第14話

貴時が倒れた事で、口々に褒め称え、礼を言っていた町人達は騒然となった。


「どうしなすった!?。お侍さん!。」


遠くから見守っていた風間も、流石に焦った。


だが、刀傷は元より、ヤクザ者達には触れられてもいない筈だ。


風間が助けに出ようと思った時、貴時が助けてやった娘が言った。


「うちへ運んで下さい!。直ぐ近くの越後屋ですから!。」


町人達は誰も嫌がる事なく、率先して貴時を戸板に載せて、越後屋へ運んでくれた。


しかし、こうなってしまうと、風間には手出し出来ない。

人目があり過ぎて、貴時には却って近付けないのだ。


心配しきりで、越後屋の裏手に回り、座敷に敷いた布団に寝かせられた貴時を、見守る事しかできない。


どうも、事情を聞いた、越後屋の主人が、かかりつけの医者を呼んでくれる様だ。


ーまさか、小心脚気が出られたのか…。


伊達家の男は、代々、あまり長生きはしていない。

全て小心脚気、今でいう心臓病で、全員50まで生きて居ない。


貴時はまだ25だが、30手前で亡くなったご先祖も居ると聞いている。


気が気ではなくなり、医者の到着を今か今かと待っていたが、その医者の名前が引っかかる。


ーさっき、ゲンアン先生と言っていたな…。


医者でゲンアンというと、どうしても思い浮かんでしまう顔があるが…。


ーまさかな…。玄庵殿は、町医者の看板は掲げちゃいるが、治療なんかしないだろう…。

ゲンアン違いだ…。きっと…。


しかし、来た医者を見て、風間は、声を上げて、木の上から落ちそうになってしまった。


背丈の3分の2はある小さな引き出しの一杯付いたタンスを背負い、癖っ毛の剛毛が横に伸び、般若の面の絵柄の着流し姿…。


ー玄庵殿!?。何故!?。


どうも、町医者らしく、ちゃんと普通の医者もやっていたらしい。


ーまあ、あの方の事だから、金持ちしか診ないのだろうが…。

しかし、貴時様を任せて大丈夫なのだろうか…。

いや…。お気付きになられて、ここを出られたら、直ぐにちゃんとした医師にお連れしよう…。うん…。




座敷に通され、布団に横たわる貴時を見た玄庵の方も、驚いた。


「たかとっ…!。」


途中まで名前を呼びそうになり、慌てて口を押さえている。


「玄庵先生、お知り合いで…?。」


主人が不思議そうに聞くと、玄庵は慌てたまま取り繕った。


「…に似てるなってね…。どれ、拝見…。」


玄庵は、普通の医者らしく、ちゃんと診察をしていた。

風間には目を疑ってしまう光景だ。


「相当疲れてんな…。体力が随分と落ちてるぜ…。それと栄養状態が良くねえようだ。

若いお嬢さんでもねえのに、血の気が無え。

まあ、若えからな。取り敢えず、腹一杯食わせて、3日くれえ、安静にさせりゃ良くなるよ。

一応、体力回復と血の巡りが良くなる薬を出しておくぜ。」


主人と娘に、この家の女将さんらしき中年女性は、丁寧に礼を言い、主人は貴時の寝顔を見ながら話し始めた。


「先生、このお菊は、こちらのお武家様に助けて頂いたそうでございます。

最近この辺りを縄張りにしている、吉蔵一家の悪人共全員、大怪我させて下さったそうで…。

町の者も皆、こちらのお武家様には、感謝しておるのでございますよ。」


「ふ〜ん…。まあ、吉蔵一家なんぞは、朝飯前だろうさ。」


「ーは…?。矢張り、先生はこのお方をご存知…?。」


風間は頭を抱えてしまった。


ー口だけは、堅いお方では無かったのかあああ!。


貴時達の仕事は、後世になんの公文書も、記録も残っていない。

つまり、限られた人間しか知り得ないお役目なのだ。

だから、玄庵と貴時がどういう知り合いかというのは、口が裂けても言ってはならない事である。


「い…いや!。ほら、腕見てみな!?。

肉は付いてねえが、すげえ筋だろ!?。

こりゃあ、剣術使いの腕なんだよ!。

んでほら、腰のもん!。

刀2本に脇差までなんて、普通の侍は持たねえだろお?。剣術使いしかよお?。」


「ああ、そうでございますな。確かに…。流石は玄庵先生。お目が確かでございますな。」


人の良さそうな主人が、微笑んでそう答えてくれた事で、玄庵もなんとか切り抜けられた様だ。




風間は、帰ろうとする玄庵を呼び止める。


「玄庵殿、先程の見立ては実(まこと)でございましょうな?。」


「うお、風間。相変わらず神出鬼没だな…。ああ、間違いねえよ。」


「小心脚気ではありますまいな!?。」


「その兆候は未だ出てねえよ。伊達家の男が、代々小心脚気で早死にしてんのは俺も知ってるから、ちゃんと診てるよ。」


「そうですか…。」


安堵した様子の風間の顔を、玄庵は不安気に覗き込んだ。


「どういうこったい…。なんで貴時がこんな所で、1人で倒れて、しかもお前さんと離れ離れになってんだい…。何かしくじったのかい…?。」


「貴時様がしくじる訳ございませぬ!。

ただ…、少々厄介な敵を抱え込んでしまわれました…。それで、皆の安全の為、建前上はお一人になられておられるのです…。」


「綺蝶には知らせてやったのかい。せめて無事だとよ。」


「いえ、未だ。」


「んじゃ、ついでがあるから、ちょいと知らせて来てやるよ。危ねえから、当分会えねえって言っときゃ良いんだな?。」


「宜しくお頼み申します。」




風間は、貴時の側を片時もはなれず、心配そうな目で見守っている主人を観察していた。


越後屋の主人は、呉服商としても名高いが、人柄の良さでも有名な男だ。

仁義に熱く、人徳者であり、客にも仲間にも、使用人達にも、厚い信頼を受けている商人だという。


確かに、人相も穏やかで、口調も柔らかく、人柄が良さそうなのは、風間の目から見ても分かる。


ーしかし…。何か勘付かれてしまった様な気もするな…。


その心配そうな目が、身体だけを気遣っているにしては、深刻過ぎるのだ。




その頃、玄庵は、鈴乃屋の女将に薬を届けに行ったついでに、楓に話していた。


「俺も詳しくは聞いてねえんだけどよ。

貴時は無事に戻って来ちゃあ居るんだが、厄介な敵をまた1人で抱え込んじまったらしくてな。

ここへ来たら、お前らが危険だから、来られねえんだとよ。」


楓は、首を傾げるようにして、玄庵を見上げた。

その目の動かし方は、美しい目を更に美しく、蠱惑的に魅せる独特な物で、恐らく、貴時はこれで一目惚れしている。


「お会いになったんですか。玄庵先生は、貴時様に。」


「寝てたけどな。会ったよ。」


その一言で、冷静に聞いていた楓の顔色が変わってしまった。


「寝てたって、なんです!?。お加減がお悪いんですか!?。」


「ただの疲れと腹減りだよ!。町娘をヤクザ者から助けて倒れたっつーから呼ばれて行ったら、眠っちまってただけ!。」


「小心脚気じゃないんでしょうね!?。」


「違うよ!。風間が側に居るから心配無え!。」


楓は、胸に手を当て、漸く息を吐いた。


「ああ…、良かった…。」


「まあ、ちょいと暫くは会えねえみてえだからよ。」


さっきまで心配で死にそうになっていた筈の楓は、再び、悪戯っぽい目をして玄庵ににじり寄った。


「ーどこにいらっしゃるんです?。」


「それ言っちまう訳に行かねえだろ。バレたら、俺が貴時に斬られちまうぜ。」


確かに貴時はそういう男だと、楓も思う。

見ず知らずの町人であろうとも、お役目の危険な事に巻き込むのは避ける男だ。

増して、楓の様な深い仲となったら、尚更だろう。


そう思って、黙ってしまった楓の顔を、玄庵は不審そうに覗き込んでいる。


「綺蝶〜。貴時は、おめえさんに本気で惚れてんだからよお。自分から危険に身イ晒す様な事あ止めとけ〜?。」


「………あたしだって、本気ですよ…。」


楓の口調は、拗ねている様に聞こえた。

恐らく、この勝気な女は、拗ねているのではなく、自分の無力さに腹を立てているのだろう。


女だてらに、なんとか貴時を救いたいと思ってしまうのだ。


「だったら尚の事だろうがよお。」


しかし、次の瞬間には、また妖艶に微笑んでいた。

表情がコロコロ変わる。

それも貴時が好む所らしい。

退屈しないのだそうだ。


「ですから。どこにいらっしゃるんです。」


「だからあ…。それに、もう彼処には居ねえかもしれねえしよお。」


「玄庵先生が往診までなさるなんて、よっぽどのお金持ちですよねえ…。

金払いのいい…。

そして、家の誰かが、玄庵先生にかかっていらっしゃる…。

それに玄庵先生はいつ何時、お役目で呼ばれるか分からないから、遠出はしない…。

つまり、この辺り…。」


楓は玄庵の顔色を見ながら、静かな声でゆっくりと一言一言、確認する様に言うと、不意にニヤリと笑った。


「分かりました。もう聞きません。」


「おいおい!。なんだい、そりゃあ!。おめえさんは、ほんと頭良過ぎていけねえや!。」


「もう聞きませんと申し上げましたよ?。」


「なんでえ!。全部分かっちまったくせによお!。もう帰る!。」


ドカドカと音を立てて一階に降りて行く玄庵の背中を、涼しい声で見送る。


「ご苦労様でございました〜。」




その頃、貴時は漸く目を開け、ずっと見守っていた越後屋の人達と、風間を安堵させた。


お菊が甲斐甲斐しく、玄庵に処方された薬湯を持って来る。


「お飲み下さい。先程、処方して頂いた、体力を回復させ、血の巡りを良くさせるお薬だそうでございます。」


そして、3人揃って、手をついて礼を言った事で、貴時は、やっと事態が把握出来た。


「いや。こっちこそ申し訳ねえ…。要らぬ手間掛けちまった。」


そう言いながら、もう立ち上がって帰ろうとするのを、主人が縋り付いて止める。


「どうか、夕餉を召し上がって下さいませ。心ばかりではございますが、ご用意しておりますので。

お医者様のお話では、暫くご静養が必要なお身体と。

どうか、御恩返しをさせて下さいませ。」


貴時は迷ってしまった。

出た所で、金が無いから、行く当ても無い。

それに、今立ち上がっただけで、実は目の前が半分真っ暗になっており、また倒れてしまいそうだった。


しかし、このまま居て、吉井の襲撃を受けてしまったら、この家の人間に多大な迷惑を掛けるだけでなく、下手をしたら、命を落とさせてしまうかもしれない。


庭に目をやると、貴時にだけ見える角度に、風間が見えた。

万が一、吉井の襲撃を受けたら、自分がなんとかするから、そうさせて貰えと言わんばかりに頷いている。


「すまねえ…。じゃあ、今夜一晩だけ、甘えさせて貰う…。」


主人達は喜んだ。

座り直し、大人しく苦い薬湯を飲み始めた貴時を見て、主人が嬉しそうに手を叩いて、使用人に合図を送り、夕餉が運ばれ始める。


しかし、貴時は、何気なく見た薬袋の落款を見て、危うく薬湯を吹き出す所だった。


ー九鬼玄庵だとお!?。なんでアイツが俺を診察してんだ!?。


思わず風間の方を見てしまうと、風間も納得が行っていない様な顔で、首を横に振っている。


ーつまりは、風間が呼んだ訳じゃねえと…。

そうだよな。大体、俺達の間じゃ、玄庵は生きてる人間を診る医者じゃねえもんな…。

ここの人間が呼んだのか…。


貴時は、さりげなく、布団や調度品、主人達の着物を見た。


ー相当羽振りの良さそうな商人…。

成る程。金で動く玄庵なら、診そうな家ではある…。

あいつ、俺見て大丈夫だったのかね…。

妙な事口走ってねえだろうな…。




玄庵は動揺していた。


貴時の事は元服したての、初出仕の時から知っている。

満月の夜が嫌いな理由も、家に帰らない理由も。


年は玄庵より10も若いが、仕事仲間というよりは、伯父の様な気分だった。


仕事は出来るし、頭も頗る切れ、恐ろしい程に剣の腕前も確かな上、人に優しく、自分に厳しく、お役目でいい人間が死ぬのを悉く嫌い、その分苦労しても、必ずお役目は果たす。


その性分も気に入っていた。


要するに、玄庵は、貴時を好んでいた。


その貴時が倒れる程、消耗していた。

壮絶な斬り合いをしながら甲州から戻って来たというのは、滅多に付けないかすり傷でも分かった。


風間が張り付いている上、他にも桐生の配下がそこかしこに居る所を見ると、余程の敵を相手にしているのだろう。


要するに、玄庵は心配で堪らなかった。

気が動転してしまった。

それで口が滑ってしまい、楓の前でも、色々表情に出してしまったのだった。


しかも、いくら風間が付いていると言っても、帰る当ても無い状態で、1人で居なければならないと言う。


「はあ…。大丈夫かね、あいつ…。」


頼まれても居ない貴時用の薬を調合し、乳鉢で擦りながら溜息混じりに呟いてしまう。


「しかし、なんでアイツは、あんな町中を彷徨いて(うろついて)たんだ?。」


貴時なら、さっさと宿に入るなり、敵を誘き出す(おびきだす)様な作戦に入りそうなものである。


暫く考えた玄庵は、あ!と声を上げた。


土台、貴時はお坊ちゃん育ちである。

15から働いていた苦労人ではあるが、奥祐筆の桐生に次ぐトップを独走している貴時は、仕事はキツいが、給金は相当額だ。

仕事中も、必要経費は、桐生から預かっている大金を、風間がホイホイ用意してくれるし、江戸に戻れば、桐生がどうとでもしてくれる。

要するに、金で苦労などした事が無いし、金銭感覚も無い。


ーつまり、刀と証拠だけ持って、財布忘れて来たんじゃねえのか、アイツは!。


玄庵だけだが、漸く気付いて貰えたのは、給金が出る前日になってからの事だった。

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