第55話 空、晴れる

 あの日の一件から、ふとしたことがあると明宮に視線を向けていた。

 素直に言うなら『明宮のことが気になっていた』。

 でもそれは、惚れた腫れたといった甘いものからはほど遠い。


 彼女はいつも一人でいる。

 休み時間は文庫本を取り出して読み、昼休みになればそっと教室を出ていく。

 孤高と言えるかもしれないが、『ぼっち』とも取れなくもない。

 誰ともコミュニケーションを取れないから、そうしているような――そんな雰囲気もある。


 月餅をくれただろうお礼。

 そしてあの時、何か言おうとしていたこと。

 その続きを聞きたくて、また昼休みにあの場所へと向かう。


 今度はちゃんと素早くうどんをすすって腹も満たしているから、前回のようなことは起きないはず。



   ◇


 思ったとおり非常口には、明宮がいた。

 この前と寸分変わらず、腰を下ろしている。


「こんにちは」


 外に出ると、やはり聞こえる雨音。

 梅雨とはいえ、よくも毎日降るものだ。

 それでもここ数日の中では、一番、雲は薄くなっている気がした。


「あ……」


 見上げる前に、隣に座る。


「また、邪魔してごめん」

「…………」


 目を一度伏せてから、小さく首を横に振る。


「この前、月餅くれたのは、やっぱり明宮さん?」

「っ!?」


 ビクッと肩を震わせ、息を飲む。


「そうだったら頷くだけでいい」


 明宮はぎゅっと両目を閉じると。


「……っ」


 コクリと小さく頷く。

 確信した。

 彼女は話さないのではない。


「もしかして……話すのが苦手?」

「……っ」


 明宮が息を呑む。


「……いいよ、頷くだけで」


 もう一度伝える。

 ミステリアス――そう言われているが、その実。


「ん……っ」


 コクコクとまた縦に首を振る。

 それは、必死さすら感じられる。

 長身の彼女からは想像できない小動物のような動きだった。


「……私……わかってます」


 うつむいたまま明宮が、蚊の鳴くような頼りない声を上げる。


「こういう性格なので……避けられても、仕方ありません……」

「……え?」


 避けられてる?

 何を言われているのか、わからなかった。


「いや、違うっ」


 思わず口走ってから、自分の理解が追いつく。


 そうか。

 自分を含め、まわりは明宮を孤高の人で一人でいるのが好きだと考え、明宮の大人びた雰囲気に『大人』だと思っていた。

 でも、実際は俺と同じ高校1年。

 別に大人でもなんでもない。


「誰も避けてなんかいない。ただ、勘違いしてるんだけなんだ」

「勘違い……ですか?」


 明宮が顔を上げる。


「ああ、明宮さん、すごく大人っぽいから。こう……みんな遠巻きに見ちゃって……いや、俺もなんだけど……」

「……?」


 首をかしげられた。

 この人――いや、この『子』、もしかして自分の容姿が飛び抜けていることを、わかってないのでは……。

 そんなことがありうるのかと疑問になるが、周りに避けられてると勘違いしているぐらいだから、可能性は十分にある。


「みんな、本当は仲良くしたいんだ」

「そう……でしょうか」

「そりゃ、俺もこうして明宮さんと話せて、楽しいし」

「楽しい……?」


 よほど馴染みのない言葉なのか、きょとんとされてしまった。


「楽しいよ」


 明宮の意外な面が見れたことも、こうして話していることも。

 何か大きな変化の前触れ――そう思えてワクワクする。


「…………」


 また無言になって明宮がうつむく。

 でも、膝の上に置かれた手が、きゅっとスカートを握りしめる。


「…………他の」


 おそるおそるといった様子で明宮が俺を見つめる。

 長身なのに、丸まっているからか上目遣いになるのが不思議だった。


「他の人とも……話せるでしょうか?」

「ああ、俺と話せてるから第一段階クリアだ」


 なるべくはっきりと。今度は勘違いさせないように伝える。


「よかったらさ、俺も手伝うよ」

「…………」


 目をまたたき、俺を見つめる明宮に、大きく頷いてみせる。


「……ん」


 俺の意図が通じたのか、明宮も頷いてくれた。


「あっ」


 ふと気づく。辺りが明るい。


「空……」


 明宮の呟きに顔を上げてれば、雲の間から青空が覗いている。

 波紋の消えた水たまりには、キラキラと陽光が映し出されていた。

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