第30話 気持ちはいつも、口にして

「あ、おかえりー」


 パンを買って教室へ戻ってくれば、シアは自分の席の椅子に体育座りになりスマホをいじっていた。


「おまたせ」

「うぅん、コトちゃんに送るメールの内容考えてたら、時間経っちゃった」

「送れた?」

「うん、なんとかね……お腹空いたー」

「ほいほい」


 シアの隣の席を借りて、机に買ってきたパンを広げる。


「シアは焼きそばパンとメロンパンだったよな……あっ、あとお茶買ってきた」

「サイダーじゃないんだ」

「門井さんに話してないのに、カンパイするのは早いだろ」

「ふふ、それもそうね」


 シアが肩をすくめて、机の上のパンに手を伸ばす。


「あっ、ナポリタンのやつも買ってきたんだ」

「売ってたから――あ、シアもなんだな」

「えっ、なにが?」

「これの名前。俺も『ナポリタンのやつ』って呼んでた」

「そうそう! たまーに売ってるけど、よくわかんないよね」


 焼きそばパンの麺がナポリタンになったパン――『ナポリタンロール』とか『ナポリタンドッグ』とか名前はあるらしいが『ナポリタンのやつ』でだいたい通る。


「そっかー、それもあったんだー……」

「やらないぞ」

「えぇー、ここは半分この流れでしょ?」

「欲しけりゃ人の善意に頼らないで、ちゃんと口にするもんだ」


 シアは俺にそれとなく悟らせる行動を取ることがあるけど、むざむざ乗ってやるのも悔しい。


「恋人の気持ち、感じ取ってくれない?」

「シアは俺の想像を超えてるから、とてもわかったもんじゃない」

「あっ――」


 『ナポリタンのやつ』に熱い視線を送っていたシアが、弾けたように顔を上げて俺を見る。


「……だいたい、人間なんてどんな近しい関係だって言われなきゃわからないさ」


『――ね、ヒツジくん。私は想像を、超えた?』


 『キス』をされた時、シアがした問いかけの答え。

 そのことに気づいてもらいたいのだから、やっぱり俺も『恋人』に気持ちを感じ取って欲しいらしい。

 言ってることとやってることが矛盾してるなぁ……俺。


「そうね……だから私たちは言葉と態度と行動で気持ちを示すんだもんね」

「そんな大げさな話じゃないけど……ま、そーゆーこと」

「だったら、行動は――あーん♪」


 シアが小さな口を大きく開ける。


「へ?」

「『ナポリタンのやつ』食べさせて♪」

「いや、寝ぼけてるわけでもないのに?」

「ええ、でも恋人は、こうやって美味しいお昼ごはんを食べたいの。それとも、私からしてあげよっか?」


 ニンマリと口元を緩めてシアが挑発的に言ってくる。


「『ナポリタンのやつ』半分、ヒツジくんに食べさせてもらいたいなぁ……はい。これが私の意思。言葉にしたからわかるでしょ?」

「でも、それに応えるかどうかは別で――」

「あーん♪」


 俺の言葉なんてお構いなしに、餌をねだるヒナのように口を開ける。

 俺が『嫌だ』と言えばきっとあきらめてくれるとは思う。

 もっとも、『本当に嫌?』と訊いてきそうだけど。


「ふふん♪」


 いや、間違いなくそうしようと思っている顔だ。


「ほら、食べにくいからこぼすなよ」

「ありがと、ヒツジくんのそういうところ、好きよ」


 シアからこぼれ出た言葉に、思わず固まる。


「照れてる?」


 その一瞬を『恋人』は逃さず、楽しげに追求してくる。


「照れてるよ! ほれっ!」

「わわわ、まだ口開けてないっ」

「そこまで面倒持てるか」

「ふふふ、はーい……はむっ♪」


 シアが慌てながらも、笑みを漏らしてかぶりつく。


「はぁ……このケチャップの味がイイよねぇ……あむっ」

「そっちから、かぶりつくのかよ」

「恋人に手間をとらせてばかりじゃいけないからね……はむむっ」


 こっちは持っているだけで、シアがひたすらパンにかぶりついてくる。


「……なんか餌やりっぽい」

「もう、言われようねぇ……っとと、麺が……っ」


 シアが食べた拍子に、パンのすき間からナポリタンが引っ張り出され、こぼれそうになるので慌てて手で受け止めた。


「そりゃ、そんな食い方してたらな」

「あは、ちょっと行儀悪すぎね……反省反省」


 シアがティッシュを取り出し、自分の口元を拭う。

 シアの唇についていたケチャップが真っ白なティッシュに拭い取られ、弾力のある唇がぷるんと震えた。


 ――さっき唇が知ってしまった感触を、今度は目で知ってしまう。


「あら、どうしたの?」


 シアがぺろりと舌なめずりをして見せる。

 キスをした後と、同じ動き。


「視線、感じるよー♪」

「……シアが見せつけるからだ」

「そりゃ、恋人が意識してくれるなら、活用しないとね」


 本当に。どうしてシアは平然としていられるのだろう。

 シアにとってキスはそんなに軽いものなのか。

 それとも、キスしたこと以上に俺の反応が楽しいのか。


「ねぇ、ヒツジくん。そんなに気になるならさ」


 シアが人差し指で、自分の唇をツンツンと叩いてみせる。


「――もう一回、味わってみる?」

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