5 二次元バカは恋をしない

 有名な話。

 つまりそれは、多くの人に知れ渡っているという話だということだ。

 そうなると、市川には非常に申し訳ないが、子供のイタズラという線は消えてしまう。

 なぜなら、ちょっと特殊ではあるものの、たかが一高校のボランティア部を騙すために子供が『キリン公園にはお化けが出る』という、話だけでは誰も信じないようなデマを広げるとは考えにくいからだ。

 俺の入部前に藤井や市川が何かやらかして子供から物凄い恨みを買っていたらどうか知らないが。


「ちょっと伊鶴君。こっち燃えるゴミが結構あるから来てくれない?」


「あー、了解」


 少し離れたところで燃えないゴミを集めていた市川に呼ばれた俺は、藤井に「そのカメラ、目立つところに置いとけよ」と言い残し、その場を離れる。

 藤井は小さく親指を立て、了承の意を俺に示した。

 良かった。

 藤井はどうやらキリン公園のお化けに興味津々のようだったからカメラを持ち出そうとしないか心配だったが、流石にその辺りの常識は心得ているか。

 それに、一応あのカメラの中身は全て確認したが、お化けらしき存在は一切写っていなかった。

 だから藤井としても、あのカメラは用済みなのだろう。

 俺としてはそんなおっかないもの、写ってなくて本当に良かったと思うが。


「櫂君と何話してたの? とてもごみ拾いしてるようには見えなかったけど?」


 散乱したお菓子の袋をかき集め、次々にごみ袋に放り込む俺に向かって市川がそう言った。


「まぁ……色々とな」


 お前がその話聞いたら卒倒すると思うぞ。


「ふーん、教えてくれないんだ」


「教えるほどのことでもないっていう方が正しいな」


 俺がそう言うと、市川は深くため息をついた。


「はぁ……どうせ下らないことなんでしょうけど、いいわ、仕方ないから聞いてあげる」


「いや、別にいいや」


 市川のなんとも偉そうな発言に俺がこの言葉を発言すると、なぜか俺たちの間には風の音だけが鳴り響き、空白の時間が生まれた。

 高校生の男女の間に『ひゅー』としか音がしないというのはアニメのようで俺は勝手に少し感動していた。


「……何よその冷めた言い方」


「だって、お前聞きたくないんだろ? そんな奴に仕方なしに聞いてもらうような話じゃないから」


「も、もちろん聞きたくなんかないわ。ただ、聞いて損するような内容なのは分かりきってるけど、私が貴重な時間を割いて聞いてやろうって言ってるのよ」


 なんだその強引なカウンセリングは。

 悩みが無くても引っ張り出されそうだな。


「いえ、本当は先輩に当たる市川夏希さんの貴重な時間を割いてしまう訳にはいきませんので」


「ちょっと! その言い方は酷くない⁉」


「悔しかったら三年生になれよ」


 『悔しかったら』から始まる挑発の台詞で、恐らく最もレベルの低いクラスの言葉である。


「うぅ……伊鶴君のバカ……」


 赤面して目に涙を浮かべる市川。

 やりすぎたかと思ったが、考えてみればメイド喫茶でも涙目になってたし、案外市川は涙もろいのかもしれないな。

 俺はため息をつきながら市川に声をかける。


「市川、お前もしかして、ツンデレ?」


『げしっ』


 蹴られた。


「誰がツンデレよ! 誰が!」


「いや、お前だよ」


「わ、私はツンデレなんかじゃない!」


 一気に顔を赤くして、そっぽを向いてしまう市川。


「知ってるか? 一部のクール系のキャラクターはそうやって照れたりとかするだけでデレ扱いを受けたりするんだぞ」


「へ?」


「おまけに市川は普段は割とツンツンしてるみたいだし。やっぱツンデレだな。はは」


 俺が笑いながらそう言うと、市川の真っ赤だった顔が今度は一気に青ざめていく。


「つ、ツンデレ……私が……?」


 市川はまるで世界の終結を目の当たりにしたような表現しがたい表情を俺に見せると、地べたに座り込んでしまった。

 どうでもいいけど、公園のど真ん中でそういうことされると、ものすごく誤解を招きそうだから勘弁してほしい。

 宇佐美と藤井もすげーこっち見てるし。

 もっと言うならすぐ隣の広場でゲートボール大会やってるお爺さん方までこちらに目を向けている。

 これは早く市川を立たせないと面倒なことになりかねんな……。

 俺は市川の顔の位置までしゃがみ込み、声をかける。


「お前、ツンデレってそんなに絶望することか?」


「うるさいわね……」


 あー、やばいなコレは。

 また涙目になってる。


「な、なぁ、ツンデレってさ、お前は嫌がってるかもしれないけど、アニメの世界ではメインヒロイン級の人気キャラクターに割り当てられてる性格なんだ」


「それがどうしたのよ……」


「だからさ、人気があるってことはそれが可愛いってことだろ?」


 俺のこの台詞に、ピクリと一瞬反応する市川。


「市川美人だし、黒髪ロングっていうアニメ髪型ランキングの中では割と高順位に位置してる髪型をしてるわけだしさ。それでおまけにツンデレときたら、みんなの人気が集まること間違い無しだよ!」


 何を言っているんだ俺は。

 励ましているつもりが、勝手に俺ワールドを展開してるだけじゃないか。

 黒髪ロングとか最早完全に俺の趣味だし……いや、人気があることは確かなのだが、最近は黒髪ロングのキャラそのものが減ってきているせいで人気が落ちてきているなんて言えない……。

 完全に励ますの失敗した……ギャルゲーなら完全にバッドエンドコースに入ってる。

 クソ……市川が座り込んだところ辺りにセーブポイント作っとけばやり直せるのに……。

 なんてアホなこと考えている暇はないぞ俺。

 さっきから怪しげな空気がこの辺りに漂ってる。

 市川は俺の黒歴史認定を確定させた謎にカッコつけた台詞のせいで顔をまた真っ赤にしてるし……宇佐美は見て見ぬふりで掃除に戻ってるし、藤井はにやにや笑いながらこっち見てるし……。

 本当に誰か助けて……。


「伊鶴君は……」


 しかし意外にも、この硬直した空気の中で第一声を放ったのは、市川だった。


「伊鶴君はどうなの?」


「へ?」


「だから、そういうのが人気っていうのは分かったけど、伊鶴君本人はそういうキャラ好きなのって聞いてるの」


「あー……えっとね……うん、好きだね。もし市川がアニメに出てきたら絶対最推しにしてると思うし」


 さっさとこの冷たい空気をなんとかしたい俺は、必死に市川の謎の質問に回答する。

 なんかすげー称賛しちゃったけど、さっき俺がでっち上げたアニメの人気キャラは俺が好きなキャラクターの特徴を上げただけなので嘘はついていない。


「そう……なんだ」


 俺の言葉にますます顔を赤くする市川。

 な、なんだ? 何かマズったのか?

 俺は質問に正直に答えただけだぞ?


「えと……市川?」


「ふーん、そうかそうか」


 俺が心配して声をかけると、市川は何かに納得したように笑いながら立ち上がる。


「つまり伊鶴君は私みたいなのがタイプなのね」


「タイプ?」


「そう。伊鶴君にも好きな子くらいいるんでしょ?」


「えっと……二次元でか?」


「は? 三次元に決まってるじゃない」


 俺の問いに呆れたようにそう言う市川。

 てかなんでいきなりこんなに元気になってるんだよ。


「三次元ねぇ……」


「どうなの?」


「うーん、悪いけど俺、三次元には」


「ったく、友人のピンチに人が心配して駆けつけてみれば、まさかまさかの恋バナに花を咲かせてったてか」


 俺の言葉を遮った台詞が聞こえた方を見ると、そこにはさっきまで遠くでにやにやしていたはずの藤井櫂がため息をつきながら立っていた。


「あのな藤井、『駆けつける』って言葉には少なからず急ぎの意味が込められてると思うんだが?」


「大急ぎで来たぜ? 俺は」


「平然と嘘をつくな。さっきまでにやにやしながら傍観者面決め込んでたくせに」


「ははは! まぁな。顔をトマトみたいに赤くしてしゃがみ込んでる夏希をあたふたしながら励ます伊鶴がどうにも面白くてな。でも遠くて話までは聞こえなかったから、少しずつ距離を詰めていったら、いつの間にかこんな近くまで来ちまったってわけだ」


「それもう駆けつけるでも何でもないだろ!」


 聞き耳立てるにしても近すぎるし。


「それがまさかなぁ。こいつは俺が思ってるよりもずっと面白い展開だぜ。なぁ夏希!」


 そう言いながら市川の方に顔を向ける藤井。

 市川は少し肌色を取り戻していた顔をまたもや真っ赤にして目をそらす。

 なんなんだ一体。


「で? 見るに堪えなくなってついつい言葉をかけちまったが、伊鶴は夏希の質問になんて答えようとしてたんだ?」


「へ?」


「ほら、なんか言いかけてただろ? 三次元がどうとか」


「あー、それな」


 この話を誰かにするたびに引かれてたからあまり話したくはないのだが、相手が藤井ということもあり、いずれ白状することになるのは目に見えている。

 俺はため息をつきながら口を開いた。


「俺は、三次元……つまり生身の人間に恋愛感情を抱いたことが無いんだ」


「……は?」「……え?」

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