第119話 優しさを、悪女は恨む

「いや、だってご両親は仲睦まじかったんじゃ――」


 口元に静かな笑みをたたえたシアを見て、言葉が止まる。

 その疑問に答えるために、シアは笑みを作っている。


「――お父さんも、お母さんもいつも言っていたわ。

 『相手を立場になって考えて』

 『他の人に優しくしてね』

 『違う意見なら話し合いなさい』

 『きっとわかりあえるはずだから』

 ……ぜんぶ素敵な話ね」


 間違いなく正論。誰もが一度は言われたことがあることではないだろうか。


「実際、そうだと思うわ。こうしてヒツジくんと恋人同士になれたのも、ヒツジくんが私の気持ちを考えてくれたし、優しくしてくれた。明宮さんの時だって、ちゃんと話し合ってくれた。だからわかりあえたの」


 揶揄やゆや皮肉ではなく、シア自身本心から言っている。

 だが――


「じゃあ、そう言ってた二人は、どうして別れちゃったんだろうね」


 悲しい本心を、シアは吐き出している。


「どんな相手でも、きっとわかりあえるんじゃなかったのかな……」


 また、笑みを作る。

 愁いのため息を漏らしながら。

 正しいことだし、子に伝えければいけない『常識』だ。

 でも、成長するうちに気づいてしまう。残念ながら世の中、そんな『正しさ』だけで回っているわけではないし。

 合わない相手はどうしたっているし『わかりあえる』という善意につけこむ、下劣な奴だっている。

 どこかで折り合いをつけながら、正しさを理想に変えて生活していく。


「なのにさ。妙なところで実行してたのよ、うちの両親」

「妙なところでって……相手の立場になって考えた場合、相手も嫌だろうから、別れたってこと?」

「ああ、なるほど、そう言う考えもあったね」


 シアが苦笑いをする。

 そうであったのなら、どんなに良かったかと、その声音が囁いている。


「私の立場を考えてたの」

「シアの?」

「ええ、仲の悪い両親を見せちゃいけないから、私の前では仲睦まじくしよう――そう決めてたんだって」

「ああ……」


 『仲睦まじかった』というのはそこにつながるのか。


「優しいよね。子供のために、二人とも別れたいのに、ずっとずーーーーっと、偽りの仲の良さを見せてたの」


 子供のことを考えた結論なのだから、優しさだとは思う。


「いっそ、私が死ぬまでそうしてくれれば、バレなかったのにね」


 そう。知ってしまえば残酷すぎる優しさが。


「仲良くするのも、限界だったみたい」

「……それで、別れた?」

「……ん」


 首を大きく縦に動かし、シアが頷き目を伏せる。

 キュッと唇をかみしめている。


「私は……二人をずっとずっと追い詰めてたの……まったく」


 震えながら吐き出された自嘲は、呆れ混じりのわらいだった。


「なのに、自分は誰よりも幸せだって浮かれてた。両親が苦しんでいることに欠片も気づかないで、毎日ご機嫌に過ごしてた……あはっ」


 こらえきれなくなったのか、少しばかり甲高い嗤い声を上げる。


「……ホント、どうしようもなくばかで、悪い女よ」

「でも、シア、それは――」

「ええ、そうよ。私のための思ってのこと。感謝しないと。『苦しみながら、私をまともに育ててくれてありがとう』って、お礼を伝えるべきだわ」


 シアの笑みが消える。

 その奥に現れた表情は――空虚。


「なのに私は……『嘘つきめ、ふざけるな。そんな優しさなんていらない』と、恨んで憎んでるの」


 シアが放つのは、怒りよりも悲しみよりも、虚ろな夜闇のような表情かお


「ひどい女だわ……」


 枯れ葉のこすれるような乾いた声をシアは上げた。

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