第8話 『恋人』は、おねむ

 春休み中にクリーニングへと出していたブレザーに袖を通す。

 なんの変哲もない制服だが、着ればとりあえず学校に行こうと思うから不思議だ。

 ネクタイも締め、高校へ向かう準備は完了。

 朝食は昨日買っておいた惣菜パンとコーヒー牛乳で済ませるつもりだ。

 お財布事情を考えたら、料理もしないといけないが、朝は時間ギリギリになることが多いから、手抜きにもなる。


「シア、朝メシ食べる?」


 パックのコーヒー牛乳を冷蔵庫から取り出し、ベッドの上で丸まっている毛布の塊に声をかける。


「うー、んー……あー……」


 毛布からぼさぼさの黒髪があふれ、寝ぼけ眼のシアの顔が覗く。


「たべる……」

「顔、洗ってきたら?」

「うー……」


 俺の言葉に、毛布にくるまったままヨロヨロと流し台へと向かう。

 どうやらかなり朝が弱いらしい。


「んー……」


 顔を洗って戻ってくるが、相変わらず目はほとんど閉じたまま。

 毛布にくるまったまま、ぺたんと腰を下ろしたシアは、意識も半分寝ているようだった。


「ほい、コーヒー」

「あんがと……」


 そのままだとこぼしそうなので、コーヒー牛乳にストローをさしてシアに渡す。

 ゆるゆるとコップを受け取り、やや舟をこぎながらひと口。


「大丈夫?」

「あさは、いつもこんなかんじ……はぁ、美味しー……」


 ホッと満足気にひと息つく。

 昨日は大人っぽかったのに、今のシアはどこかあどけない。

 そんな様子に頬がゆるみつつ、朝食として買ってきたアンパンとコロッケパン、そしてコーンマヨパンをこたつ机の上に置く。


「好きなの食っていいぞ」

「……コロッケのやつ」

「了解」

「あーん……」


 コロッケパンを差し出そうとしたら、シアが口を開ける。


「へ?」

「食べさせて」

「なんで?」

「ねむいから……くちうごかすだけでせーいっぱい……」

「ええー……」


 ものぐさにもほどがある。


「ヒツジくん、私の恋人なんでしょー?」

「……そうだけど」

「だったらこーゆーのは、きっとふつー……問題なし……あーん」


 むにゃむにゃとしたまま、また口を開けた。

 目を覚ましてから食べるという選択肢はないらしい。


「わかったよ……」


 恋人というより使用人扱いをされてる気がしたが、コロッケパンの袋を開けて差し出す。


「あー……はむっ、あむっ、もぐもぐ」


 俺にあーんをさせることで、からかってくるのかと思ったがそんなこともなく、ただコロッケパンにかぶりつき、寝ぼけたまま食べている。

 こうなると、運命的に出会った美少女という面影はカケラもなく、動物を餌付けしているみたいだった。


「美味しー……」


 肩透かしのような、今まで見た雰囲気と違うことが新鮮なのか……。

 これも『恋人』の新たな一面、ということなのか。


「もぐもぐ……んくっ。んー? なーにー?」


 シアと見てることに気づいたのか、俺に顔を向ける。

 でも、相変わらず瞳はほとんど閉じたままだった。


「いや、シアは学校行く準備、しなくていいのか?」


 高校二年だと言っていたし、近隣の高校はどこも今日が始業式のはずだ。


「ん~……あむっ」


 またひと口、パンを食べながらシアが考え込むが、眠くてうとうとしているようにも見えた。


「……ま、しなくてだいじょーぶ」

「……そっか」


 家出中だから、学校に行こうと考えてないのかもしれない。

 何も聞いてないが事情あって泊まったわけだし、別に強制する気もない。


「食い終わったら俺、出るから」

「そっかー、気をつけてねー」

「で、これ渡しとく」


 シアの前に、鍵を置く。


「えっ」


 しょぼしょぼしていた瞳がぱっちり開く。


「この部屋の鍵。もし買い物とかで出るなら開けっ放しだと不用心だし」

「……いいの?」

「そりゃ――あ」


 そうか。

 『泊めて』とシアは言った。

 でも、一晩過ごせればいいと思って、シアが俺の提案を受け入れた可能性をまったく考えてなかった。

 となれば、ずっとシアがいると勘違いしたこの行動は、明らかに痛々しい。


「あー……家に帰るんだったら、閉めた後で鍵、郵便受けの中に入れといてくれ」

「えっ、帰る? どうして?」

「いや、そう思っててもおかしくないし……」

「むぅ」


 シアが眠気を完全に取り払ったジト目で俺を見てくる。

 目元のほくろの大人っぽさもあいまって、ものすごい非難の視線だった。


「ヒツジくん、私の純情をもてあそんだ」

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