第15話
玄庵の言った通り、3日経つと、立ち上がってもふらつきもせず、目の前が真っ暗になる事もなくなった。
後から玄庵が持って来てくれた薬湯も、良く効いた様だ。
玄庵とはお互いに話したかったが、主人が毎回、心配そうにずっと居るので、話は出来ないままだった。
「本当に世話になった。チンピラ退治しただけなのに、過分な礼を受けちまった。
これ以上迷惑掛ける訳には行かねえ。
お役目上、名乗れねえ無礼も許してくれ。」
そう言って頭を下げた貴時は、傍らの三本の刀を取りながら、立ち上がりつつ、言った。
「じゃ、ここで失礼させて貰うぜ。」
しかし、その手を主人は止め、平伏したまま、必死という様な様子で、まくし立てた。
「お武家様、何か深いご事情がお有りのご様子。
その御立ち居振る舞いからお察ししますに、かなりの御家紋の御出自と承ります。
この越後屋仁平、決して詮索は致しませぬ故、どうか、このまま拙宅で、用心棒としてお住まい頂けませぬか。」
貴時は、越後屋の前に片膝をついてしゃがんだまま、悲しい目で、申し訳なさそうに、だがキッパリと言った。
「ーそれは出来ねえ。俺はお役目とはいえ、人に恨みを買い、追われている身だ。
あんた方越後屋の人達に、どんな危険が及ぶかも分からねえ。
越後屋さんの仁義には、もう十分感謝してるよ。
どうか、ここまでで…。」
しかし、越後屋は平伏したまま引き下がらない。
「いいえ。お武家様のお着物は、桐生様より、越後屋が承りしお品にございます。
桐生様は、『息子より大事な男の着物だから、丹精込めて仕立ててやってくれ。とんだ歌舞伎者なのが困りものだがな。』とお幸せそうなお顔で仰っておられました。
貴方様は桐生様の大事なお方でございましょう。」
「桐生様を…知ってんのかい…。」
「はい。長年御贔屓頂いております。桐生様のお仕事もある程度は…。」
貴時は黙ってしまった。
つまり、越後屋は、桐生が御公儀の隠密的な位置付けにあるという程度は、知っているという事なのだろうか。
しかし、下手に確認するのは危険だ。
貴時は黙ったまま、越後屋の話を聞いていた。
「貴方様のお役目が、いかに大変なものであるかは、私には、想像も出来ませぬ。
しかしながら、たったお一人で片付けようとなさっておられる。
しかも、お命を狙われて居られる。
それを分かっていながら、はいそうですかと、このままお帰ししては、桐生様にも面目が立ちませぬ。
この越後屋仁平の男も廃りましょう。
どうか後生とお思いになって、越後屋に匿わせて下さいませ…!。」
貴時は唸りながら、越後屋の前に胡座をかいて座り、キセルを出し、側にあった煙管用の灰皿を、煙管で引っ掛けて引き摺って側に寄せ、難しい顔のまま、越後屋を見つめて、煙管を吹かした。
「けどさあ、越後屋さん…。今回ばっかは、別口だと思うぜ?。俺が出て行ったって、男は廃らねえし、桐生様も何も思わねえよ。」
「いいえ!。後生でございます!。何卒!。」
「ー俺はさあ、10年このお役目やって来て、とんでもねえワルも一杯見て来たし、悪人ばっかとはいえ、人も相当斬ってきてる。
言うなれば、修羅場慣れしてんのね。」
「左様でございましょうな…。」
「その俺が、コイツはヤベエと思った位なんだよ、その俺を追ってる敵は。だから、俺と居たら、本当に危険なの。」
「だからこそでございます!。」
「いや、こっちこそ、だからこそなんだよ…。」
以下繰り返しで、話は全く進まず、もう四半時(30分)も、延々とこのやり時が続いていた。
業を煮やした貴時は、遂に立ち上がった。
「ああもう!。分かんねえ人だなあ!。兎に角俺は出て行くぜ!。」
「いいえ!。承服致しかねます!。」
越後屋が、立ち上がった貴時の腰に、慌ててしがみついた時だった。
貴時と越後屋が居た、離れの小さな勝手口の方から、馬の蹄の音が聞こえ出し、そこで止まったかと思えば、勝手口から桐生が入って来たではないか。
「桐生様!?。何しに来たんですか!?。」
目を点にする貴時をチラリと見遣り、桐生はいつもの調子で扇子で自らの首を叩き、苦笑した。
「相変わらず、ご挨拶だのう、貴時。風間が知らせてくれたので、駆け付けてやったというのに。」
「お一人で!?。」
「忘れたのか、貴時。ワシはお主の師匠じゃぞ。まだまだ現役。どこに行くのも1人で十分じゃ。」
越後屋は下って平伏し、桐生は離れに入って来ると上座に座り、貴時も下座に下がって正座した。
「越後屋の世話になれ、貴時。」
貴時は嫌そうな顔を隠しもせずに、桐生を見る。
「ーそりゃどうかと思いますが…。」
「そうでもなかろう。越後屋は目立つ。
襲って来るのも難しかろう。
風間達も警備し易い上、盗賊対策で、越後屋そのものの作りも良い。
町人達に紛れ込んでいた方が、危険は少ない。」
「いや、お待ち下さい…。俺が隠れて暮らしちまってどうすんですか。アイツの成敗は…。」
「向こうが出て来た時で良かろう。」
「ええ〜?。そんじゃ、桐生様は、それまで俺に遊んで暮らせと仰る?。給金貰って?。」
「偶には良かろう。お主は15の時からお役目を果たし、働き詰めじゃ。そんな時があっても良いではないか。
それに、満更遊んでという訳でもあるまい。
越後屋程の大店となれば、必ずや盗賊に狙われるであろう。
お菊は評判の別嬪で、外に出れば、直ぐに良からぬ輩が絡んで来るから、習い事にも行けぬ。
越後屋も寄合などの帰りは、金目当ての賊に襲い掛かられと、危うい目に遭うておる。
全部守ってやれ。」
この時代、火付け盗賊改めなどという、別部署まで設置した事から分かる様に、大店の1番の脅威は盗賊団であった。
手下の者を忍び込ませ、下調べを綿密に行い、侵入して来る盗賊団に、全ての財産や品物を奪われた挙句、一家皆殺しにされるという凄惨な事件は、後を絶たなかったのである。
それを思うと、確かに心配ではあったが、それにしても、貴時としては、いささか居心地の悪い、お役目とも言えない仕事になる。
しかし、桐生は一度言い出したら聞かないし、かなり砕けた関係性とはいえ、どう転んでも、伊達家の男に生まれた時から、桐生は貴時の上役で、生涯変わらない。
「それは、御命でございますか。」
思わず虚ろな目をしたまま、桐生に聞くが、桐生はニッコリ笑って頷く。
「そうじゃ。」
「承知致しましたあ…。」
溜息混じりに、不承不承そう言った貴時は、半ば自棄気味に腹を括って、越後屋に向き直り、頭を下げた。
「越後屋さん、とんだ迷惑掛けちまうが、宜しく頼む。」
「いやいや!。どうぞお顔をお上げになって下さいまし!。ああ、良かった…。本当に良かった…。」
貴時が顔を上げると、越後屋は心から幸せそうに笑っていた。
ー良い人だな…。こうなったら、死んでもこの家の人は死なせねえ…。
貴時のそんな思いを感じた桐生は、優しい声音で、貴時を呼んだ。
「貴時。」
「はい。」
「少々、越後屋と話しがある。庭に出て、そこら辺の木でも見ておれ。」
風間はいつも、人から見えない木の上に居る。
つまり、風間と話せという事だ。
貴時が庭に出ると、直ぐに目の前に風間が現れた。
「貴時様、ご無事で何よりでございます…。」
「んな大仰な…。腹減って倒れただけだろ?情けねえ。」
「それだけお疲れになっていたという事でございますよ!。
もう…小心脚気が出たのではないかと、気が気ではございませんでした…。」
風間の心配が貴時にも伝わって来た。
家系病は、貴時よりも、周りの人間の方が、いつも気にしてくれている。
「ごめんなあ…。」
貴時が心から申し訳なさそうに謝ると、風間は感情を隠す様に、紫色の小さな風呂敷包みを捧げて、貴時の目の前にずいと出した。
200両はある包みだ。
「今月のお給金でございます。」
「うおおおお!。ここまで待ち兼ねた事あ、今まで無かったぜ!。有難う!。」
涙を流さんばかりに喜んで、いつもの様に、その内の3つの包みーつまり150両を風間に渡して、残りの1包みの50両を懐にしまう貴時を、風間は情けない様な目で見上げていた。
「財布を甲州に忘れたのではないかという、玄庵殿の読みは当たりでございますか。」
「ーうん…。」
「何故仰って下さらないのです!?。」
「気が付いたのは、桐生様のお屋敷出てから、大分歩いちまってからだったんだよ。」
「呼んでくだされば宜しいじゃありませんか!。」
「こんな情けねえ事で呼べるかあ!。」
「倒れた方が、余程お情け無いと思いますが!?。」
「う…。」
貴時が言葉に詰まっている頃、桐生は改めて越後屋に礼を言い、ある頼み事をしていた。
「恐らく、そろそろ押し掛けて来る頃合いかと思う。」
「それでしたら、早速ご用意しておきます。」
「うん。色々と相済まぬな。代金はここに置いて行く故、その時はワシも忘れずに呼んでくれ。」
「誰が忘れましょうや。確かに承りましてございます。」
「んで、なんで玄庵が来たんだい。」
貴時は桐生が帰った後も、まだ縁側に座って風間と話していた。
越後屋は、風間の存在も受け入れてしまっており、『どうぞ、こちらで。』と、風間分の茶と茶菓子も持って来てくれてしまったのだ。
「どうも、こちらの女将さんがシャクを持病でお持ちだそうで、どの医者にかかっても薬が効かないと、主人が悩んでいた所、桐生様のご紹介で、掛かりつけに…という事の様です。」
「ーここの仁平さんつーのは、どの程度分かってんだ。お前の事も平気で受け入れちまうし、桐生様もお隠しにならねえ。」
「ー貴時様は、このお屋敷の作りをご覧になりましたか。」
「盗賊対策にしちゃあ、やけに頑丈な作りだよな。」
「私もそう思いました。貴時様が寝込んでいらっしゃる間に気になり、少々調べました所、桐生様は、町人にもお役目の手伝いが出来る者を、何人か抱えて居られる模様。」
「ーその1人が越後屋仁平さんて事か…。なら、話は通るな…。」
「はい。私共にも分からぬ伝手をお持ちですからな。桐生様は。」
「成る程ねえ…。怖え親父。」
2人で楽しそうに笑っていると、風間が不意に意地の悪い、揶揄う様な笑みを浮かべた目で見始めている。
「なんだよ、その目はあ。まだなんかあんのかあ。」
「綺蝶様。」
「ー会える訳ねえだろ。んな危ねえ真似…。」
しかし、風間はニヤニヤと笑っている。
「なんだよ。言えよ。」
「賢いお方でございますからなあ。お役目の才がおありですな。」
「そら知ってるよ…って、おい、まさか…!。」
「まあ、その内お分かりになるでしょう。それでは私はこの辺で…。」
言いながら風間は笑みだけ残して消えてしまった。
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