第7話 雨夜陽は懐かしむ
「だ、だ、誰なのその女の人! ち、痴女だあああ!」
瑠香がソファーのクッションを手に持ち、バンバンと陽を叩く。
「に、兄ちゃんから離れろおおお!!」
「あはは、痛い痛い!」
「あああ!! たーのーしーむーなあああ!!」
俺の上で暴れている瑠香と陽とは裏腹に、俺は少し冷静だった。
ふむ…………身体に乗られている。
感触が……このまま気付かぬ振りで乗られているのも悪くない。
「うわー避けろー!」
馬乗りで陽が左右に揺れる。
マズイ……その動きはまずい!!
反応しちまう! それだけはまずい、社会的に死ぬ!!
「ど、どけろ、陽……」
「あはははは!」
「きいいい!」
俺の小さな声が通るはずもなく、二人は相変わらず楽しそうにじゃれあっている。
虚しい……が、ここで諦めたらもっと悲惨な事態に……!
声を張れ、俺! がんばれ! お兄ちゃんでしょ!
「ど……どけてくれ!! 限界だ!」
「ひゃああ!! びっくりした……――ん? あぁ、ごめんごめん、乗っかてたの忘れてた、へへ」
どうやらやっと俺に馬乗りになっていたことに気付いたようで、陽はうんしょ、うんしょと立ち上がる。
「ふぅ……」
「お、お兄ちゃん大丈夫!?」
「あぁ……いてて……」
「本当だれこの女の人!」
「私雨夜陽! えーっと……瑠香ちゃん!」
陽はびしっと瑠香を指さし名前を告げる。
「なんで私の名前知ってるの……ス、ストーカー……?」
瑠香は眉を八の字にして困惑した表情を浮かべる。
掲げていたクッションがゆっくりと下に下がる。
「伊織から良く話聞いてたよ~! 可愛い妹がいるって。やっぱり可愛い!」
「え! そ、それほどでも……えへへ」
照れるな照れるな。俺だっていつも可愛いって言ってやってるだろうが。
俺の時に照れてくれてもいいんだよ。
すると、妹は俺の横で囁く。
「いい人じゃん、お兄ちゃん。こんな美人でいい人がお兄ちゃんに用事とか驚きで混乱しちゃうんだけど」
「懐柔されるの早すぎだろ、お兄ちゃんは君の将来が心配だよ……。陽は腐れ縁というか何というか…………」
「腐れ縁? お兄ちゃんの縁なんてとっくに腐ってるでしょ」
「酷い言いようだな、妹よ」
確かに妹の認識は正しい。
長年ボッチを間近で見てきた瑠香は、俺の交友関係は良く知っている。そんな俺が、男友達というめっちゃくちゃ低いハードルを素通りして、女の子という超デカいハードルを飛び越えてくるとは予想していなかったのだろう。
お兄ちゃんは悲しいです。
……とはいえ、胸を張れる関係性を持っている訳でもない。正直なんでうちに来たのか……というか何で知ってるの家。ストーカーですか?
「ま、いいや。喜ばしい日だね! 私これから買い物行ってくるから、お二人は楽しんで……ウフフ」
「何だそのにやけ顔は」
「ウフフ、邪魔者は退散させてもらいましょう」
「姑かよ」
「それじゃ、ごゆっくり!」
「あはは~ありがと!」
そう言って瑠香は急いでリュックを背負うと、タタターっとドアを開け出ていく。
ドアが静かに締まり、静寂が訪れる。
「……可愛い妹ちゃんだね」
「それが自慢です」
「シスコンだー。仲睦まじいねえ~。あっ、お邪魔しまーす」
と、陽は靴を脱いで上がってくる。
制服ってことは、学校からそのまま来たのか。
「どれどれ……ふんふん、いい家だね」
「そりゃどうも」
「部屋は二階?」
「あぁ、上がって右が俺の――あっ!」
「ふふ、油断したな!」
そう言って陽は勢いよく階段を駆け上がっていく。
「ちょっと待て!! まだ掃除が!!」
「見ーちゃお!」
「おい!」
ああもう、自由か! 人んちだぞ!
俺は急いで陽の後を追う。くそ、いろいろ片付けないと……! 別にやましい物はないが何か一旦部屋みたい! 何か落としてそう! ゴミとかあと何か……とにかく確認してからじゃないと恥ずかしい!!
と勢いよく陽を追って階段を駆け上がり、パッと顔を上げるとそこには、健康的な脚がスカートから伸び、階段を一歩一歩上がる度にめくれ上がるスカートが……。
「――ッ!」
ああもう無防備すぎんだろうが!
俺は慌てて顔を逸らす。こんなの凝視してると思われたら死刑だまじで。
「……くそ、それは反則だろ……」
「何が?」
「こっちの話だよ……」
いつのまにやら俺の部屋のドアを開け、陽は額に手を当て中を覗き込む。
「おー、綺麗にしてるじゃん」
「勝手に――はあ、もういいよ、入れよ……まあ別に知り合い入れるくらいどうってことなかったわ」
「知り合いじゃなくて、幼馴染でしょ」
「へいへい」
「ふっふー、お邪魔しまーす!」
◇ ◇ ◇
「――で、何しに来たんだよ」
俺は冷蔵庫から適当に入れてきた麦茶を陽の前に出す。
陽は堂々とベッドの上に座り、興味深げにキョロキョロと部屋中を見渡している。
「いやーほら、学校じゃゆっくり話せなかったでしょ? だから来ちゃった」
「だから来ちゃったって……何で俺んち知ってるんだよ」
「おじさんに聞いたからねえ。あれ、伊織は聞いてないの?」
「はあ? 父さん? ……聞いてねえよ……」
あのおっさん……ああそう言う事か。
陽のお父さんとはうちの父さんは友人同士。家の場所をそれとなく教えてたわけか。
「だからってなあ、いきなりこられても……」
「伊織のお父さんもうちの息子をよろしく~~って言ってたよ?」
「はあ!?」
「全然友達がいなくてな……って嘆いてたよ、あはは!」
あの野郎……!!!
ああくそ、何でもかんでも喋ってそうだな……!
俺は力なく項垂れる。
カッコ悪ぃ……。
「…………悪かったな」
「ん? 何が?」
「お前の想像してた"伊織"とは違っただろ? 再会しても嬉しくねえだろ」
あの頃の、元気で陽と遊んでいた活発な少年はもう見る影もない。
というか、陽の前だからこそ活発な子でいられたんだ。底抜けに明るい陽は何故か話しやすかった。
そんな俺を懐かしんで会いに来てくれた陽は、幻滅したかもしれない。
それが何となく情けなかった。
「――何言ってんの?」
「だから……」
「私は伊織に会えて嬉しいに決まってるじゃん! ずっと会いたかったよ!」
「まじか」
陽はウンウンと首を縦に振る。
「伊織を忘れる訳ないでしょ! 嬉しいに決まってるよ!」
「本当かよ」
「うんうん!」
陽は何度も元気よく頷く。
「そ、そうか……何がそんな俺のことを記憶に残してくれたのかはよく分かんねえけど……そっか。ならいいか」
「そうそう、伊織のこと忘れるわけないって!」
「…………」
「…………」
変な沈黙が流れる。
柄にもなく何故か照れ臭い。
俺との思い出が、陽にとっては少しは大切なものとなってくれているのだろうか。全然わからないけど……。
「……そうだ。私どう?」
「どうとは?」
「ほら、結構女の子っぽく成長したと思うんだけど!」
そう言い、陽は立ち上がってポーズをとる。
モデル顔負けのスタイルの良さ……本当に幼馴染かこいつ?
「あ、ああ。結構……いい感じ……だと思う」
「わーい!」
「それにほら、昼間も言ったけど俺完全にお前のこと男だと思ってたからさあ」
「……え?」
あっれ……? 昼間は冗談だと思って流されてた感じ……?
さっきまでヘラ~っとしてた陽の顔が、急に険しい顔になる。
完全に選択ミスった……?
おい誰か! セーブポイントまで戻してくれ!! これ完全に攻略ルートミスったっぽい!
「……男?」
「あーほら、あの頃髪短かったし……身体の成長もほら、遅かったと言うか……」
「ほうほう、それで私が男に見えたと」
「見えたというか見えてたと言うか……」
「へえ……こんなかわいい子が男にねえ……」
何とも背筋が凍る笑みを浮かべ、陽が俺ににじり寄る。
「陽……さん?」
「…………」
怖え……。
余りの圧に、俺は無意識に身体を仰け反らせる。
そして、俺の肩甲骨の辺りを陽はグイっと押す。
俺はなすすべなく床に倒れ、その上に陽が覆いかぶさる。
見上げた先に居る陽。
床ドンってやつ……? 男がされるものなんですかこれは!? 教えて少女漫画さん!!
陽はそっと俺の頬に手を触れる。
「ふふふ、どうしてくれようか」
「か、勘弁してください……」
頬をなぞる指が、ツーっと顎先へ移動する。
冷たい指先に、ぞわっと身体が震える。
あーさすがにやばい…………。
何をもって陽は俺を押し倒したのか。邪な考えが脳裏をよぎるが、そんな訳がないと俺の心が否定する。なぜなら、そもそも陽の顔にこれっぽっちも照れがない!! 俺だけか照れてるのは!!
きっとこいつの中では俺はあの頃の仲良しな友達のまま……兄弟みたいなものなのだろうな。
そして陽はゆっくりと口を開く。
「伊織――」
『ドンッッ!!!』
「「!?」」
不意に窓から大きな音が鳴る。
何かを叩きつけたような音。
一体何事!? っと陽が驚いた顔をしている。
だが、この窓。俺はこの先に誰がいるのか知っている。こんなの、
鍵をかけていなかった窓がガラッと空き、にっこにこの笑顔を浮かべた女が頬杖をついてそこに居た。
「へえー……手が早いのね、伊織。ボッチの癖に女癖が悪いとか最低」
「ひょ、氷菓さん…………?」
「どうぞ続けて? 私ここで見てるから」
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