い、いいよ……ほら、食えよ」
俺はポップコーンを取りやすいように陽の方に傾ける。
「ありがと」
……ふう。なんか少しドキッとしたな……これが暗闇の効果か。暗闇って恐ろしいわ。変な気分になる。いかんいかん、映画に集中せねば。
俺も一つ――っと手を伸ばした瞬間、左から伸びてきた氷菓の右手が、俺の手に触れる。
「!」
「あっ、ごめ……って謝る必要なかったわ」
「うぜえな……まあ俺も謝る気はねえけど」
「静かにして、見てるんだから」
「…………」
俺は真顔でスクリーンに視線を戻す。
何故だろうか。氷菓じゃまったくドキッとしねえな。
うざいからだろうな。「うざい>可愛い」の不等式が成立しているせいで心が振れないんだろう。悲しいなあ……。これで少しは可愛げがあれがマシなんだろうが。
『ギャアアアアアア!!!!』
刹那、スクリーン上で女の霊がドアップで写る。
「きゃああああ!!!」
声と同時に、俺の左腕にものすごく柔らかい感触が走る。
ムニムニと押し当て続けられ、俺は思わず前意識をそっちに集中する。
これはあかん、これはあかんぞ……たとえ氷菓でも良いものは良い……。だが、このままにしておくと理不尽な罵倒が飛んでくることは間違いない。
「ひょ、氷菓さん……? 掴んでるの僕の腕なんですけど……」
「う、うるさい……。少しだけ……つ、掴ませて‥…」
「……いいけど……」
氷菓の目はびっくりしすぎたせいか僅かに潤んでいる。
氷菓にも怖いものがあったか。いつになく弱々しい氷菓……これはちょっとかわいいな。
「きゃ~こわーい」
っと次は右から声がする。と同時に、ガシっと右腕を掴まれる。
これまた柔らかい感触……左右からの天国のような状況に俺は映画どころではなくなる。
「な、なんすか陽さん……」
「怖くて、えへ」
「ぜってえ嘘だろ……芸能人の声優初挑戦も真っ青の棒読みだったぞ……」
「対抗してみました」
「あ、あんた私のこと煽ってるの!?」
左から、氷菓が顔を出す。
「違うよ~」
「も、もういい、大丈夫!」
そう言って氷菓はバッと俺から離れると、ものすごーい薄目でスクリーンを見る。
怖いなら律儀に目を細めてまで見なくても目を逸らせばいいのに……。
「あらら、楽しそうだったから混ざったのに」
「楽しみすぎだろ……映画以外で」
だが……映画素晴らしいな。特にホラーは。
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