第114話 抱きしめたい

「シア?」


 ドラッグストアの時と同じだ。

 今や浮かれた態度は欠片もなく、ただ眉をひそめ苦いものを口に含んだような顔をしている。

 シアの視線の先に、今度こそ『見つめるもの』は存在した。


 ――『家族連れ』?


 商店街を歩く人々の中に溶け込むようにいた家族連れ。

 父親と母親、それから小学生ぐらいの女の子。

 三人で仲良く手をつないで歩いている。

 背中だけしか見えなくて三人の表情はわからないが、足取りを見るに楽しそうなのは間違いない。

 微笑ましさはある。

 が、高校生の自分としては、ああいう仲睦まじさは照れが先行する。

 どうにも落ち着かない気分になってしまう。


 でも、シアの見つめる視線は微笑ましさや照れなどまったくない。


「……はぁ」


 短く嘆息――いや、愁嘆にも似たため息をもらし、俺の腕を強く抱きしめる。

 悲しみや辛さからはもっとも縁遠そうな景色なのに。

 どうして、そんな息を吐き出すのか。


「あ……」


 ハッとしたシアが俺を見上げると、ばつが悪そうにすぐに目をそらす。


「ご、ごめん! こっちだった!」


 俺の腕を引っ張ると、先ほどの家族がいる方角とは逆――いましがた来た道を戻り始める。


「服のこと色々考えてたら、通り過ぎちゃった。こっちにいいお店があるのよ」

「シア」

「ごめんね、連れ回しちゃって。イメージの目星は付いてるから、選ぶのはまかせて! 時間は取らせないから」

「シア」

「でも、試着はしないとねー。ヒツジくんにも評価してもらわないと!」

「シア!」


 強めに呼ぶと、シアが足を止めてうつむく。


「……なーに?」


 声音は軽い調子だったが、沈んだ色は隠しきれない。


「もう、ちゃんと聞こえてるよ」


 顔を上げたシアは、笑顔だった。

 だが、この笑顔を俺は知っている。


 笑顔という名の感情を、無理やり貼り付けた『仮面』だ。


「――帰ろう」

「え?」


 あの家族を見たシアが、どんな理由でこんな表情かおをするのかわからない。

 だが、このままにしておけない。


 恋人だから――違う。そんな役割や肩書きなんて関係ない。

 好きな子にさせたままでいい表情じゃない。


「で、でも、まだ買い物が……」

「別の日に来りゃいい。いつだって付き合う」

「だ、だからって……突然……」

「いいから」


 いつのまにか弱々しく俺の袖をつまんでいたシアの指。

 その手を握り、歩き出す。


「ちょっと、ヒツジくん!?」

「……買い物、どうしても今日行きたい?」


 引っ張られたせいで、慌てて俺に歩調を合わせるシアに問いかける。


「…………」


 手を引き一歩先を歩いているから、シアの表情は見えない。


「うぅん、まだ今度でいい……今度がいい」


 シアがぎゅっと俺の手を握り返して答える。


「そうそう。またデートなら、別の日にやりゃいい」

「デートの帰りに次のデートの話? 朝ごはん食べた後に昼ごはんの話するみたい」

「デートはいつだって別腹」

「うん、その通りだ♪」


 少しだけ、シアの声音にいつもの明るさが戻ってくるのを感じながら、まっすぐ帰路についた。



   ◇


「ただいまー」

「おかえり」


 部屋に入り『ただいま』の挨拶をしたシアに『おかえり』を伝える。


「はー、早足で帰ってきちゃったから疲れたね~」

「…………」

「手洗いうがいしたら、この後どうしよっか?」


 シアの口調はいつものように軽い。

 でも、愁いの香りは消えていない。


「抱きしめていいか?」

「えっ?」


 シアがポカンとした顔になる。

 当然だ。わかってる。自分でも何を言ってるのか。

 でも、叫び続ける心をそのまま伝えてしまう。


「抱きしめたい」

「ん……お願い」


 俺の意志を受け入れてくれたのか、それとも単に圧されたのか。

 シアが微苦笑すると俺の正面に立ち、肩の力を抜いた。

 シアの身体はいつも以上に華奢きゃしゃに思えた。


「ありがとう」


 思い切り抱きしめたら壊れそうな身体を、そっと抱きしめる。


 ――小さい。


 シアがくっついてきたのは何度もあるのに。

 今さらのように自覚する。

 イタズラっぽくて、いつも余裕そうだけど。

 自分と同じ歳の少女だ。


「……急すぎるよ、ヒツジくん」


 呟いたシアがホッと息をつき、背中に手を回し抱き返してくれる。

 

「でも、優しいんだから、まったく……」

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