第59話 雨の中、傘一本

「えっ」

「ん?」


 俺の言葉に明宮が驚いている。

 何か変なことを、俺は口走った――?


「……名前」


 名前。


「……あっ」


 そういえば、思わず『明宮』と呼びつけにしてた。


「ごめん、なんとなく、つい……っ!!」


 いや『つい』ってなんだよ。言い訳にもなっていない。


「…………」


 頬にかかった髪を撫で上げながら考え込まれる。

 もしかしてこれは……馴れ馴れしいやつと引かれてしまった……?


「……いい、ですよ」

「へ?」

「どんな呼び方でも、いいです」


 囁くような声だったが、はっきりと言ってくれる。


「あ……じゃあ、明宮」

「はい」


 今度は意識して呼ぶ。すると明宮は、しっかりと頷いてくれた。



   ◇


 そんなホッとすることがあった日の放課後。


「うーわ……」


 空模様はホッとできる状況にはほど遠い、雨降り。

 灰色の空から、絶え間なく雨が降り注ぎ、道のあちこちに水たまりを作っている。

 朝のうちは陽が差していたので、甘く見ていた。


 カッパ、持ってきてないんだよなぁ……。


 このままダッシュで帰ってびしょ濡れになるか。それとも、バス停まで走るか。

 いやでも、バスがすぐ来なかったらやっぱり濡れるだけ。

 誰かに傘を借りるのが、手近な解決策か。

 まだ、校内に残っているヤツは――


「?」

「あれ?」


 スマホをいじっていたら、すぐそばに明宮が立っていることに気づく。


「お疲れさま、帰り?」

「はい」


 コクリと頷いた明宮が俺を見て首をかしげる。


「……?」

「いや、傘とか雨具とか忘れたから」

「あ……っ」


 はたと気づいた明宮が、いそいそと鞄をあさり始め、その底をじっと見てから肩を落とす。


「すみません……」


 どうやら折りたたみ傘を持ってきてないか調べてくれたらしい。


「いや、忘れた俺が悪いんだし、気にしないでくれ。誰かに連絡して借りるかなんかするよ」

「…………」


 明宮はしばらく考えると、自分の空色の傘を開いた。

 ワンタッチで開く傘が、ねずみ色の空に小さな青空を作る。


「……その、どうぞ」

「えっ」


 傘に半分だけスペースを作ったその状況。

 紛れもなく、相合い傘のお誘い。


 いやでも――そう言おうとして慌てて飲み込む。


「…………」


 傘を持つ明宮の手は小さく震えている。

 緊張しているのか、口元もキュッと閉じ、頬が赤い。


 ただでさえ、周りと接することが苦手な彼女が、恥ずかしさをこらえて提案してくれている。それを俺の気恥ずかしさで断って良いものだろうか。


「……じゃ、傘は俺が持つよ」


 明宮の傘を持てば、ホッとしたのか震えが止まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る