12章 こうして彼女は悪女になった

第115話 覚悟なら、できてる

「……ありがと」


 しばらく抱きしめた後、シアがポンポンと俺の背中を叩いて、そっと離れる。


「あはは……なんか、恥ずかしい」


 俺を見上げて照れ笑いを浮かべるシアは、ようやく落ち着いた様子だった。


「別に恥ずかしがることでもないだろ。恋人同士なんだし」

「もう、そういうところ」


 シアが俺の鼻を人差し指でツンとして、ジト目になる。

 でも頬は赤いままだから、照れ隠しなのは丸見えだった。


「恋人って自覚してから、ヒツジくんは大胆になりすぎ。それじゃ、オオカミよ」

「シアは大胆な恋人の方が好きなのかと思ったけど」

「嫌じゃないけど、アワアワしてくれるヒツジくんも好きだなー」

「俺はアワアワしたくないんだが」

「ふふ、私も。ヒツジくんにアワアワさせられると悔しいし」

「それじゃ、お互い様だ」

「そーゆーことかぁ……」


 顔を見合わせて、吹き出す。

 妙なところで互いの共通点を見つけてしまった気がする。


「……ごめんね」


 果たしてなんの謝罪だったのか。


「謝ることはないだろ。さっ、お茶でも淹れるよ。喉渇いたし」

「あっ、それなら私が淹れるよ。お菓子も買ってきたし、お茶を飲みながらおしゃべりしよ!」

「それじゃ、よろしく頼むよ」

「うん、話すことも……あるだろうし」


 流しへと向かいながら、短くシアが言う。

 シアの事情について、避けては通れない――そんな空気をお互い感じていた。



   ◇


 紅茶の香りが部屋を満たしている。

 甘さや香ばしさとも違う。芳醇とでも形容すればいいのだろうか。

 ホッと心の休まる匂いだと思う。


 買ってきたクッキーやチョコレート、コンソメ味のポテトチップを広げて、のんびりと紅茶を飲んでいる。俺はそのままで。シアは砂糖とミルクを入れて飲む。


「ヒツジくん、コーラとか飲む割に、紅茶には何も入れないんだね」

「チョコとか、甘い菓子を食べるから、甘すぎるのはなー」

「男の人って甘いものは、女の子ほど好きじゃないって噂があるけど、それ?」

「人によるんじゃないか? 甘いものはやっぱ好きだし。でもまぁ、ケーキよりは肉かもなー」

「私はどっちだろ……その時が何腹なにばらかによって変わるかなー」


 『おしゃべり』と言った通り、シアが取り留めのない話をしている。


「あっ、それからさ――」


 会話が止まるとシアが、無理やり話題を作ってつなげる。

 もっと話さないといけないことがあるのはわかっているけど、なかなか言い出せない――そんな様子だった。

 だから俺も、急かすことなくシアと話す。


「…………」

「…………」


 でもいつしか、そんな会話も止まる。

 シアがチラチラとこちらを見て機会をうかがっている。


「……あーあ」


 何度か逡巡しゅんじゅんした後、ため息のような、少しばかり投げやりな声をシアが漏らし、こたつ机につっぷす。


「……いっぱい楽しむゴールデンウィークにしたかったのになぁ」


 嘆くようにシアが言うと、机に顔を乗せたまま俺を見上げる。


「楽しめないことはないだろ」

「だってさ。『あんな私』を見ちゃったら、ヒツジくん気になっちゃうでしょ」

「そうだな」


 立ち止まって家族連れを見つめていたシアの急な変化。

 それをごまかせないことは、シアもわかっていた。


「だったらゴールデンウィークを楽しむためにも、解決させないと」

「解決って……」


 ゆるゆると顔を上げ、シアが視線を泳がせる。


「無理よ」

「どうしてだよ」

「だって、それを話すってことは、私……その、ヒツジくんに……」


 いつもあっさり言うシアとは思えないほど、ためらった様子だ。

 まったく……『結婚』についてはあんなに堂々と言っていたのに。


「問題ない」


 だからこそ、今度は俺が堂々と語ればいい。


「覚悟なら、できてる」

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