第6話 からかう彼女は、気まぐれ猫
「ベッドふかふかね。新しいの?」
シアが楽しげに俺の顔を覗き込む。
磨き抜かれた黒曜石のような瞳が、見透かすように俺の顔を映し出す。
「一人暮らしのいい機会だから……って、もう座ってるじゃん」
「ふふっ、硬いことコト言わない。恋人の距離としてはなかなかでしょ」
肩と肩がふれあいそうな距離。明らかに近い。
ふんわりと鼻先をくすぐる、シャンプーと石けんの匂い。
俺が普段使っているシャンプーなのに、なんだかいい匂いがする。
「う……」
シアのことを何も知らないと思ったが、すでにわかったこともある。
こちらが照れる姿が楽しいのか、シアは距離を急に詰めてくる。
狙ってやってるのは、間違いない。
『恋人』として遠慮なく接してくれているのか――
「やっぱり座っちゃダメだった?」
「別に。ベッドで寝てもらうつもりだったし」
「え、いいのに。床に寝るよ」
「俺が床で寝る。彼女に良いとこ見せたいと思うのは、恋人のエゴなんだろ?」
「ほー……」
瞳を一度瞬いて、じっとシアが俺を見つめてくる。
「無理してないからな」
さっき吹き出されたし、こういう発言はいわゆるクサイ台詞なんだろうか。
「……ん♪ 恋人がそう言ってくれるなら、ありがたくベッドで寝させてもらうね」
大きく頷いたシアが仰向けにベッドへ寝転ぶ。
「はー………ふふ、ごくらくごくらく。このベッドを占領していいなんてヒツジくん、太っ腹」
そのままゴロンとうつ伏せになると、俺の脇腹をツンツン。
「ちょっ、くすぐったいだろ」
「くすぐりたかったからー♪ でも、やめまーす♪」
からかってきたかと思えば、あっさり引き下がる。
行動が読めない猫みたいだ。
「てっきり恋人だから同じベッドで寝ようって話になるかと思ったけど、そんなことなかったね」
「え、シアはそれでいいのか?」
「うん、いいよー」
流れるように肯定すると、ちょいちょいとシアが俺を手招きする。
うつ伏せでそんなことされると、ベッドに押し付けられ主張される胸の谷間。
思わず視線が吸い込まれそうになるが、急ぎ目を背ける。
「クスッ、どうしたの?」
上機嫌な笑顔にピンときた。
「なんだ、冗談か」
「え? 冗談なんて言ってないよ。私は一緒に寝るの、ぜんぜん嫌じゃないし」
「えぇ……あっさりしすぎだろ。俺が節操ない人間だったらどうするんだよ」
「どうもしないよ」
「へ?」
「ただ、身を任せるかな」
……なんというか。
シアはこういう時、驚くほどさばさばとした態度になる。
「私、ヒツジくんのしたいことを否定する気はないの。恋人だもの。
さ、どうする?」
「……床で寝る」
「ん。わかった」
微笑んだままシアが頷く。
俺が断ることを見越しての発言だったのか。
俺のしたいことを本当に受け入れてくれるのか。
……わからない。
もっとも、この『恋人』はわからないことだらけ。
どうして家出しているのか、誰を公園で待っていたのか、泊まるためとはいえ、俺の告白を受け入れてくれたのか――すべて謎だ。
訊けば答えてくれるのか?
「なぁに、私の顔じっと見て。照れちゃうでしょ」
「ん……シアがずっと楽しそうだから」
……結局、訊くのはやめた。
事情があるのは間違いないし、素直に答えてくれるとも思えない。
なにより訊けば『何か』が壊れてしまう――そんな想いがよぎっていた。
「もちろん! お泊り、ワクワクしない?」
「特別感はあるな」
「そうそう! 私、誰かの家にお泊りしたことなかったから」
「そうなのか?」
「あー、私があっちこっちに出入りしてると思った?
ひどいなぁ。初めてよ、こんなことするの」
「いや、なんか慣れてそうだし」
「えー、今、緊張ですっごくドキドキしてるのに。心臓の音、聞いてみる?」
「え」
俺の心臓がドキリと大きく鳴る。
シアの胸。
心音を聞くなら、そこに触れる――
「――あ、でも」
「へ?」
「こういう恥じらいのない行動は、ヒツジくん好みじゃなかったね」
「うっ」
そう言われてしまうと、さわるという選択肢は消失する。
「ふふふー♪」
俺に見せる笑顔は無邪気そのもの。
シアの本心はどうであれ、この気まぐれ猫の行動にしてやられている。
「……風呂入ってくる。シアは自由にしてて。飲み物なら冷蔵庫に入ってるから自由にどうぞ」
「はーい♪」
シアの楽しげな声を聞きながら、風呂場に向かった。
――そして、風呂から上がってみれば。
「すぅ、すぅ……」
ベッドの上で、シアが寝息を立てていた。
丸くなって眠る姿は、やっぱり猫のように見える。
「まったく……警戒心なさすぎだろ」
ここまであけすけな態度だと、こちらも毒気を抜かれる。
シアに毛布をかけ、電気を消し、床に引いた布団に寝転がる。
引っ越し一日目。
一人暮らしが始まるかと思ったら、思わぬ居候――『恋人』が転がり込んだ。
「くぅ……すぅ……」
こんな身近に聞こえる女の子の吐息。
ドキドキするのに、安らかな寝息を聞いていると不思議と力が抜けた。
「……おやすみ」
そっと伝えて目を閉じると、意識がゆったりと眠りの空に広がっていった。
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