6 恐怖と臭さとオタグッズ

 藤井と市川が同時に目を丸くする。

 やっぱそうなるよな。


「……俺、小さい頃からアニメやラノベに登場する二次元のキャラクターが好きで、三次元の女の子とか見ても、どうしても『二次元の方が可愛い』って思うようになっちゃったんだ。だから、三次元の異性を好きになったことが無いんだ」


 二次元のキャラクターを『俺の嫁』と称するオタクをよく見かけるが、俺のはそれとは少し違っていた。

 一応二次元と三次元の違いについては心得ているつもりだし、いくら自分が脳内お花畑な妄想を抱いていたとしても、自分が恋した二次元のキャラクターには絶対に届かないことも分かっている。

 しかし俺は、俺自身で三次元の異性に魅力を見出せなくなっていた。

 二次元のキャラは崇高で、尊い存在だ。

 それは三次元の女の子には到底到達できない域に達している。

 二次元より劣っている三次元を愛する理由が見つからない。

 これが、普通よりかなりひねくれたオタク、間宮伊鶴の導き出した答えだった。


「うわー……」


 ってあれ?

 予想通り市川は引いてるけど……藤井はなんか、顔全体に浮かび上がっていたいやらしいオーラが完全に取り払われ、邪念の一切を取り払われたイケメン眼鏡男子……名付けて『きれいな藤井』に変貌していた。


「流石だな伊鶴。俺、初めてお前に同情するぜ……」


「な、なんだその憐みの目は。俺はただ」


「言うな。もう何も言うな。これ以上地雷を踏まなくていい……」


 藤井は俺の肩にポンと手を置いてそう言った。


「これから俺と市川で、三次元の魅力ってやつをお前にレクチャーしてやるからな。将来ちゃんとした人間になるために。な、市川」


「え? あ、そ、そうね。そんな考えのまま大人になったら色々マズそうだからね」


 引きこもりゲーマーと留年生が何を言っている。


「な、伊鶴。ゆっくりでいいんだ。これから三次元の女子の素晴らしさを学んでいこう」


「お、おう?」


「変な事教えないでしょうね、まったく」


 市川が引き顔のまま腕を組んで小さくぼやく。

 まぁ、俺としても三次元の魅力について教えてくれるというならぜひ教えてほしいというのが本心だ。

 このまま大人になって、人ひとり愛せないようじゃ結婚もできない。

 流石にそれは避けたいので、今はこの『きれいな藤井』の言うことに従おう。


「とまぁ、伊鶴のキモオタっぷりが発揮されたところで」


「キモオタ⁉」


 酷い。

 よく見るといつもの藤井に戻ってるし。

 短かったなー、『きれいな藤井』


「そもそもなんで夏希は座り込んじまったんだよ。それが知りたくて近づいたってのに、伊鶴のオタ話に花咲かせただけじゃねぇか」


「あー、それはな」


「伊鶴君が櫂君と話してた内容を教えてくれなかったのよ」


 俺の言葉を遮って代わりに藤井に説明する市川。

 その藤井はというと、頭上に無数の?マークを浮かべていた。


「なんでそっから市川が顔真っ赤にして座り込むことになるんだよ」


 ごもっともです。


「いやー、俺がちょっと市川のことをツンデレって言ってからかったらそれが予想以上にダメージが大きかったみたいで……」


「あぁ、なるほどな。まぁ、夏希がツンデレってとこには否定はしないが」


「嘘⁉」


「あんまり女の子いじめるもんじゃないぞ? 伊鶴」


「あぁ。悪かったと思ってる。でもあんなに顔真っ赤にするなんて思ってなかったし……」


 俺がため息をつきながらそう言うと、藤井は市川と目を合わせながら「やれやれ」と口にする。


「まぁ、お前がどう思おうと勝手だけどな。夏希のその赤面は、単にお前にツンデレっていじられたことだけが原因じゃあなさそうだぜ?」


「藤井、それってどういう」


「よし、この話はおしまいだ。流石にこれ以上は夏希が可哀想に思えてくるからな。で? 夏希は俺たちが話してた理由を知りたいんだっけ?」


「そ、そうなのよ! 私が聞いてあげるって言ってるのに、伊鶴君全然話してくれないのよ」


 どういう訳かまたもや顔を赤くした市川が目に涙を浮かべながらそう言った。

 こいつ、表情豊かというか、忙しい奴だな。


「そりゃ多分お前の言い方の問題だろ。素直に教えてくれって言えばいいのに、また変な言い回しをしたんじゃないのか?」


「う……」


 う……じゃねーよ。


「やっぱそうか。夏希は変なところでプライド高いからな。伊鶴はこの部活に入ったばっかだからよく分からないと思うが、夏希は若干素直になれないところがある。だからまぁ、その辺は大目に見てやってくれ。あまりいじって泣かれても困るしな。はは」


「あぁ。それは今回でよく分かったよ」


 そう言って嘆息する俺。

 まさか市川がここまで涙もろいとは思いもしなかったし、色々と誤解を招くから早く直していただきたい。


「素直になれよ。夏希」


 市川に何か諭すように優しく語りかける藤井。


「うぅ……分かったわよ。伊鶴君、さっき櫂君と何話してたのか、教えてくれない?」


「はぁ……最初からそう言えよ。って言ってもこの話、単純に市川苦手そうなんだよな……」


「苦手?」


 俺の言葉に市川が首をかしげると、その体の陰から見たことのある女子小学生がひょっこり顔をのぞかせた。


「夏希ちゃんの苦手なものって言ったら、お化け以外ないよね!」


「うわっ……宇佐美、どっから沸いたんだよ……」


「だって、掃除してるの唯だけだし! なんか三人とも喋ってるだけだし!」


「あー、そりゃすまん。ほれ、飴玉やるから機嫌直してくれ」


 ぷんすかと可愛らしく腹を立てる宇佐美に、ポケットから飴玉を取り出して渡す藤井。


「うん! 直す!」


 元気よくそう言いながら飴玉を受け取り、口の中に放り込む宇佐美。

 こいつの機嫌は飴玉一つで左右されるのか。


「便利だろ? こういう時のために俺のポケットには常に2、3個の飴がストックされてるんだ」


「……俺、本気で宇佐美の将来が心配になってきた」


「まぁな。夏希の頑固さと唯ちゃんの素直さを足して2で割ったら丁度いい感じになりそうなんだが……」


「確かに……」


 俺と藤井が二人でうんうんと頷き合っていると、


「それで、夏希ちゃんの苦手そうな話って?」


 実に美味しそうに飴を舐めながら宇佐美がそう言った。


「宇佐美の推察通り、お化けがらみの話だ」


「嘘でしょ……」


 市川は絶望的な表情を見せるとすぐに、藤井を睨みつけた。


「んな目で見るなって。別にからかったりしねぇから。つーか、この件に関しては俺もぞっとしたしな。はは」


 藤井は笑いながらそう言っていたが、あの藤井がぞっとしたという事実に、宇佐美と市川は顔を見合わせていた。


「俺と伊鶴は、さっきまでこのカメラについて話してたんだ」


 藤井は飴玉が入っていたのと逆のポケットから黒色デジカメを取り出した。


「お前、それちゃんと目立つところに置いとくんじゃなかったのかよ」


「心配すんな、後でちゃんとその辺のベンチにでも置いておくから」


「ねぇ、そのカメラって……」


 カメラをまじまじと見つめてそう言う市川。

 その顔は、少し怯えているようにも見えたが、それは仕方のないことだと思う。

 もともとお化けがらみと公言している上に、カメラと言えば立派なホラーグッズ。

 怖い系が大の苦手である市川には、このカメラにどんな写真が残っているのか察したはずだ。

 と言っても、俺たちが見た感じでは何も写っていないのだが。


「さっきそこの草むらで拾ったんだ。んで、遊び半分で中身を見てみたら……な、伊鶴」


「そこで俺に振るのかよ。えと……正直言って、ほとんど何も写ってなかった」


 俺がそう言うと、市川は安堵の表情を見せ、宇佐美は元気よく手を挙げた。


「はい! 何も写っていないなら、怖くなんかないと思います!」


「その通りだ唯ちゃん。確かに、このカメラの中に入っている写真はどれも真っ暗闇ばかりで正直何が写っているのかもよく分からない。でも、この写真全部が丑三つ時に撮られてるものだとしたら、ちょっと怖くないか?」


 カメラを軽く操作して各写真ごとの撮影時刻を表示し、藤井は市川と宇佐美にそれを見せた。


「日付は一週間前なのね……時刻は午前2時から10分以内……タイミング的にはジャストじゃない……撮影者は何考えてるのよ……」


 青い顔をしながら震える声でそう言う市川。


「そんなもの決まってるだろ? お化けの撮影をしようとしたんだよ」


「やっぱりそうよね……」


「しかも、俺と伊鶴でさっき確認したら、この写真全部がこの公園で撮られたものだってことが分かった。これが意味することは一つだけだ。勘のいい市川ならもう分かるよな?」


 怯える市川に怪しげな笑みを浮かべながらそう言う藤井。

 市川はさらに顔を青くし、宇佐美は藤井が何を言いたいのか分からないのか、首をかしげていた。


「この公園のお化け退治の依頼……イタズラじゃないかもしれないのね……」


「正解だ。流石は夏希」


「ちょっと! 唯には何のことかよく分からないんだけど⁉」


 説明がないまま話を進める二人に、顔を膨らます宇佐美。


「まぁまぁ、小学生にもわかるように説明してやっから」


「だから唯は小学生じゃないってば!」


 もはやテンプレとなっているこの下りに藤井は笑いをこぼすと、


「いや、つまりな……」


 と、俺や、恐らく市川の考えていることとまったく同じ説明を宇佐美にした。

 そして宇佐美は理解が進むと同時に市川に負けないくらい顔を青くしていったのは、藤井の人の恐怖を駆り立てるような話し方のせいというのも、無いわけではないだろう。


「何それ……超怖くない?」


「だから言っただろ? 怖いって」


「うん……」


 藤井の話を聞き終わるころには宇佐美は完全にいつもの元気を失い、意気消沈していた。

 この事から分かったのは、藤井を含めない他三人は比較的お化けに弱いという、今夜お化け退治に向かう予定の集団にあるまじき事実だった。


「「「「……」」」」


 そして静まり返り、顔を見合わせる俺たち。

 きっと、ここにいる全員が俺と同じ考えを抱いたのだろう。

『本当にお化け退治の依頼を受けるのか』ということを。


「……なぁ、とりあえず公園清掃に戻らないか? 一応これも依頼なわけだしさ。お化けについてはまた後で考えるとして……な?」


 静けさが漂い、再び悪い空気になることを恐れた俺がそう切り出すと、藤井が「フッ」と笑いをこぼす。


「まぁ、そうだな。俺たちの単位取得のためにも、掃除だけはちゃんとやらないとな」


「私としては、できればお化けの話はもうしたくないんだけどね。気分悪くなってきた」


「唯もちょっと……ねぇ、早く掃除終わらせて休憩にしない?」


「そうだな」


 それから俺たちは掃除を再開し、ごみ袋無駄に広いキリン公園内を這いずり回った。

 そしてあらかた綺麗になるころには全員のごみ袋はいっぱいになり、ついでに俺たちの疲労度メーターも満タンになった。

 驚きだったのが、糞担当の藤井の袋まで割としっかり詰まっており、ものすごい悪臭を放ち、藤井本人からも良くない臭いが漂っていたことだ。

 しかしこれで、この公園で遊ぶ子供たちが糞を踏んで絶望感に打ちひしがれることはなくなるだろう。

 まぁ、今回でこの公園の清掃はめったにやらないことが分かったので元通りになるのは時間の問題だが。


「よっこいしょっと。あー疲れたー」


「あぁ。うわ臭ぇ……」


 誰がこのごみを捨てに行くのかという題目のジャンケン対決の結果、前回1位、2位だった俺と市川が敗北し、一人二つずつパンパンに膨れ上がったごみ袋を持ちながら近くのごみ捨て場にやってきていた。

 最初は四人で持っていけばいいと思ったのだが、藤井が「二人で十分だろ。俺は面倒だから行きたくねぇ」などと言い出したのがきっかけで俺たち全員にその面倒臭いという心が伝染し、誰もごみ捨て場に行こうとしない中、宇佐美からジャンケンが提案されて今に至るというわけだ。

 藤井の異臭を放つ袋をどっちが運ぶかということで負け組の俺と市川の間でもジャンケンは勃発し、案の定俺が敗北した。

 まったく、これほどまでに自分の『ジャンケン弱人類』のレッテルを恨んだことはない。


「伊鶴君臭い。ちょっとしばらく近づかないで」


「お前、臭いって異性から言われて一番傷つく言葉だからな?」


「だって事実じゃない。犬の糞みたいな臭いがするもの」


「そりゃまぁ、犬の糞持ってたわけだしな」


 まさか犬の糞持っててカレーの匂いがするとは思うまい。


「それに伊鶴君ってリアルな人間に興味が無いんでしょ? だったら何言われても別に気にしないんじゃない?」


「恋愛対象として見てないだけだ。貶されたり、悪口言われたりしたら俺だって傷つくよ」


 実際、小さい頃俺の趣味が周りに認められなくて、いじめられたことがある。

 その時は登校拒否になりかけたが、爺さんにほとんど無理矢理学校に連れていかれた。


「ふぅん。結構面倒くさい性格してるのね」


「それは自分が一番よく分かってるよ」


「リアルの女の子を好きになる気はないの?」


「……努力はしてる」


 この場合の努力というのは、二次元に勝る三次元の女の子を探しているという意味なのだが、そんな子が現実世界に存在しているはずもなく、俺の努力は完全に無駄となってしまっていた。


「……そう。努力が実るといいわね」


 憐みの目を俺に向けながらそう言う市川。

 今日はやたらとこのタイプの視線を浴びている気がする。


「さて、公園に戻りましょうか。唯や櫂君が待ちくたびれてるわ」


「はは。だろうな」


 あくびでもしながら「遅いなー」とか「遅いねー」と二人で言い合っているのが目に浮かぶ。

 俺たちは回れ右してきた道を引き返す。

 と、その時、市川の制服から何かが落ちた。

 市川は気づいていないようだったので、俺はそれを拾い上げる。

 そしてそれが何なのか確認すると、俺は絶句した。


「こ、これは……!」


 俺の手に握られていたのは一つの小型キーホルダーだったが、俺が声を上げてしまったのは、その存在の異常な価値を知っていたからである。


 10年前に放送されたアニメ、『魔法少女リリィ』、通称『まじょりり』。

 それはコアなアニメ好きの間ではもはや伝説と呼ばれる作品で、これまでにない面白さと作画の美しさを誇っていたが、どういう訳か途中で打ち切りになってしまい、誰もが楽しみにしていたエンディングは闇へと葬り去られた。

 その『まじょりり』の主人公、リリィ・フェイカーのメイン装備であるマジカルステッキを模した小型キーホルダーが、とあるイベント限定で配布された。

 イベントには全国の『まじょりり』ファンが集まり、あっという間にそのキーホルダーは品切れとなったのは言うまでもない。

 後に『まじょりり』史上最も入手困難な伝説的グッズとなったのだ。

 俺もそのイベントには参加し、確かにキーホルダーは受け取って自分のカバンに付けていたはずなのだが、どこかで落としたのか、いつしかキーホルダーは俺のカバンから姿を消していた。

 

 そんな激レアグッズが、今俺の手の平にあるわけだが……どうして市川がこんなものを?

 もしかして市川も『まじょりり』のファンだったりするのか?


「どうしたのよ。しゃがみ込んだまま動かなくなっちゃって」


 市川がキーホルダーを拾ったまま停止していた俺に声をかける。


「いや……市川がこれ落としたから……」


「あ……!」


 俺がキーホルダーを手の平に乗せて見せると、市川はすぐに俺の手からキーホルダーを受け取り、スカートのポケットの中にしまい込んだ。


「……見た?」


「……ごめん、見た」


「……そう、別にいいけどね」


「……なぁ、お前『まじょりり』知ってるのか?」


「へ? あ……まぁ……一応……」


 俺の問いに顔を真っ赤に染め上げて返事をする市川。

 その顔には、どことなく申し訳なさが表れていた。


「そうだよな。そんな激レアグッズ、ファンじゃないと持ってないよな」


「ファンっていうか……その……人に勧められて」


「それでもいいじゃんか。それに、そんなグッズも集めるようになったら、正真正銘のファンだよ」


「集めるって……!」


 この時、なぜか市川は驚きの表情を見せた。

 なんでだ? ファンとしてグッズを集めるのは当然のことだろ。


「伊鶴君……一応聞いとくけど、あなたは……このキーホルダー持ってたの?」


「へ? あぁ、持ってたよ。一応な。ただ、無くしちゃって今は持ってない」


「無く……した……?」


 俺の『まじょりり』ファンとしての力量を試すような質問に、本当のことを言って答えると、一気にがっかりしたような表情になる市川。

 そうだよなぁ……ファンとしてレアグッズを無くすなんて、言語道断だもんな……。


「はぁ……そうね。10年も前のことなんて、覚えてるわけないか……」


「何か言ったか?」


 市川の蚊の鳴くような声を聞きとれなかった俺が聞き返すと、


「別に何もないわよ‼」


 怒鳴られ、そっぽを向かれてしまった。

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