第60話 相合い傘、近づく肩

 傘に当たる雨音が、ボツボツと呟き続けている。

 少しだけ傘を傾け、明宮が入る傘のスペースを広くする。


「あ……」


 明宮が俺を見る。


「濡れますから……」

「頭が濡れなければ、十分」


 傘がなかったらびしょ濡れだったのだから、肩が濡れるぐらい安いものだ。


「…………むぅ」


 とん、と明宮が肩を寄せてきた。

 肩がふれあい、思わず歩く足を止める。


「明宮?」

「……いけません。風邪を引いてしまいますから」

「あ、ああ……」


 想像以上に強い意思がにじむ声に、思わず頷いて歩き出す。


 歩くたびに肩と肩が何度も触れ合う。

 俺の方が少し高いが、身長がほとんど同じだから起こること。

 制服の肩が当たっているのだから、たいした感触じゃないはずなのに、こそばゆく感じてしまう。


「……明宮は、家、近くなの?」


 しばらく雨音の囁きを聞きながら歩いていたが、その無言を破って問いかける。


「いえ、電車で通学です。日辻さんは?」

「俺は、駅の近くだから、駅まで行ければいいや」

「…………」


 無言の視線を感じる。


「……ダメ?」


 思わず聞いてみる。


「はい。それでは、こうして帰る意味がありません」

「……そうかもしれないけど」

「家まで、送ります」

「でも、それも悪いよ」

「駅の近くでしたら、問題ないです」


 相合い傘をした以上、俺が必要以上に濡れることに納得できないらしい。


「……それじゃ、頼む」

「……はい」


 ホッとしたように頷いてくれる。


「なんか……ちょっとびっくりした」

「え? ……あっ」


 首をかしげたのもつかの間。

 自分の強い言葉に気づいたのか、すぐに頬を染めてうつむく。


「……ごめんなさい」

「謝るのは、違うって」

「あっ、ごめん……ううぅ」


 また謝りそうになってそのまま黙り込む。


「風邪引かないようにって心配してくれたわけだろ? 俺としては感謝しか無い」

「それは……」


 ためらいがちに、小さく頷く。

 『心配する』という行為が、偉そうな考え――そんなふうに思ってしまったのかもしれない。


 明宮は根本的に優しいのだと思う。

 話すのが苦手ではあるけど、他人のことを考えられないわけじゃない。

 むしろ、他人を思いやるからこそ、話す際に色々考えてしまうんだろう。


「きっとさ。皆とも普通に話せるようになるよ」

「え……?」

「はは、唐突すぎたな、我ながら」


 俺のほうがよっぽど口下手だ。


「ちゃんと相手のことを考えられる明宮だから……十分すぎるよ」

「……でしょうか?」

「保証する」

「…………」

「ま、俺の保証じゃ、頼りないか」

「そんなこと、ないです」


 首を大きく横に振った。

 意思を伝えるのは苦手でも、強い意思自体はある。


 まだまだ明宮のことわかってないんだなぁ……俺。

 でも、少しずつでもわかるのが楽しい。


「……とても、頼りになります」


 雨音の中、小声だったけど、しっかりその言葉は聞こえた。



   ◇


 そうやって歩いている間に、家の前まで来た。


「あ、俺の家、ここのマンション」

「……はい」


 マンションの入口の屋根のあるところまで、送ってくれる。


「ありがとう、助かったよ」

「いえ……よかったです」


 ペコリと明宮が一礼する。


「それでは」

「あっ、ちょっと待ってくれ」


 すぐ近くにある自販機で、ホットのミルクティーを買う。


「はい、これ」

「え?」

「あ、ミルクティー嫌い?」

「い、いえ……でも、送っただけなのに……」

「だけじゃないよ。おかげでほとんど濡れずに帰れたわけだし。お礼ってことで」

「…………でしたら」


 考えた末に、受け取ってくれる。


「ありがとうございます」

「こちらこそ。ここ真っすぐ行ったらすぐ駅だから」

「はい、だいたいわかります」

「本当に、今日は助かったよ」

「……お役に立てたのなら、良かったです」


 少しだけ、口元を緩ませてくれる。


「…………」


 普段のクールな表情も美人だけど、笑みはそれ以上に綺麗で、固まってしまう。


「さようなら」

「あ、ああ……また明日」


 きびすを返すと、空色の傘を開き、そのまま歩いて去っていく。

 雨の中でも、その青い傘は、まばゆいもののように思えた。

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