第54話 視線と、月餅

 非常口の扉は開いていて、明宮の背中が見える。

 空気は蒸しているが、扉を開けているおかげか風の通り道ができており、意外と涼しい。なるほど、昼食を食べるには悪くない場所なのかもしれない。


「明宮さん」

「っ!?」


 名前を呼ぶと、明宮がビクンと肩を震わせてから振り返り、俺を見上げる。

 膝の上にお弁当を置いて、食事中だったらしい。


「ごめん、食事中に」

「…………」


 無言で明宮は俺を見上げている。

 その顔は普段見るようなクールなものではなく、昨日見たときと同じ、目を見開いたものだった。


「あー……ちょっとだけいい?」


 ずっと見上げられているのも申し訳ない気がして、明宮の隣に腰を下ろす。

 明宮はその間も俺に視線だけ向けていたが、言葉を発することはない。


「…………」

「…………」


 あまりに無言なので次の言葉が継げない。

 外は相変わらずの雨模様。

 しとしと降る雨が、裏庭の地面にできた水たまりに絶え間なく波紋を作っている。雨音以外聞こえないこの場所は、ひどく静かだった。


「えっと……だな」


 その静寂を無理やり打ち破る。


「昨日は、ごめんっ」


 頭を思い切り下げる。


「盗み聞きするつもりはなかったんだけど、声が聞こえたから思わずそっちに行って……ああ、いや、何話してるんだろうな……とにかく、ごめん」


 言ってるうちに話がまとまらなくなってしまうが、それでも言葉を重ねる。


「けど、歌が良かったのは本心からで……! ほら、今、雨ばっか降っててジメジメしてるだろ。カッパ着て帰るの蒸すからめんどいなーって思っててさ、そういう時に歌が聞こえたから、なんていうか……ジメジメ感が消えてさ。だから――」


 言葉が途切れる。

 だから、なんだというのか。


「…………」


 明宮は俺を見つめると、二、三度目をしばたく。

 そして形の良い、ふっくらした唇を開ける。


「……謝らないで」


 か細く、それでもはっきりとした声。

 数回しか聞いたことがないのに、彼女の声はすっかり覚えてしまうほど綺麗で印象的だ。


「あ、ありがとう……」


 思わずお礼を返す。

 すると、明宮が小さく首を横に振った。


「あの、私、こそ――」


 ぐゅるるる……。


 俺の腹の音。昼飯食べずに、ここに来ていたから。


「あ……」


 恥ずかしさで頬が熱くなる。どうしてこんなタイミングに。


「とにかく、別に誰かに言うとか、しないから! そこは安心してくれ!

 それじゃ!!」


 もう一度頭を下げてから、その場から立ち去る。

 視線は感じていたものの、振り返ることはせずに、学食ヘと向かった。



   ◇


「パン、一つ……」


 なんとか確保できたのは、ピーナッツクリームを挟んだコッペパン一つ。

 空腹を満たすには、なんとも心もとない食事だった。


 とはいえ、自業自得。昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ったので、炭酸飲料で胃の中をなんとなく満たしてから自分の席に着く。


「あれ……?」


 次の時間の教科書とノートを取り出すと、指に覚えのない感触。

 何か入っている。


「……まんじゅう?」


 袋詰されたそれは、中央に『月餅』と書いてあるまんじゅう――いや、そのものズバリ月餅げっぺいだ。買った覚えはない。


「んん?」


 ふと、視線を感じて目を向ける。

 だが、誰とも目が合うことはない。


 でも、慌てたように教科書を開いて読むのは明宮。


「…………」


 思わずじっと見る。

 すると、おそるおそるという様子で、明宮が視線だけチラリとこちらに向ける。


 眼と眼が合う。


「っ!?」


 またすぐに視線をそらされた。

 ……ということは、この月餅は。


「……ごちそうさま」


 それだけ呟き、ありがたくいただくことにする。

 小豆とクルミの香ばしい味がする月餅は、小さいながらお腹を満たしてくれた。

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