第12話

風間は、木元に分からない様に、貴時に耳打ちした。


「吉井と上様の件でございますが。」


「うん。」


「桐生様が詰問なされた所、貴時様の読み通り、お蓉の方様が謀反を起こす前に奥へ入り、そこから上様の御寝所に忍び込み、情を通じ、上様は吉井の意のままとなり、お蓉の方様のお輿入れ先も、言われるがままだったとの由。」


「どうしようもねえな。」


「はい。桐生様もその様に叱責なさり、お命惜しくば、2度と吉井に会わぬ様にと。」


桐生の叱責。

それは想像するだけでも、震え上がる程の迫力であろう。


貴時のこの実戦剣法は、桐生が仕込んでくれた物で、桐生は、いわば貴時の師匠でもある。


即ち、貴時以上の、鬼神めいた迫力と、気迫を持つ男という事だ。


それが、本気で怒りを打つけて来たら…。


あの気の小さな将軍が、半ベソをかいて、震え上がっている様は、容易に目に浮かぶ。


貴時は肩を震わせて笑ってしまった。


「おっかなかったろうな。もうしねえって?。」


「はい。それと、江戸城の警護を更に固め、人、物の出入りも厳重に監視して居りますので、御懸念の上様への吉井の襲撃は不可能かと。」


「分かった。ご苦労だったな、風間。」


3人は、品川宿を出た林の中を、走る様に歩いていた。


「来たな…。」


貴時がそう言いながら、刀の柄に手を掛けると同時に、風間も、木元も腰の刀に手を掛けていた。


貴時が孫六兼定を抜いたと同時に、刺客10人が姿を現した。


しかし、今度の刺客は人数は少ないが、今までのよりも強く、経験も豊富そうな殺気を身に纏っていた。


つまり、格が違う。


「ちょいと骨が折れそうだな。

木元、お前さんは無関係だ。危なくなったら逃げな。

金は、本所の桐生様の屋敷行って、好きなだけ貰え。」


木元は若干声が震えているものの、奮い立たせる様に、ニヤリと笑った。


「冗談じゃねえ。そんな胸糞悪い真似が出来るかってんだ。こちとら腐っても武士だ。」


「上等だ。だが死ぬな。」


ニヤリと笑って、そう返した貴時は、左手で鍔鳴り正宗も抜くと、両刀で走り出した。


風間達には目もくれない刺客達が、一斉に貴時を追う。


そのほんの少しの隙を突いて、風間が目にも見えない速さで、背中を向けている1人の刺客の喉笛を掻き斬り、隣の刺客が風間をハッと見た時には、風間は跳ねる様に身をこなして、その刺客の喉笛も掻き斬っていた。


木元も負けていない。

背中から一太刀浴びせる。

これは着物しか斬れなかったが、振り返った刺客が構える間もなく、刀を持った腕ごと斬り落とし、更に首筋に一太刀浴びせて倒していた。


2人の刺客は、追い付いた貴時に、首筋と脇の両方を狙って、正に、上と下両方から攻めて来た。

そうとなれば、貴時は更に下に行く。

地を這う様に姿勢を低くして、両手に持った刀2本を使い、すれ違い様一気に2人のアキレス腱を斬り、動きを封じた所で、両手の刀で、2人同時に首筋を斬る。


その隙に、貴時の背後から斬り掛かって来た刺客は、風間が音も無く、後ろから喉笛を。


その後ろから来る刺客は、近付く前に、貴時が枯れ葉の上を滑る様にして、瞬時に間合いに入り、下から片膝を着いた状態で、下段から脇を斬り、それと同時に間合いに入って来た刺客の喉には、左手の鍔鳴り正宗を刺していた。


その貴時を斬ろうとしていた刺客は、気配も無く、回り込んでいた風間に斬られ、その間にも貴時はまた1人倒し、木元は風間の補助的な役回りになり、今までに比べると時間は少々掛かったが、結局、10人の刺客の内、6人は貴時が斬り殺していた。


「ああ、助かったぜ…。ありがとよ…。」


血を拭い、いつもの仕草で刀を鞘に納めた貴時が、笑ってそう言うと、木元は苦笑し、風間は怒り出した。


「どう考えても、あの戦法は、我ら2人を守る戦法にしか思えませぬが!?。

そういった事は、きちんとアテになさってから仰って下さいませ!。」


貴時は目を丸くしている。


「アテにしてんじゃねえかよ。1人だったら、結構やられてたぜ?。」


「いいえ!なさって居られませぬな!。」




馬鹿殿の刺客はそれで終わった様だ。

だが、吉井の手の者、10〜20人の刺客達は、桐生の屋敷に着いても現れなかった。




貴時は桐生に、涙ながらに帰還を喜ばれた後、事情を話し、木元の言い値の用心棒代を払って貰っている間、風間に声を掛けた。


「吉井がどう出て来るか分からねえ。吉井を仕留めるまで、お役御免にして貰う。

お前は、勘十郎を頼む。」


風間は強い目で貴時を見た。


「承知しかねます。」


「おいおい、風間家はうちの当主を守るんだろお?。」


「私の他にも風間は居ります。私は貴時様を主人と定めましてございます。」


「んな事言ったって、勘十郎どうすんだよ。17にはなっちゃあ居るが、あいつは、このお役目は向いてねえだろお?。」


「それは桐生様もご承知の事。勘十郎様は賢いお方ではありますが、貴方様の技量と器には遠く及びませぬ。」


「だから心配なんだよっ。」


「心配ご無用にございます!。

表向き家督を継がれたにしても、お役目はご城内で済む程度でございましょう。

でしたら今も付いております、我が弟小次郎で、お役目は十分果たせましょう。

貴方様は、潜まれて、吉井討伐のお役目に入るという事でございましょう?。

でしたら、私は貴方様のお側に居ります。」


「ほんっとに頑固だね、お前は。

吉井は妖刀に取り憑かれちまってる、もう人じゃねえ奴なんだぜ?。

なんでお前まで、そんなの相手にする必要があんだよ。」


「また…。ですから私は、貴方を御守りするのがお役目なのでございます!。私の身など御案じ下さって、如何なさる!。」


「如何って、お前ねえ!。」


2人は唐突に話を止めた。

どうしたらいいのか戸惑っている様子の木元が前に立ったからだ。


貴時は、風間からも話を逸らすかの様に、木元に笑い掛けた。


「一生遊べる金、貰えたかい?。」


「ーあ…ああ…。旦那、困り事かい…?。」


「いつもの事だ。お前さんはもう関わっちゃならねえ。さ、早く行きな。」


木元を見送ると、苦笑して座敷に座っている、桐生に向き合った。


「風呂と着替えの支度をした。先ずは小ざっぱりして参れ。」


「いえ、こちらを先に…。」


そこで漸く、貴時は背中に括り着けていた、重そうな鎖帷子で出来た包みを、縁側に下ろした。


風呂敷では、万が一斬られた時に中の証拠を落としてしまう。


だから、細工屋に特注で作らせた、貴時のお役目専用の風呂敷の様な物だ。


ただし重い。

これだけで軽く7キロ位はある。

それを背負ってのあの剣捌きなのだから、風間を持ってしても、流石としか言いようが無い。


品川宿で風呂に入った時も片時も離さなかったそれを開くと、油紙で包まれた証拠の薬と、長崎商人と小林の取り引きの全てが書かれた帳簿、それに薬の配合や、実験記録簿が出て来た。


「ようやった…。ほんにご苦労であった、貴時。」


「それからこれは…。」


貴時は1番下に隠す様に入れていた、片桐からの手紙を取り出し、捧げ持って、一礼してから、桐生に渡した。


「片桐殿が、唯一心を開いていた、研師に託した物です。」


「そちは読んだのか。」


「いえ。暇が無く、未だ。」


「では共に読もう。」




佐助


恐らく、其方がこの文を読む頃には、某は、この世にはないであろう。


だから、見聞きした全てを、ここに書き記す。


もしも、私の死に寄り、信用出来るどなたかが、其方の元に来られし時、どうかこの文を、そのお方に渡して欲しい。


某がここに来て、最初に疑念を抱いたのは、お蓉の方様のお化粧料と、実際にお買い求めになった、お化粧道具やお着物との収支が合わぬ事であった。


それを、吉井様は見逃している。

多額のお化粧料はどこに消えたのか。

それを探っている内に、吉井様とお蓉の方様が、男女の仲である事を知った。

お蓉の方様は、上様のお首を狙っており、その為に忍を雇われていらした。


しかし、それにも裏があった。


吉井様は、お蓉の方様を、そう唆して(そそのかして)いらしただけであった。

その忍達は、実際には、吉井様の私怨の相手を探すお役目だけに雇われていた。


吉井様の私怨が、どの様な物であるのかは分からぬ。


ただ、吉井様は、お化粧料を忍だけでなく、ある物に流用していた。


それは妖刀であった。


妖刀がどれ程の値で取り引きされているのかは、某にも分からぬ。


ただ、相当な値である事は確かな様で、お蓉の方様から巻き上げたお化粧料は、忍と妖刀に使われている様だ。


その妖刀は、お蓉の方様のお部屋にある。

某が最後に確認した時には、12振りあった。


禍々しい気を放つ、それらの刀を手にした時の、吉井様のお顔は、もう人では無かった。


某は吉井様も探ってみた。


吉井様は、忍が見つけ出して来た、何らかの私怨を持つ相手を、切り刻んで居られた。


それは楽しそうに。


その様は、吐き気を催す程、禍々しく、惨たらしい物であった。


私怨を持つ相手だけでは無い。

なんの罪科も無い、城下の者も手に掛ける様になっていった。


御家老小林様の御子息も、人妻を辱しめた上殺して川に捨てており、吉井様も、それ同様に城下の者達を捨てていた。


御家老小林様であるが、お屋敷内の地下にて、怪しげな毒薬を作り、それを御子息に拐わせて来た村の娘に含ませ、牢に閉じ籠めて、薬の効き目を試している。


そしてそれを長崎商人に売り捌いては、私服を肥やしている様だ。


それらの話が合わさって、御家老は無類の女好きで、女子を散々辱しめた後、殺して川に捨てるという噂が流れた物と思われる。


その御家老の悪行を、うちの奥が見てしまった。


御家老は、奥を差し出せと言って来た。


口封じの為、奥も某も消されるのは自明の理。


このまま吉井様を野放しにしておくのも、余りに危険であるが、私の技量では、あの妖刀には立ち向かえまい。


寄って、この旨を江戸家老平手様にご報告すべく、奥を連れて、江戸に向かう。


吉井様にも、某が秘密を握っているのは知られてしまった様だ。


小林様と吉井様の2人が放つ追手と闘いながらの、死出の旅となるであろう。


江戸育ちの某にとって、其の方は、蒸し暑いこの地の、一服の涼であった。


どうか身体を労い、出来うれば、この地を早々に立ち去って欲しい。



長々すまぬ。

世話になった。


片桐隼人




読み終えた2人は重い溜息の様な深い息を吐き、共に悲しみを湛えた目で、文を見つめ、桐生は丁寧に推し懐いて、大切そうに懐にしまった。


「惜しい男を亡くしてしまったのう…。」


「実(まこと)に…。」


そして貴時が話し出そうとすると、その内容が分かっているかの様に、嫌そうな顔をした桐生は、話を遮った。


「良いからお主は風呂に入って参れ。血生臭うて堪らん。」


「ーそれ、桐生様が仰るんですかあ!?。」


桐生も若い頃は、貴時並みに血塗れになって、お役目を果たして来ている。


全く持って心外だと言う様子の貴時を笑い、追い立てるので、貴時は渋々風間と風呂に入り、用意されていた着物を広げて、思わず苦笑してしまった。


「流石は桐生様。貴時様のご趣味がよくお分かりですな。」


表地は、墨染めの絹という、シンプルな物だが、裏地は赤地に昇り龍と来ている。


「そういや、裏地が粋すぎるって、あの研師に言われたな…。」


「誰でも思いますよ。」


「そうかねえ。」

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