第5章 『恋人』の居場所

第29話 キス、嬉しかった?

「シア……?」


 名前を呼ぶ。

 辛い料理を食べたわけでもないのに、唇が熱い。

 でもヒリついているわけじゃない。

 ヒリついているのは喉であり、遅れて早鐘のように鳴り出した心臓だ。


「ええ、なぁに?」


 俺と重ねた唇を動かし、シアがこともなげに言ってのける。


「今の……?」

「嬉しかった?」

「え?」

「嬉しかった?」


 もう一度、シアが問いかける。

 俺を見下ろす形になったシアの口元に視線が向いてしまう。

 シアの唇の端は上がり、妖しさのある笑みに彩られている。


 『なぜ?』という疑問と『熱い』という感情がないまぜになり頭を埋め尽くす。

 顔だけじゃなく、体もカッと熱くなっている。


「……そりゃ」

「『そりゃ』なぁに?」


 優しい口調なのに曖昧な言葉も逃しはしない。そんな雰囲気があった。


『一瞬でわからなかった』

 ――嘘だ。刹那でもはっきり感触は覚えている。


『いきなりで、わからない』

 ――嘘だ。突然でもふれあった行為は脳裏に刻まれている。


「……良かった」


 色々な感情がたかぶり続けるが、自分の中から湧き出た言葉をそのまま口にする。


「私だから、良かった?」

「えっ」

「コトちゃんにされても、同じぐらい嬉しい?」

「い……いや、門井さんのことを知らないんだから、嬉しいも何もないだろ」

「ふーん」


 シアが探るように俺を見つめる。

 その瞳の強さに、思わず目を背ける。


「ねぇ、それじゃ私よりされたい人は、いる?」

「えっ?」


 その言葉に一度そらした視線をシアに向ける。

 シアは俺が目を背ける前と、まったく変わらない瞳で俺を見つめていた。


「私より、キスされたい人は――キスしたい人はいる?」


 俺の唇を奪い去った唇を使って、シアが問いかける。


 ――シア以上にキスをされたい、なんて――


「……わからない」

「そっか、『わからない』かぁ」


 フッとシアの瞳の力が緩まる。

 口元が緩み、どこか優しさの感じる笑みへと変わる。


「……まだまだ。まだまだ、ね」

「へ?」


 俺の疑問には答えず、呟いたシアはまた椅子に腰掛ける。


「私、コトちゃんの部活終わりを待って、話してから帰るね」

「……あ、話すって、俺たちのこと?」

「ええ、改めてちゃんとね。あと、付き合い始めたことを話さなかったのも、謝らないと」


 さっきまでのことは、まるでなかったかのような話し方。

 見下ろし――キスをした時にあった妖しさは消えていた。


「そのほうが良いと思うんだけど、どうかしら?」

「ああ……それが、いいと思うよ」

「でしょ? だから先に帰ってくれて大丈夫。帰り道ならわかるから問題ないわ。道を覚えるの、けっこう得意なの」


 先に帰れということか。

 これ以上ふれるなという意思なのだろうか。

 それとも別の理由か。


「そっか」


 シアの言葉に頷き、荷物をまとめて立ち上がる。


「シア」

「うん」

「昼飯、何にする?」

「え?」

「部活終わるまで時間あるんだから、昼飯食べないとお腹空くだろ」

「それは……ええ」

「じゃ、購買のパン買ってくる。希望がなければ適当になるけど」

「じゃあ、焼きそばパンと……メロンパン?」

「了解」


 軽く手を振り教室を出る。シアは戸惑ったように目を開いたまま、俺を目で追い続けていた。


「ふぅ……」


 廊下に出て、ひと息。

 軽く、唇にふれてみる。

 何ということもないいつもと同じ感触。

 でも、確かにシアの唇がふれた場所。


「……ったく」


 考えるだけで、またドキドキしてくる。

 この一件にシアがふれないとしても、忘れるなんてとてもできない。


「シアが俺を好き……?」


 そうでなければ、この行為キスはなんだったのか。

 実感がわかない。俺とシアは『恋人』。

 でもそれは、俺の歪な心残りとエゴが生んだ関係。


 だからこの『恋』はもっとのんびり進むものだと思っていた。

 シアを徐々に知っていき、そして好きになる――そう考えたのに。

 シアは『恋人』として接して――強い好意を向けてくる。

 

 「そんなの、想像を超えてるに決まってるだろ……」

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