第120話 嘘を、大切にしてたの

「…………」


 どう伝えればいいのか、言葉を探す。


 『シアは悪くない』

 『辛かったね』

 『恨むのはおかしくない』


 心の底からそう伝えたところで、上滑りしてしまいそうだった。

 シアの抱えてきた過去は、ひと月程度付き合っただけの人間が『わかるよ』と理解を示したところで、それこそ。


『嘘つきめ、ふざけるな。そんな優しさなんていらない』


 と言いたくなるに違いない。


「……シアは、お母さんの方で住むことになったのか?」


 だから、シアの話をもっと聞く。

 俺はシアのことをまったく知らないのだから、少しでも彼女を知りたい。


「そういうこと。もともと住んでる家は引き払ったんだけど、ずっとそこで生活してたから、その近くに引っ越してね」


 問いかけなら、シアも気が楽なのか。声音は先ほどの乾いた声よりも、やや落ち着いている。感情的になりそうになりながらも、俺に伝えてくれるのは、知ってもらいたいと思ってくれている証なのかもしれない。


「私の生活基盤を変えたくなかったんでしょうね。名字の『九条』だって高校の間は旧姓のままで通すことになってるし」

「あ……そっか」


 急に名字が変われば、どうやっても好奇の視線の対象になってしまう。


「お母さんもお父さんも、私に気を遣ってくれてたのよ。

 『別れるのは私のせいじゃないし、私を嫌いになったわけでもない』

 そう繰り返してくれたわ……何度も、何度も」


 シアの両親は、優しいのだろう。

 別れても、シアのこれからをおもんぱかってくれている。

 善良な人たちなのは、聞いているだけでもわかる。


「月に何度か、お父さんとも会えるし、優しくしてくれる。

 お母さんは前よりも仕事に熱中してるわ。もともと働くのが好きな人だから。それでも、私との時間を作ってくれる。ね、すごいでしょ?」


 瞳に悲しみをたたえたまま、シアは弾んだ声を上げて大仰に両手を広げてみせる。あたかも自分に言い聞かせるように。


「すごい?」

「ええ、きっと一番素敵な別れ方だもの」


 客観的に見れば、両親なりに別れるという選択の中で、シアにとっての最良の方法を模索してくれたのがわかる。


「…………」


 だが『その通りだ』と頷く声はとても出なかった。

 シアの表情は、『素敵だ』なんて欠片も思ってはいないものだったから。


「……お父さんさ。この前、再婚したの」

「え?」

「向こうも再婚でね。ちっちゃい子がいるの。ふふ、私、義理の妹がいるのよ」


 楽しそうにシアは話す。


「でも、変わらずお父さんは会ってくれるし、向こうの再婚相手の方もちゃんと理解してくれてる……ね、それだけでも、いい人と再婚したってわかるわ」


 だが、それは壊れて使い物にならなくなった玩具たからものを、誇らしげに見せびらかすような、ズレた行為。


「もう、絶対に親子三人に戻ることはないんだなぁって、わかっちゃった」


 ――ああ、そうか。


 シアはわずかでも、もとに戻って欲しいと願い続けていた。

 でも、それが断ち切られてしまった。


「しょうがないよね。私のワガママだもん。ああ、でも違うわね。戻って欲しいなんて。最初から偽りだったんだから」


 親がどんなに考えたところで、子供が望むものと同じとは限らない。

 悲しいぐらいにすれ違ってしまうこともある。


 ――シアと両親のように。


「私は嘘を、大切に……とても大切にしてたの」

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