証言者 003 ≪ 地雷を踏んだ男

 




■ 練馬春陽高校2年3組の生徒

  二宮にのみや 成紀なるき ── Said





『あーあ。お兄ちゃんはさ、ホント幸せだよねママに似てさ』


 父親の面影が遺伝してしまった妹の地雷を踏むのはたやすい。


 人相のことはもとより、表情のこと、メイクのこと、髪型のことまで、およそ首から上の状態をレビューすればたちまちのうちに爆発する。


『髪型は個人の努力だろよ』


 反論しても後の祭。


『この顔だよ? この顔がベースにあっての髪型なんだよ? わかってんの? いいや、ぜんぜんわかってないねその顔は。相も変わらず整った顔しちゃってさ、髪型で悩んだことなんて1度もないんでしょうね。起きてすぐに無造作にブラシとか入れちゃって、テキトーにマットかなんかで撫でちゃって、大して鏡を見もしないでペペッてやっちゃって、今日もウゼェとか言いながら西武池袋線を目指しちゃってるんでしょ? わかる。わかるよ。わかってる。この不細工な妹はすべてお見通しなんだから』


 そして冒頭の放言へと続く。


 小学6年生の、自虐的な女である。


(ペペッてなんだ)


 お世辞にも美人とはいえない妹のことを不憫に思わないでもないが、なにしろ性格までヒネくれているので面倒くささのほうが先に立つ。だから、兄妹喧嘩がクライマックスの気配を帯びるよりも前に、いつも二宮成紀は退散する。


『結局、中傷の言葉もかけられないほど絶望的な妹ってことなのね。大丈夫。あたしはこうやってお兄ちゃんの背中を見ながら生きてくんだから。ママに似た美しい背中を見て、この醜悪な猫背を呪いながら生きてくんだから大丈夫』


 腹式呼吸のできている黄色い自虐を背中に浴びながら退散するのである。


(ホント面倒くさい)


 それでも、1度だけ、二宮は妹に対して情けをおぼえたことがある。


 一昨年だったか、夏休み明けの始業日のこと。人目もはばからずに号泣しながら彼女が帰ってきた。母親が慌てて尋ねると、半狂乱の妹、こう叫んで部屋に閉じこもってしまったのだという。


『どうせあたしは保護対象でしかない女なんだぁぁぁ!』


 さすがにこの時はクエスチョンマークを頭上に浮かべるばかりだった。


 後に判明したことだが、夏休みの間、父親の仕事の関係で南アフリカの自然保護区を見学してきたという男子クラスメートに、その感想を妹が尋ねたのだそう。それこそ、嬉々として、前のめりになって、どんな野生動物がいたのかと。


 するとその男子、ワクワク感を隠せない彼女に向かって、ぶっきらぼうに言い放った。


『オメェみてぇのが一杯いっぺぇいたよ』


 瞬く間もなくショックを受けた妹、まずは脊椎反射の平手で彼の頬を殴打、泣きながら教室を飛び出し、間もなく教室へとUターン、いまだ頬を押さえて悶絶している彼の頭頂部テンプルにランドセルの角を落とし、左の太ももの外側を膝で蹴りあげると「鹿の餌になってしまえ!」という呪詛じゅそを吐き、再びランドセルの角を落とすと改めまして教室を飛び出していったのだそう。


(鹿)


 草食動物の餌になる難易度を想像するのと同時、二宮は、もしや妹は彼に恋心を抱いていたのではないかと想像した。この時、彼女は小学4年生、しかも物心がついた頃にはすでに己の遺伝子を呪っていたほどの少女──となれば、想い人への告白に背を向ける動機は充分にあったと思うし、しかし、好きだという気持ちにはどうしても蓋をしきれない年頃でもあろうし。


 どれだけ始業日を心待ちにしていたのかと想像すると、兄としての、いや、人類としての情けを禁じ得なかった。


 だって、妹も女である。確かに「少ない女」と書いて「少女」であり、小学生とくればなおさらに少なさを命題テーゼとしてしまうのかも知れないが、しかし「少しでも女であればどうしたって女である」という真実だけは決して揺らがない。どんなに不細工な妹であろうとも、告白を諦めるほどの自虐的な人間であろうとも、未熟な少女であろうとも、彼女は女である。そりゃあ、始業日を心待ちにする気持ちが踏みにじられたのでは同じ人類として忍びない。


 いつの間にか記号で測れなくなっていた妹は、ちょうどその事件の日を境にして、ますます自虐性に磨きをかけていった。ますます偏屈な、ますます饒舌じょうぜつな、兄を退ける地雷へと変容していった。


(ああいう女がいちばん面倒くさい)


 家族の縁故を盾にしつつ、女性的な自虐のキャノンをブッ放してくる妹である。そんな白鷺城のようなパーフェクトな布陣を敷く女は現在のところ彼女しか知らないのだが、だからこそ今のうちに「絶対になびくまい」と自己啓発して止まない。


(俺は、ああいう女には絶対に靡かない)


 あんな女とつきあうぐらいならばまだ鹿の餌になるほうがイージーである。


(……イージーか?)


「ピクシーだよ?」


(人体を鹿煎餅せんべいに加工するためには──)


 両腕を枕にし、机に深々と伏せたままエゲツない食育に思いを馳せてみる。


「知ってるよね、ピクシー?」


(臭みを消すために味噌で煮込む必要がありそうだ)


 誰のアイディアか知らないが、校庭側の窓のすべてにカーテンが引かれてある。いまだ太陽は中天に燃えているだろう時間帯だが、どうやら陽射しを遮蔽しゃへいして涼を得ようとする計算のようである。しかし教室内に熱が籠ってむしろ暑い。


(さすがにボイルは勘弁してくれ)


 ちゃんと窓を開けておいての遮蔽術なのか気になるところだが、残念ながら確かめにいく気力が湧かない暑さである。


(あぢぃ)


「なにぃ!? 知らないだと!?」


 いったいどんな盲目的多幸感のピークにある生徒が黒板の文字を消したのか、教室の中央、二宮の席までチョークの乾いた匂いが漂ってきている。しかも、黒板に爪を立てたかのような不快感さえも鼻孔に漂う始末。斯様かように、触覚を嗅覚のうちに感じるぐらい生命の慌ただしい真夏である。


(もう)


「あのドラガン・ストイコビッチだよ!?」


 蝉時雨が聞こえてこないので、


(死ぬかも)


「なぜ知らない!?」


 たぶん密室である。


(たのむ)


「元ユーゴスラビア代表にして名古屋グランパスエイトを育んだ闘将だよ!?」


(誰か)


「ピクシーだよ!?」


(窓を開けて)


「ピクシー・イズ・グランパスエイトといっても過言ではないんだよ!?」


(ください……ってか元気だなぁ詩帆しほさんは)


 どうやら女子の輪の中に踏み入って熱弁を振るっているようなのである。しかし、女子を相手にしてストイコビッチの話題はいかがなものかと思って止まない。


(相変わらずタフな人だ)


 男子生徒でさえもその英雄の現役時代を知っている者など皆無に等しかろうに、よもや女子の中から共感を得られようはずもない。


 しかし、は問うのである。きょとんとしているだろう今時の女子たちに、少女は味噌煮込みうどんのような熱弁を振るう。


「知らないとは何事かッ!?」


 なにをどうミキシングすればストイコビッチの話題に転じられるのかがわからない。いちおう「風が吹いたから儲けたくなったのでは」と納得してみる。が、実はプロセスなどどうでもよいことである。ニンジン畑で稲作を推進させようとする少女の無頓着さのほうが問題なのである。


 どのみち風も吹いていないのだし。


なぎの砂漠で稲穂の頭が垂れりゃ地球は安泰か破滅かのどちらかだろうよ)


 そして二宮はこうも思う。


(でも、詩帆さんは地球ごと項垂れさせてしまう人だ)


 エコではなくエゴな少女なのである。


 しかたがないのである。もはや諦めるより他に算術はなく、黙して拝聴するより他に戦術がない。それこそ、ヘタに共感しようものならばなおさらに喜々とされ、およそ半日以上に渡って同じテーマを浴び続けることとなる。理解のリの字にもおよばない、苦行の滝を。


 かくいう二宮も、以前、共感するという地雷を踏んでしまったばっかりに、


(ジーコ、リトバルスキー、レオナルド、シジマールと続いた)


 シメはリネカー批判。


 Jリーグの基礎である名将の歴史が語られた。さすがの二宮とはいえ、名前とポジションしか知らないような歴戦の英雄ばかりである。それを、同い年の、しかも女子から持ちかけられるという不条理。


(……シジマール?)


 少女は、確かミッドフィルダーのはずである。よもやゴールキーパーにまで好奇心の幅を利かせているとは、聞かされる側にしてみれば実にハタ迷惑なフットワークの軽さである。


(しかし、詩帆さんはそういう人だ)


 勝手に不条理を背負わせる少女。しかし、誰にも文句のいえない少女。永遠の心意気でサッカーを愛し、加えて、全人類も愛していると思いこんでいる少女。


 そう、不条理な少女なのである。


 生け贄である女子生徒たちもなかなかにわきまえているもので、さっきからずっと沈黙している。沈黙するどころかせきを立てることもせず、きっと、ものわかりのよい顔で耳を傾けている……かのような体裁をキープしている。


 この少女には女らしさがひと欠片もない。しかも、自虐性の欠片もない。


 似たような趣味嗜好で盛りあがりたい、自分をおとしめて耳目を集めるようなセルフネガティブキャンペーンはうんざり──という心理学を抱える男子からしてみれば、非常に好ましいエレメントで築かれている少女なのである。


(にも関わらず)


 面倒くさいと思ってしまう二宮である。


(この違いはなんだろう?)


『あーあ。お兄ちゃんはさ、ホント幸せだよねママに似てさ』


 妹の常套句を思い出す。自分を卑下することで結果的に相手を非難する、高難度なことをサラッとやってのける女、とても厄介な女をである。


(女だと思わなかった頃はそれほどでもなかったんだけどなぁ)


 件の「オメェみてぇのが一杯いっぺぇいた事件」こそ、二宮の妹像を激変させた出来事だと思う。ひいては、女であることを認識することの面倒くささもまた、この頃から培養されていったように思う。


(男にとっては、もしや女という概念そのものがすでに地上最凶の地雷なのかも知れない)


 ならばなぜ、二宮はこうもあの少女に対して苦手意識を抱いてしまうのだろう。ああも男前で、女性的なトリックを好まず、正々堂々として潔く、いったん決心すれば頑固一徹で、好戦的で、挑戦的で、つまり多くの男子にとって願ったり叶ったりの少女なのに、なぜ。


(うむ。わからん)


 しかし、すでに二宮の潜在意識は知っている。感じている。悟っている。


 この苦手意識など、しょせんは詭弁きべんの意識だということを。


 すべてが詭弁である。


『少しでも女であればどうしたって女』


 そう、解答こたえはすでに出ていた。


 二宮は今日もまた、少女の楽しそうな熱弁を背中にヒシヒシと刻骨こっこつしながら、密かに苦手意識へと転嫁している。


「ピクシーのね、あの、あの、そう、あの小倉オグへのダイレクトラストパスはね、あれはね、もう、もう、もう伝説なんだよッ!?」


「シジマールの日」以降、1度も不条理の地雷を持ちかけられていないというを、今日もまた。





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