第13話

桐生は酷い渋面を作って、貴時の話を聞いていた。


「未だ、吉井も、吉井の手の者とも相対しておりません。

恐らく、奴らは、某を狙って来る筈。

某1人で禍が済めば宜しいが、江戸城にてその様な事が起こり、万が一にも上様に及んでは末代までの恥。

幸い、弟、源十郎が齢17。

後継ぎには困りませぬ故、何卒。」


「う〜ん…。しかしのう、貴時…。お役御免は形ばかり。結局は其方が、1番タチの悪い男を引き受ける事になってしまうではないか…。」


「吉井は腹の読めぬ男。最早、人ではございますまい。

どう出て来るか見当も付きませぬ。

ここはどうか、某にお役御免賜りたく。」


桐生は考えた。

貴時1人に背負わせて、万が一にも死なせては、後悔しても仕切れない。


しかし、一方で、貴時の言う事も尤もだった。


甲州に出した配下の者からの連絡では、吉井の目的は貴時ただ1人の様だという。


1人残された奥方も、

『憎っくき伊達貴時の首代を挙げねば…。』

と、狂った様に言いながら立ち去ったという証言をしているし、日記にも、

『上様には可愛がって頂き、相応の金品も頂いた。恨む気持ちは無いが未練も無い。はっきり言ってどうでも良い。江戸城に入って、上様をどうこうするのはリスクが高過ぎる上、こちらにメリットも無い。妖刀が求めているのは伊達貴時の血である。』

という様な事が書かれていたらしいから、貴時への恨みは相当な物だ。


何故、貴時がそこまで恨まれるのかは、桐生にも、恐らく貴時にも分かるまい。


貴時の言う通り、人でなくなってしまった吉井は、ただ情動のみで動き、生きているのだろう。


妖刀に導かれるまま、人を殺め、斬り刻んでいた楽しみを貴時に奪われたとか、容姿端麗で、剣の使い手である貴時に嫉妬したとかまで、全て入り混じっているのかもしれなかった。


貴時がこのまま奥祐筆を勤めていたら、どんなに警備を抜かりなくやっているつもりでも、江戸城内で何らかの悶着はあるかも知れない。

何せ、吉井以外の配下の者は、未だ数名しか、面と名前が割れて居ないのだ。


将軍を狙ってでなくても、江戸城内に入って騒動を起こされたら、それこそ、江戸幕府開闢以来の失態である。


貴時1人に恨みが向き、矛先が貴時であるなら、自分1人で始末するから、騒動の元は断てと、貴時は言っているのだ。


「う〜ん、分かった…。但し、条件がある。それを飲むのであれば、良かろう…。」


「して、条件とは。」


「先ず一つ目は、給金はそのまま払う故、しっかり受け取る様に。」


「ーそれじゃあ、登城もしないで、吉井を待ってるってそれだけで給金を頂く事になります。泥棒じゃないですか…。」


「飲めぬなら認めん。」


「ー分かりました…。」


「二つ目は、吉井討伐の暁月には、必ず役に戻る事。」


「えええ〜?。じゃあ、源十郎はどうなるんです〜?。」


「そのまま雑用でもしておれば良かろう!。無能でも伊達家の男じゃ!。」


風間はハッキリとは言わなかったが、源十郎は頭はいいのだが、剣の腕はからっきしの上、かなりの変わり者だ。

心根はとてもいい奴で、弟としては上出来だった。

貴時も年が離れているのもあり、腹違いではあったが、可愛がって来た。

しかし、残念ながら、このお役目の才も無く、剣の筋も悪い。


とうとう、桐生にも無能呼ばわりをされてしまったが、そんな訳で返す言葉も無く、貴時は悲しそうに目を伏せてしまった。


「はい…。承知致しました…。」


「三つ目は…。」


「まあだあるんですか!?。」


「あるわい!。護衛の忍を付ける故、呉々も其奴らを巻かぬ様に!。」


風間が思わず吹き出した。


貴時は、顔見知りの忍に限られるが、本気になったら、忍を巻いて、何処かへ雲隠れしてしまえるのだ。


「は…はあ…。」


「して、四つ目は!。」


「えええ…。どんだけあんですか…。」


「これで最後じゃ。」


「承りましょう。」


「偶には顔を見せよ。」


桐生が寂しそうな笑みでそう言ったのを、貴時も切ない目で微笑んで返すと、平伏して言った。


「承知致しました。お世話になりました。」




今度は飯を食って行けと引き止める桐生に、ここを襲撃されて、桐生に何かあったら、上様に何かあるより嫌だと、無理矢理出て来てしまったのだが、実は腹は減っている。


大体、三日三晩走り続けて入った宿屋でも、飯は殆ど食べずに寝てしまい、ほぼ4日、殆ど食べていない等しい。


そして、飯屋の前を通り掛かった貴時は、そこで漸く気が付いた。


甲州を出る時に、財布を持って来るのを忘れた事に。


ー何故、財布を忘れる…。俺…。


貴時は、自分はいつ死ぬか分からないと思っている。

顔馴染みの飯屋も酒屋もいくつかあるが、今までツケにした事は無い。

死んだ時に、借金が残っているのが嫌だからだ。

それに、今は以前よりも、もっと命の危険がある。

ツケになどして、死んでしまい、伊達家に催促に行かれたりしたら、大嫌いな親父が高笑いするのが目に見える様だ。


次の給金は3日後だ。


ーあと3日…。飯も問題だが、どこに寝泊りする…。


命を狙われている以上、鈴乃屋には行けない。

楓を危険に晒すのは、死んでも嫌だ。


かと言って、伊達家に行って金を貰うのも、先の通り抵抗があるし、父は元より、母には二度と会いたくない。

それに、下手に関わり合っては、源十郎の身も心配だ。


風間や桐生の配下の者は、直ぐ近くに居るだろうし、呼べば直ぐに助けてくれるだろうが、こんな事で助けて貰うのも情けない。


ー参ったなあ…。


空腹の余り、ボンヤリと歩いていると、いかにも大店の娘の様な、いい身なりをした美しい娘が、ヤクザ者に絡まれているのが目に入った。


一応護衛で付いていたらしき丁稚は、腰を抜かしてしまって、助けるどころではない。


ドスを振り回しているそのヤクザ者達は、貴時の目から見ても、相当なワルだった。

盗み、タカリ、人殺し、悪い事なら全てやって来た様な奴らの様だ。

周囲の出店の人間も、見ない振りをしている所を見ると、この界隈では有名なワルなのだろう。


貴時は腹が減っていたのもあってか、猛烈に頭に血が昇った。


不機嫌な無表情も極限まで行き、娘の頬をドスの腹で叩いて言う事を聞かせようとしている男の腕を、問答無用で思いっきり捻り上げた。


「いでででで!。」


ボキッという鈍い音が、男の腕からした。

骨が折れたのだろう。

男は痛い痛いと喚きながら、手下の6人に貴時を殺れと命じた。


全員、一斉にヤクザ刀を出すと、貴時はニヤリと不気味に笑って、鍔鳴り正宗を抜き、カチャンと音を立て、刃の向きを変えた。


「舐めやがって!。この野郎!。」


しかし、所詮はヤクザだ。

貴時の足元にも遠く及ばない。

貴時は6人全員をあっという間に峰打ちし、全ての奴らの骨を折ってしまった。


峰打ちは、命を助ける方法だと思われがちだが、使い方によっては、ただ血が出ないだけで、致命傷を負わせられるものだ。


急所や、大切な臓器を守る箇所の骨は、力の入れ加減で確実に折れる。


そうすればこの時代、呆気なく死に至る事は明白だ。


「早く手当てしねえと、死ぬぜ。運良く生き返ったら、もう悪さは止めるこったな。」


なんとか動けるヤクザ者が、瀕死のヤクザ者を背負って行ってしまうと、周囲から拍手喝采が起き、娘と丁稚にも礼を言われたが、貴時には全てが遠くに聞こえる様な気分だった。


貴時は空腹と疲れで、どんどんと気が遠くなって行っていたのである。

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