07 孤独

 

 日中、あれほど海で過ごしたのにもかかわらず、私は海にいた。



 身体は水に沈んでいる。

 暗い底から、淡い光の張った水面の裏を見上げている。その先の、水面上の世界を見ることは叶わない。私に見られるのは、水面下の閉じた世界だけだ。

 これはシーラカンスの夢の続きなのだと直感する。しかし、いくら夢だと理解をしたところで、身体が動くわけではない。明晰夢とは都合のよい自己解釈でしかない。そして、この不都合な悪夢を、私は再び見なければならない——また、私は夢の中で喰われるのだ。

 その死は、作り上げられた幻想の想像に過ぎない。

 いわば、現実味のない蒙昧なファンタジーだった。

 


 ゆらゆらと私の夢を遊泳するシーラカンス。

 その鱗が鈍色にきらめき、周囲の水がマリン・ブルーの彩色と同調する。

 2回目になると目が慣れてきた。眼だけで見渡してみると、この海底にはシーラカンス以外に何もなかった。岩肌も砂底も海藻も生物も微生物すらも、何もない。私が居ると思い込んでいただけだった。ここには、海という水と、この魚しかいない。

 それはかわいそうなことだと、私は思う。

 私の夢とはいえ、この魚は独りで、私の中に閉じ込められている。

 これは擬人的な考え方である。

 そして明らかに、非現実的な考え方である。

 どんな生き物だろうと、孤独は精神を蝕む。なぜならば、生き物が産まれてくる理由はただひとつ、種の繁殖であるからだ。孤独とは、その生命の根拠に対する叛逆行為であり、個体の意味喪失を引き起こす。

 つまり、彼はここで、意味もなく、その生命を消費している。


(いったい、彼をどうすればいいの?)


 私の身体は、水流に乗って勝手に動きだした。市営の水流プールを思い出す。下半身の力が抜け、四肢を海に預け、漂う。そして、シーラカンスの口元へと流れ着く。

 私の何倍もの大きさを誇る巨体だ。人の頭ぐらいの瞳がぎょろりとこちらに向いた。マリン・ブルーの瞳は、ソーダ味の飴玉のように見えた。舌を伸ばして舐めたくなるような艶やかな色だった。触って撫でたくなる、珠玉のような目玉だった。

 その瞳と見つめ合っていると、不思議と穏やかな気持ちになった。そして同時に、なんだかやりきれない、切ない思いが込み上げた。こんなにも美しい瞳を持つ彼は、こうして独りでひっそりと生き、ひっそりと死んでいく。


(私が彼だったら、寂しくて、大声で泣き叫ぶかもしれない)


 それでも、海底の声は地上に届かない。

 地上の人々は、誰も彼の悲痛を知り得ない。

 シーラカンスの唇に、私の手が触れた。ぶよぶよとした柔らかさは、人間の唇と同じ感触だった。今度は私の頭部がそこに触れた。頭をすっぽりと包み込んでくる、上質な枕のようだった。その先に、血が流れるわずかな音がした。生き物が生きている証に、私は耳を澄ませる。

 思った以上に、私はこの夢の中で生きるシーラカンスのことが好きなのかもしれない。


 そして、終わりの時がやってくる。

 世界が暗闇に包まれる。

 悪い夢から覚めるために、闇の中で目を閉じる。



 



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