第10話・過集中とお兄ちゃん

 霧雨署を出た2人は、夕闇に染まる霧雨市を歩いていた。玲奈は凪に直してもらった仮面をつけてベルトの締め付けを調整する。


「全く平和な1日がバカのせいで大きく崩れたな。おかげで挨拶回りが明日へ繰り越しだ」


 玲奈の隣で凪は、残念そうな顔でそう言いながら住宅街を歩いていると、2人の姿を住宅のブロック塀の上から狙う影がいた。


???「凪お兄ちゃーん!」


 突如後ろから玲奈より幼そうな少女の声が響き、凪は振り向くとブロック塀の上からこちらへ向かって飛びおりたのか? 黒のタンクトップに色褪せた黒のジーンズの半ズボンを穿いており、肩まで伸びた黒髪を凪のように紅の帯で結った小学生ほどの可愛らしい顔をした女の子が、八重歯がはみ出る無邪気な笑顔で凪に向かって飛びかかってきた。


 突然の奇襲に対応できなかった凪は「オワアアアアア!」と驚きの声を上げながら少女にドターンと押し倒された。


「やっぱり凪お兄ちゃんだ! こっちに帰って来たって言うの本当だったんだ!」


 突如、凪に襲い掛かった少女に、玲奈は困惑しながらも妹にしては似ても似つかないため冷静に「妹なんていたっけ?」と凪に尋ねる。


 凪は少女を押しのけながら起き上がり、玲奈に少女の事を紹介した。


「妹分の賀来郷(かくごう) 暤(しろ)だ」


 そう紹介しながら凪は暤の頭を右手でナデナデすると、玲奈から視点では八重歯のはみ出た無邪気な笑顔を浮かべる暤に髪の色と同じ色の犬耳とパタパタと左右に大きく揺れる尻尾が見えたため、玲奈は心の中で「子犬系女子?」などと思う。


 2人は立ち上がりながら久しぶりの再会に、凪は暤に「にしても数年見ない間に随分と背が伸びたな? 初めて会った時は110cmぐらいしかなかったのに……」と懐かしそうにそう言う。暤と凪の身長の差は頭ひとつぐらいで凪との身長差があまりない玲奈でも体格的に暤が中学生でもないことが解る。


「今は150cm! 凪お兄ちゃんに言われてお風呂上りに牛乳コップ一杯を必ず飲むようにしてるからね」


 暤はそう言って玲奈を興味深々な目で見て凪にこんなことを尋ねた。


「ところでこの人は凪お兄ちゃんの彼女さんなの?」


 突然の義妹による爆弾発言に玲奈は、ボッと自身の顔が茹で蛸のように真っ赤になって頭頂部から湯気が吹きだすのを感じた。


「いいや、先週学校で会ったばかりの他所の街から来た魔祓い師で、今日は街の案内をしてるだけだ」


 凪はそう否定すると、暤は「ふーん」と言って玲奈に自己紹介を始める。


「賀来郷 暤! 小学5年生で凪お兄ちゃんの妹分です」


 仮面で表情が見られていないとはいえ、玲奈は動揺しながらも平静を装いつつ名乗った。


「日比谷 玲奈だ。凪の監視役兼クラスメイトで「異能風紀委員」に所属している」


 3人は再び歩き出し、玲奈は暤に凪との出会いについて尋ねた。


「凪とはいつからの付き合いなんだ?」


 その質問に対して暤は先程の無邪気な笑顔で答える。


「7歳の時に病院でお兄ちゃんに助けてもらったの!」


 玲奈は暤の言葉に対して疑問を口に出す。


「病院で助けられた?」


 玲奈の疑問に対し、凪が説明する。


「暤はアスペルガー症候群の過剰集中症でね。別件で病院に来ていた俺が症状が出ているコイツを見つけて、その病院に勤めている知り合い医者の名前を書いたメモを渡したんだ」


・解説「過剰集中症とは?」

 アスペルガー症候群のひとつで読んで字の如く。過剰に集中した状態のこと……聞くだけでは「あれ? それだけ?」と楽観するだろう。

 しかし、人間の集中力の持続時間は45分、訓練で120分まで伸ばすことが可能だとされているが、過剰集中症はこれを更に上回り、例を挙げると国語辞典を食事もトイレも睡眠すらもせずに読み終わるまで続けてしまうため、心身へ大きなダメージを与える原因にもなる。

 それによって受けるダメージの例は虚脱または鬱状態で過集中→虚脱または鬱状態→過集中→虚脱・鬱状態のサイクルが続く。


 玲奈は医者ではないため、あまり詳しくは解らなかったがなにより凪の知り合いにそう言った専門医がいたことに驚きだった。


「そうなのか……ところで凪はどうしてそんな医者と知り合いなんだ?」


 玲奈の質問に対して凪は、特に表情を変えることなく「俺もそうだったからだ」と答え、その時のことを話す。


「初めてそれに気づいたのは当時の暤と同じぐらいの頃だ。何故かは覚えていないが、外国語の勉強に興味を持った俺は親に頼んで初心者向けの英会話のテキストを買ってもらい、それをたったの数日で覚えて、それから中級者・上級者と続けて買ってもらって、それを部屋でやっている時に夕飯時になっていくら呼んでも来ないことに疑問に思ったお袋が、半ば無理矢理に病院へ連れて行って診断した結果、過剰集中症だと診断された。ちなみにその頃には通訳ガイドもびっくりするぐらいに英語が話せるようになってたよ。その治療も含めて、その医者の紹介で師匠と出会って「氣功術」の修業と「過剰集中症」をコントロールするための訓練を受けて今に至るわけだ」


 それを聞いた玲奈は暤を見て「コントロールするってどうやるんだ?」と凪に尋ねると凪は難しそうな顔で答える。


「まあ、過剰集中症は集中する時に起こるものだからな。俺もひとりでコントロールすることは出来なかったから最初の頃の訓練では集中して戻れなくなった時に師匠に目の前で手を叩いて貰ってた。それからは自分で集中しすぎないように強く意識しながら集中して、戻れなくなったと判断されないようになるまで同じことを繰り返したな」


 凪の言う「過剰集中症」についての理解がしっかりできてない玲奈は頭の中に様々な疑問が飛び交うが、それを気取られてしまったのか「まあ、詳しくはネットで見た方が早いな」と凪に言われてしまい、グサッその言葉が矢のように頭に突き刺さった。


「ちなみに暤が妹分になったのはそれがきっかけなのか?」


 話題反らしのつもりで玲奈はそう尋ねると凪はそれを否定した。


「いいや? 最初は俺の事を「師匠」って呼び始めたのが始まりで俺もその呼び方は嫌だったから兄貴分呼ばわりしてもらっているだけだ」


 凪のことを「師匠」と呼ぼうとしていたことに玲奈は思わず「ブフッ」と吹いてしまい、凪は「何が可笑しい?」と尋ねると玲奈は笑いを堪えて、治まってから話す。


「いや……まさか最初は「師匠」と呼んでいたとは思いもしなかったからだ」


 玲奈はそう答えると凪もその時のことを思い出しながら「まあ、当時の俺もまだ修行中だったからな。流石に弟子を取る気は無かったし」と懐かしそうにそう言った。

 そして凪はふとあることを思い出して暤にその話を振る。


「そう言えば亜由美たちから聞いたんだが、暤! なんでも「異能探偵」の登録をしてランキング10位に入ったらしいな?」


 凪にそのことを聞かれた暤は「そうだよ♪ まだ「異能探偵」としては活躍する気は無いけど、少しでもお兄ちゃんに近づきたくて登録だけさせて貰ったの!」と答えると凪はポスッと右手で優しい威力の空手チョップを暤の頭に打ち込んでこう言った。


「だからといって年齢制限がかかっている「異能探偵」の登録に無理矢理登録するんじゃない! まだ「仕事」はしてないと聞くまでどれだけ心配したと思ってる?」


 そう暤を叱ると暤は、ショボーンと悲しそうな顔をして肩を落とす。


(異能の力を持っているのか……一体どんな能力なんだ?)


 興味があった玲奈だが、三叉路入ったところで暤が「じゃあ、あたしこっちだから! またね!」と言って逃げるように別れてしまい、聞き損ねてしまった。


 再び凪と2人きりになり、気づけばもう辺りは暗くなっていて、道を照らす光が街灯だけになっている。


「それにしても可愛らしい妹さんだな。私も一人っ子だが、あのような妹分や弟分がいないから羨ましいよ」


 玲奈はふと凪にそう言うと凪は少し困っていたことを口に出す。


「とんだおてんば娘だけどな。俺とメリーが「おしゃれをしろ」って言っても聞きやしない。タンクトップに半ズボンだぞ? 今の玲奈の方がよっぽどお洒落だ」


そう言われた玲奈はあることを思い出す。


「そうだ! 出かけるための服が他にも必要だったんだ。出来れば「仕事用の服」が欲しい。学生服では「補導されやすい」し、この服は……嫌いじゃないが「仕事に不向き」だ!」


 玲奈はそう言いながら羽織っているカーディガンの端を指でつまんでパタパタと揺らす。この街で生まれ育ったこともあって凪に心当たりがある。


「なら俺のオススメの店に連れて行ってやる。そんな亜鉛合金の模造刀剣よりもマシな業物だって取り扱っている店だ。ちょっと値段が張るが品揃えは一級品だ」


それを聞いた玲奈は明日の天気も晴れて欲しいと思うのであった。

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