第11話
明け方ー。
漸く品川宿の側まで来た時、貴時は刀の手入れをし、ほんの少しだけと、刀を抱いたまま、座って休んで、浅い眠りについていた。
しかし、その安寧の時は、直ぐに邪魔された。
荒くれ者達が騒ぐ声がし始めたからだ。
「ー煩えな…。」
騒がしい方向を見ると、浪人風の男が1人、10人の盗賊に囲まれて揉めていた。
取り分がどうこう言っている。
話の流れからすると、浪人風の男は騙された様で、取り分が違うと意義を唱えた所、囲まれて、殺されそうになっている様だ。
だが、その浪人風の男、立っているのを見るだけでも、相当な使い手だった。
手助けも必要無さそうではあったが、ここで大騒ぎをされても、追手に見つかり易くなってしまう。
貴時は面倒そうに立ち上がると、男の隣に立った。
「こっちも目立たれても困る事情があんでな…。助太刀するぜ。」
男は、全身血塗れなのに、いい身なりをした品格のあるの侍が横に立った事で、初めはギョッとしたものの、不意に苦笑した。
「あんた、俺と同じ臭いさせてんなあ。何人斬った。」
「さあな…。100は斬ったかもな…。」
貴時は嘯いた。
小林の屋敷の分を入れたら、この3日だけで、もう160は軽く斬っている。
更に言えば、奥祐筆になってからまで遡ったら、数え切れない。
盗賊は、矢張り助太刀など必要が無い程呆気なかった。
読み通り、掛け声と威勢だけだった様だ。
増して、この男との2人がかりでは、ほんの数分で片が付いてしまう。
貴時は刀の血を拭い、金の入っている重そうな巾着を嬉しそうに持っている男を見た。
「お前さんは盗賊か。」
「用心棒だよ。金さえ貰えりゃ、なんでもやる。」
「用心棒ねえ…。名は?。」
「木元三郎太。旦那は?。」
「伊達貴時。」
「奥州の伊達!?。」
貴時は面白そうに笑い出した。
「縁もゆかりも無えよ。向こう様にご迷惑ってもんだ。」
「へええ…。そう…。」
金さえ出せば、なんでもやると言いながら、そう悪い奴にも見えない。
この先、未だ追手が来たら…。
いくら貴時でも、お役目が果たせないかもしれないと、少々不安になっていた所に出会った男だ。
これも何かの縁なのかもしれないと、ふと思った貴時は、いつもの人懐っこい笑みで、木元に言った。
「じゃあ、江戸に着くまで、俺の用心棒をやらねえか。金なら好きなだけ出すぜ。」
「ー旦那、追われてんのかい。」
「ちょいとな…。」
しかし、貴時の笑みは消え、答え終わらない内に、孫六兼定を抜いた。
木元も刀を抜く。
「ーちっ…。もう囲まれていやがるぜ…。」
若干青くなって、そう呟く木元に、貴時はニヤリと笑みを溢し、浪人を見ずに言った。
「降りるか。それでもいいぜ。」
「ー降りるかよ…。その身なり…。一生遊んで暮らせる金が入りそうだ…!。」
斬った数は50数人。
木元の腕は確かだったが、この数を相手にした事は無かった様で、肩で息をしている。
「なんだ、コイツら…。随分慣れてたな…。」
「刺客を生業としている奴らだよ。お前さん、見込み通りいい腕だな。」
「旦那程じゃねえよ…。それより、あんた何者だ…。そんないい身なりして、なんでこんなのに追われてる…。」
先程まで、鬼神の様に刺客を斬り殺していた男とは思えない程、優しい顔で笑った貴時は、木元の肩をポンと叩いた。
「聞いたら、お前さんも危ねえよ。ああ、腹減った。三日三晩走り続けて、なんも食ってねえ。どっか知らねえ?。」
木元は呆然としたまま、やっとこさっとこ答える。
「品川宿が直ぐそこだ…。三日三晩じゃ…宿入るかい…。そのなりじゃあ、江戸に入るのも目立ってしょうがねえやな…。」
確かに、貴時本人にはかすり傷さえ無い様だが、濃紺の絹で出来た着物も袴も、血塗れで、濃紺なのか、黒なのか、血飛沫は模様なのか分からない様な状態だ。
「そうだな。」
「追われてんなら、俺みてえなカッコに変えちゃあどうだい…。少しは目眩しになんだろ…。」
「それもそうだな。なんか見繕ってくれ。」
そして、宿に入ったはいいが、貴時は金も払わない内に風呂に行ってしまい、木元は、宿の支払いも、着替えの浪人風の着物の代金まで払ってやる羽目になってしまった。
「旦那あ!。ちゃんと宿代と着物代も払ってくれんだろうなあ!?。」
品良く、美味そうに飯を食っていた貴時だったが、木元がそう言った時には箸を止め、首を垂れていた。
「旦那?。」
木元が顔を覗き込むと、箸を持ったまま、あどけない顔で眠ってしまっている。
「なんだよ…。ガキみてえな面しちまって…。さっきの剣豪と、ほんとに同じ人間かね…。」
木元は、なんだかんだ言いながら、結局は、面倒見のいい男な様だ。
貴時をそっと寝かせ、箸を取り、布団を掛けてやった。
「綺麗な顔だね…。モテんだろうなあ。羨ましい。」
モテるのに、惚れた女は嫁に出来ない男だというのは、木元は知る由も無い。
風間は、必死に貴時の居所を探っていた。
忍仲間から情報を得、自分の目と耳で必死に探り当て、貴時が入った品川宿の宿屋を突き止めたのは、夜もとっぷりとふけた、戌の刻半(午後8時)頃だった。
しかし、その宿の周りには、ただならぬ殺気が漂っている。
ー江戸屋敷からの刺客か…?。
風間が忍者刀を音もなく出した頃、貴時もまた、布団から飛び起きていた。
「木元、表に15〜6人居る。ここに入られたら、宿の人達巻き込んじまう。出るぜ?。」
まだ寝ぼけ眼の木元を乱暴に叩き起こした貴時は、脇差1本、刀2本を手に、いきなり2階の窓を開け放って、そこから飛び降りた。
「ー出…出るってそこからなのかよ、旦那あ!。」
木元が窓の外に叫んだ時には、もう始まっていた。
「くうう…。無茶苦茶だぜ…。」
木元もどうにか飛び降りて参戦し始めて、初めて味方が1人多い事に気が付いた。
「風間!。用心棒の木元だ!。」
「これはお世話になりました、木元殿。」
2人共、斬り殺しながら平然と会話している。
「よく来てくれたぜ、風間!。」
「馬鹿殿が刺客を放ったと聞き及びましたもので。」
「何人だか分かるか。」
「私の調べでは100名と。」
木元もどうにか4人斬り殺し、死体は全部で20人分になっていた。
「馬鹿殿の刺客は後10人て所か…。吉井の余りが後10人〜20人足りねえ。」
「甲州に参って居ります、配下の報告によれば、吉井が買い求めた妖刀の数は、12と聞き及んでおります。」
「1人1本として、12人の妖刀憑きか…。あれが12人ね…。」
そして2人は、死体をそのままにして歩き出してしまった。
「ちょ…ちょっと旦那、死体、あのままでいいのかよ…。」
「ああ、大丈夫だ。片付けてくれる奴が居る。」
「は…はあ!?。」
木元が振り返った時には、死体は跡形もなく無くなっていた。
「ええええ!?。」
「木元〜。気にすんな〜。下手に首突っ込むと死ぬぜ〜。」
木元は、とんでもない人間の用心棒になってしまったのではないかと、その時になって初めて後悔したが、もう遅い様だ。
ー金じゃなくて、斬られて消されちまうんじゃねえか…。
そんな疑念も抱かずには居れない。
木元の心の動きを察したかの様に、笑顔の貴時が振り返った。
「そんなツラすんなよ。じゃあ、ほんの触りだけ言う。
俺はご公儀。風間は、俺ん家に代々仕えてくれてる忍だ。
お前さんが察している通り、こういうヤバイお役目ばっかりだ。
だからここで降りても構わねえ。
それと、恩あるお前さんの命は、決して盗りゃしねえし、盗らせねえ。」
風間は懐から、正絹で出来た紫色の包みを出して、貴時に向かって捧げた。
受け取った貴時は、木元に向かって、その包みを無造作に差し出した。
「言い値とは行かねえが、降りるなら、ここで金も渡す。」
包みはどう見ても、50両はある。
十分な報酬だ。
だが、木元は受け取らなかった。
何度かの壮絶な斬り合いの中、木元が危うい場面があると、貴時は必ず助けてくれていた。
あの斬り合いの中では、いくらここまでの腕を持つ貴時でも、自分を守るので精一杯だろうに。
今まで1つもついて居なかったかすり傷が、左手首についたのは、そのせいだ。
貴時の言葉に嘘は無いと、金を差し出している貴時の優しくも寂しげな目を見て、確信した。
「いや。言い値を貰う。俺は最後まで旦那の用心棒やるぜ。」
自分を信じてくれたのが分かると、木元が逆に驚いてしまう程、嬉しそうな笑顔になった。
「ありがとよ。でも、俺を守って死ぬのだけは勘弁してくれよ?。風間もな。」
風間は貴時に返された金の包みを、また懐の奥にしまいながら、淡々と答える。
「それはお約束出来かねます。」
「おいおい!。それだけはやめてくれって昔っから言ってんじゃねえかよ!。」
2人は木元の前を歩き始めながら、揉めている。
「貴時様こそ、私を庇って手傷を負われる等という事は、2度と無い様にお願い致します。
あれはもう…忍の恥にございます。私が父にどれほど叱られたか…。」
「ごめん…。けどさあ!。」
「けどもクソもございません。風間家は、伊達家御当主を御守りする事が務めでございますれば!。
貴方様がご無事なら、死んでも本望にございます!。」
「なんて事言いやがんだ!。この頑固者!。」
2人は、主従というよりも、仲の良い幼馴染みの様だ。
代々仕えているという辺りから察するに、恐らくそういう感じなのだろう。
風間の方が忍という職業柄、若干老けて見えるが、年も同じ位だろう。
共に育ち、時には遊び友達になって居たのかもしれない。
「頑固者は貴方様も同じでございますよ!?。
全く…。あんな親父様とお袋様など、伊達家から追い出しておしまえるお立場にありながら、不便極まりない置屋住まいなど…。」
「う…。だけど、あんな親父達でも、勘十郎の親だぜ…。」
「勘十郎様は、貴方様程の才気はお持ちではございませぬが、賢いお方。
親父様とお袋様が、どうしようもない御仁というのは、ご承知でございます。
貴方様が追い出されたとしても、感謝こそすれ、最早お恨みになどなりますまい。」
「う…う〜ん…。」
「業を煮やした桐生様の方が、先に動かれそうでございます。」
段々話が分からなくなって来た木元は、思わず口を挟んでしまった。
「旦那、置屋住まいったあ、どういう事だい。」
「芸者置屋に住んでんだよ。無事に帰れたら、遊びに来な。深川の鈴乃屋ってえんだ。
「なんつー羨ましい所に住んでんだよ!。絶対行く!。」
「だろ?。ほら、風間。大抵の男はそう言うんだよ。」
「まあ確かにそうですな。鈴乃屋は、特に綺麗どころ、芸達者な芸妓が多ございますからな。その1番芸妓と、わりない仲となっては…。」
風間が意地悪く笑うと、貴時は真っ赤になり、木元は尚の事食い付いた。
「なんだそれえ!。旦那、ほんと羨ましい男だな!。とんでもねえ色男だわ、使い手だわ…。
その感じだと、仕事も出来んだろうし、オツムの出来も俺達とは違いそうだし!。」
風間は嬉しそうに笑い、貴時は更に真っ赤になって、押し黙ってしまった。
「しかし、木元殿、その1番芸妓に嫁に来て貰えぬのですよ。貴時様は。」
「ーへ!?。なんで?!。」
「照れ屋で、直ぐ喧嘩になりますからなあ。もう少し、お口が上手ければ…。」
「煩え!。」
溜まりかねた貴時がそう叱責したが、風間は楽しそうに笑っているだけである。
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