2.

 少女が独り、白い雪原に佇んでいた。

 少女はここを知らない。これに類する光景も、目にしたことがない。

 彼方まで広がるまっさらな平原。ちらちらと舞い落ちる雪。空は澄みわたり、どこまでも青く。太陽も月もなく、それでいて真昼の明るさ。

 少女は、見えない何かにひかれるように、天に手をさしのべた。

 おそろしいまでの青と、一つになる。

 やがて、風花はやんだ。少女のほかに、動くものはない。

 少女は腕を下ろした。

 魅せられたように、そろりと一歩を踏み出す。そして、確信をこめて歩き出した。大きな瞳は、行く手だけを揺るぎなく見つめている。


 ざく、ざく、ざく、ざく……

 一足ごとにくるぶしまで埋まる雪原を、少女は迷いのない足取りで歩いていく。ふりかえれば白の上に、足跡がまっすぐと。はじまりはもう見えない。

 少女はさらさらと己の影を滑らせながら、雪の上に落ちる影が蒼いことを初めて知った。

 目を射る輝きも、たちのぼる冷気も、少女には未知のものだった。足は、故郷の浜辺と全く異なる感触を踏みしめている。素足の裏に刺さる硬い冷たさは、陽の熱をもつ砂とはかけ離れている。白、という色の、匂いまでが違う。

 少女は無心で、ただただ歩きつづけた。己がどこかへ行きつくことを、また、それまではこの行進を終えられないことを、奥深くで知っていたからである。


 ざく、ざく、ざく、ざく……

 少女はふと思いついて、柔らかな雪の上に、ばったり身体を投げだした。黒髪がふわりと弧を描く。拍子を刻んでいた足音が途絶え、少女は全く音のない世界にのみこまれた。

 少女はしばし、呆けたように空を見上げていた。世界が無限に大きく、また小さく感じられた。胸のうちで、ほんのり甘く孤独が香る。

 少女は満ち足りた心で、ゆっくり立ち上がった。

 そして、行く手に見つけた。

 それが放つ、まばゆい、揺るぎない輝きを。

 少女はそれこそが、己のめざすものだと悟った。


 ざくざくざくざく……

 少女は足を速めた。前方のそれに、なぜだかひどく心惹かれるのを感じた。

 どうしても、あそこに辿りつかなければならない。

 瞳は病的なまでの熱情をこめて、青白い輝きを映す。


 ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ……

 少女は今や、力のかぎりに駆けていた。小さな足が、雪を蹴散らす。つめたい真紅の頬が、鮮やかに雪原に映える。

 丘の頂に登りつめ――着いた。

 少女は全身で呼吸しながら、それの前に立ちすくんだ。その美しさと偉大さに、ただただ眼をみひらいていた。

 全身に輝きを宿したそれは、氷で出来た大樹であった。

 うす青く透きとおった幹は硬く、きらきらと光をあつめている。景色よりもなお白いものが、しなやかに伸ばされた鋭い枝から溢れるように咲いている。

 満開の桜のごとく、氷の枝に、純白の雪が咲いていた。

 少女は赤い頬を、氷の幹にすり寄せた。細い腕に渾身の力をこめて、幹を抱きしめる。熱い息をついた。なめらかな幹のつめたさが、頬にじんじんと伝わってくる。少女は、求めるものを見つけた喜びにうち震えた。

 幹をいっそう強く抱きしめてから、腕を解いて、一歩、木から下がる。

 その刹那、雪原に初めての風が吹いた。強い、強い風が。

 雪の花が一斉に風に散り、少女を覆う。前が、見えない。

 少女は、己が何か、叫んだ気がした。だがそれも、錯覚だったのかもしれない。

 何も見えない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る