証言者 002 ≪ 懊悩する男
■ 練馬春陽高校の体育教諭
がごぽん。
問題だと思わないわけでもない。しかし、これはあくまでも書類上の問題なのであり、小渕博史を
(まぁ、煩わされていないといえば嘘になるが)
なるほど、書類上の問題なのだから、該当書類と相対している時の小渕は煩う。いくらかは煩うのである。が、煩うことも彼の仕事のうちなのだし、煩わない仕事を探すほうが難しい社会なのだし、要するに煩うのは当然のことなのだから、やはり「問題児」という観念に逃げこむべきではない。毅然と職務をまっとうすべきである。
がごぽん。
それに、グラウンドから聞こえてくるあの音を清音と聞くか騒音と聞くかによっても、職務に係る心構えは容易に変容するというもの。要するに、そういうことである。
(そもそも問題児だと思ってはならない。まして教育者であるのならばなおさらに)
いまだ立派な教育者であると自負したことはないが、しかし自ら志願して叩いた高校教師の門。仮に問題視することはあれ、だからと問題児として扱ったのでは
(要するに、そういうことだ)
がごぽん。
泳ぎたくなる青空である。煙のように揺らめく灼熱の地上であり、憧れのまなざしを天へと向けるばかりの真夏である。しかし、どれだけ仰いでも我が身は涼まず、むしろ精神衛生は悪化の一途。この夏のほうこそ、差別も
しわしわしわしわ──蝉たちが命の弦を爪弾いている。点呼を取るまでもない絶望的な数である。鬱憤の足で樹木を蹴って全員を鳴き止ませるには明らかに自分の寿命のほうが足りないとわかる。潔く諦め、聞かなかったことにするのが人類に残された唯一無二の納涼手段であると悟る。
がごぽん。
うんざりと項垂れながら校庭を横断。すると、視界の右端に『昇龍館』の勇壮な面構えが映りこんだ。剣道場と柔道場を2階部に擁し、6本の太い鉄柱に支えられる吹き抜けの1階部には土俵が盛られてあるという、当校自慢の武道館である。
わずかに視線をあげる。ぼッ、ぼッ──恰幅のよいふたりの相撲部員が、ハーフパンツにティーシャツという軽装で鉄砲を打っている。蝉時雨を
がごぽん。
(精が出るな)
体育教師の小渕である。まだまだ三十路だし、まだまだ生徒に
とはいえ、
(それならそれで別に構わないのだが)
小渕の青春のバトンはとっくに教え子たちへと受け継がれている。もはやなにも思い残すことはないはず。むしろ、彼らの苦悩や苦闘もまた成長の兆しとして、喜んでいてしかるべき身の上である。
なのに、
(俺はなにを欲張っているのか?)
我が体力の衰退や青春の結末とは別次元のところで、哀しいかな悩める日々である。
がごぽん。
問題だと思わないわけでもない。しかし、これはあくまでも書類上の問題なのであり、小渕を煩わせるという意味の、精神上の問題ではない。
(そんなことはわかっている)
しかし、厄介に思っていないのかと言えば嘘になってしまうこともまた事実。そしてその事実が、ごくごく普遍的な問題視であるとする確証に乏しいこともまた事実。
がごぽん。
確かに、あの少女の天賦の才を認めているからこその懊悩ではある。そこに余談はない。しかし、現実を鑑みれば、結局は自分に好都合な綺麗事の懊悩でしかなくなってしまう。
(才能を認めていても制度を変えられるわけではない──というロジックに直面してしまう以上、いくら悩んだところで、結局、悩む姿をアピールしようとするナルシシズムに他ならなくなる)
結局、いち教諭に過ぎない小渕にはなにもしてあげられないのだから。腕を組んで黙って見守ることぐらいしか手段がないのだから。義務教育下にはない、それが高等学校の宿命なのだから。
がごぽん。
あの軽妙な音へ近づけば近づくほど、彼の懊悩は深みを増していく。体育教官室へと帰投したくなり、しかし教育指導者としての正義がそれを赦さず、だからこうして牛歩戦術を許している。遠慮なく背後から追い抜いてグラウンドへと向かっていく若人たちを横目に、図らずも重役出勤の威厳を演じてしまっている自分にホトホト呆れ果てながら。
(どうしたものかな)
色鮮やかなジャージの背中を眺める。バトンを託した、未来ある背中である。尊重すべき青春の大海を泳いでいる背中である。無駄に終わらせてはならない背中である。
もはや小渕にとっては
がごぽん。
「カントク?」
校庭とグラウンドとを結ぶ緩やかな坂道、顎を重たくしてあがっていると、前方から声がかかった。顔をあげて確かめるまでもない、円やかなこの声は、男子サッカー部の3年生マネージャー、
「今日、ビブって要りましたっけ?」
いつものことながら、高校生らしからぬ大人びた風情が、体育大学時代、出会ったばかりの頃の妻をほうふつさせる。
がごぽん。
「いや。今日は走りこみだから要らん」
「あれ? ミニゲは明日でしたっけ?」
うっかりうっかり──照れ笑いを浮かべながらグラウンドへと引き返していく。大人びているのに大局的なところで抜かりのある微笑ましさもかつての妻に似ている。今や、1日に1時間も顔を向けなくなった愛妻である。
がごぽん。
(あの少女があっての今なのだろうか?)
溜め息を吐きながらようようグラウンドに立つ。サッカーゴールや器具倉庫、体育祭専用の雛壇に囲まれる、恵まれた土のグラウンドである。また、緑色のフェンスに隔てられた向こう側にはハンドボールコートとテニスコートが備えられてある。
すぐ目の前の朝礼台で、さっそく忽那がストップウォッチと記録メモの用意をはじめている。その左隣には、グラウンドのほうを向いたまま、1年生マネージャーの
がごぽん。
「チナ。動いて!」
「はは、はいッ!」
まばゆい
かたわらには1年生マネージャーの
オリジナルプログラムだと、ひと目でわかる。
事実、チームメイトである他の男子部員たちは、みな、グラウンドのまん中に几帳面なサークルを描いている。同じ深さで股関節を伸ばしている。
がごぽん。
前倣えの日本人的な仲間たちを無視し、少女は少女で、水色と朱色を几帳面に重ね続けている。気持ちのよい音色をテンポよく奏で続けている。
中空を飛ぶのは清掃用の水色のバケツ、それが、ホバリングを錯覚させる無回転の放物線を描き、がごぽん──5m先、朱色のカラーコーンの頂にすっぽりと重なる。すると、すぐさまにかたわらの十が拾いに走り、抱えて戻り、再び少女の足先に寝かせる。そしてそれを、すぐさま少女が蹴りあげる。
がごぽん。
右足の先をバケツの口に挿し、カラーコーンに被さるよう
がごぽん。
百発百中、少女がしくじることはない。
(自由にやれと許したのは俺だが)
朝礼台にお尻を寄りかからせ、毎度の腕組みをして小渕は見守る。どこで手に入れてきたのか、どうせ他のクラスから勝手に拝借してきたのだろうバケツの軌道を黒目で追いかける。
がごぽん。
(いずれ喜多見さんに怒られるかもな)
仮に破損させたとしても、新品を発注するのは彼ではない。用務員の
(なぜボールではなくバケツなのだ)
すぐ脇にある運動器具倉庫の中には腐るほどのサッカーボールが眠っているのである。なのに、なぜ他のクラスのバケツを盗用するのか。
(思い通りにはならない少女だ)
この少女を乗り越えた時、もしや世界有数の優良教育者になっているかも知れないと妄想してしまう。それほどに気を揉む少女である。
がごぽん。
とはいえ、あの百発百中の高等テクニックを目の当たりにしては、ただただ見守るばかりが関の山。乗り越えるどころかいまだに麓も麓。
(果たして問題視で済んでいるのだろうか?)
がごぽん。
世間という額縁の中では、あの少女は問題児であると評価される生徒なのかも知れない。なるほど、見ての通り、チームの輪に混じらず、そもそも「男子サッカー部」という定義にさえも与せず、きっぱりと額縁を食み出している。世間から問題児あつかいを受けたとしても
しかし、こと教育指導者の倫理においては、安易に「問題視」を「問題児」へと転嫁してはならない。前者が前向きに取り組もうとする姿勢を司っているのに対し、後者は逃げや諦めの言い訳に過ぎないのだから。
教育指導者ともあろう者が、逃げてはならない。諦めてはならない。教え子の個性を「問題児」という安易な3文字で切り捨ててはならない。
そうは思うものの、
(俺は、ちゃんと問題視できているのだろうか?)
胸に手を当てて考えてみる。が、腕組みの手に伝わってくるのは疲れて弱々しい鼓動のみ。
がごぽん。
問題だと思わないわけでもない。しかし、これはあくまでも書類上の問題なのであり、小渕を煩わせるという意味の、精神上の問題ではない。
(そうであると信じるしかない、のか……?)
当高校の男子サッカー部、その創設から数えて初となる紅一点の部員が、監督である小渕の考案した練習プログラムをきっぱりとボイコットし、今、ひた向きに汗を流している。
(あぁ。長い夏になりそうだ)
しわしわしわしわ──蝉時雨のピークはまだまだ
がごぽん。
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